あまでうす日記

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映画『朝比奈三郎義秀異聞』シナリオ大略

2023-02-10 13:00:14 | Weblog

映画『朝比奈三郎義秀異聞』シナリオ大略

 

これでも詩かよ 第311回

 

勇猛を以て鳴る鎌倉武士、朝比奈三郎義秀は、幕府の初代侍所別当、和田義盛の3男であった。

 

建暦3(1213)年、父義盛が「和田の乱」を仕掛けた時、彼は、父がもう少し時を稼げば、地方から大勢の味方が駆けつけ、北条一族を圧倒的に駆逐出来るのに、と思いはしたが、目の前のたった130騎でそれができればなお結構だ、と思い直して、群がる敵を次々に切って落とす快感に酔いしれた。

 

だが奸佞邪智な義時が将軍実朝を唆し、和田一族は鎌倉殿の敵と名指しされたために、敵の応援部隊が倍増し、形勢は逆転した。父義盛が、長男義直の戦死に落胆して、戦意を喪失する無様な姿に衝撃を受けた義秀は、そのまま鎌倉七口のひとつ朝夷奈峠を目指した。

 

峠の先には、彼の故郷六浦の漁港があったのである。和田義盛の祖先は漁師であったから、その末裔である義秀にとって、海と魚と船は故郷の幼馴染のようなものであった。

 

北条一族の捜索から逃れながら、故郷六浦で海と魚と船に親しむこと幾星霜、義秀は鎌倉を追われた僧、日蓮の逃走を何度も助け、自ら舵を取って安房まで送り届けていたが、とある日、ひとり小舟に乗って西国を目指した。

 

熊野灘で嵐に遭遇した義秀が、命からがら打ち上げられたのは、紀州太地の砂浜だった。故郷の六浦と似たこの漁港で、義秀はむらおさの娘と結ばれ、娘婿の座衛門と協力して、勇壮無比な鯨漁に挑むことになるのだった。

 

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