照る日曇る日 第1879回
鎌倉幕府と朝廷の暗闘を、後白河院の皇女宣陽門院の母丹後局の命令で、鎌倉に派遣され、頼朝と政子の長女、大姫の後白河院の入内工作にあたった20歳の女房周子の眼で、描いたフィクションである。
幕府最強の女、政子と、朝廷最強の女、丹後局のはざまにあって、悲劇のヒロイン大姫も、物語のヒロイン周子も、もがき苦しむのだが、その地獄絵図をリアルに描く作者の文芸表現力は見事だが、いかに鎌倉時代が母系社会であったとはいえ、ここまで政子を「男勝りの女傑」として屹立させるのは贔屓の引き倒しのようなものではないだろうか?
いちおう史実を周到に踏まえたような書きぶりだが、われわれ読者は、1)政子と頼朝は山木兼隆の伊豆目代就任以前に結ばれて大姫の誕生を迎えているので、政子が山木との婚約を迫られたという記述は虚偽(永井路子「北条政子」の後書きを参照のこと)だし、2)大姫は鎌倉の海で自殺したお話はだし、3)そもそも物語の主人公周子自身が、実在の人物ではないことくらいは知っておいても良いだろう。
大江広元邸が鎌倉の十二所にあったという設定もかなり疑わしいのだが、地元には昔からそんな言い伝えがあるし、偶々私の妻の実家がまさしくその地にあるので、夢とロマンを壊さないために、発掘調査が終わるまでは「史実」にしておきたい。
歌いも歌いても尽くせぬ詩詠いても詠いても尽きぬ短歌のごとし 蝶人