あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

甘糟りり子著「鎌倉の家」を読んで

2023-04-16 09:20:06 | Weblog

甘糟りり子著「鎌倉の家」を読んで

 

照る日曇る日 第1881回

 

甘糟という名字は珍しい。以前マガジンハウスに同じ名字を名乗る有名な編集者がいたのだが、私は関東大震災の折に大杉栄、伊藤野枝を虐殺した軍人の親類だと勝手に思い込んで長く敬遠していたのだが、良く見ると同じカスでもあちらは甘粕、こちらは甘糟。全く赤の他人。そそっかしいおらっちの、あらぬ誤解だった。どうか許してたもれ。

 

半世紀近く前から江ノ島、極楽寺に近い稲村ケ崎の山辺の古家に起居するその編集者の娘さんが書いたこの本には、昔ながらの鎌倉で生活する人々の暮らしぶりや、近所の海山野原公園、学校、料理、食べ物、菓子屋、レストランやバーのあれやこれやの具体的な固有名詞が出てきて、ああそういえば紀ノ国屋の右隣には丸山亭があったなあ、などと、懐かしかった。

 

巷にあふれる観光客とは無縁な世界、地元に長く住んで来た人でないと分からない感覚だ。

 

「味覚カレンダー」という味の歳時記には、春夏秋冬のその時期に、彼女がどこのお店のどんな銘品を愛用しているかが事細かに列記されていて、そのプチブルぶりにうならされる。同じ土地に同時代を過ごした妻も指を銜えて羨む豊かな暮らしぶりだが、こうなるともはや嫉妬羨望してみてもはじまらない。

 

少女時代の広い彼女の家には作家の澤地久枝が長期滞在して書き物をしていたり、8月10日の花火大会には東京から向田邦子、植田いつ子、加藤治子がやってきて早めの夕食を摂ってから家族と一緒に由比ケ浜へ繰り出し、あの幻想的な水中花火を見物する光景が描かれているが、まるで夢のように美しい特権的な瞬間がさりげなく描かれていて、面掛行列、稲村ケ崎公園、サーフィンの思い出の記述と共に胸に残る。

 

それにてもあの頃のマガジンハウスでは、スコッチを呑みながら会議をやっていたんだなあ!

 

  ミサイルがもし北海道に墜ちたなら俺たちどうすればいいのだろう 蝶人

コメント
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