あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

ソニー盤「カルロ・マリア・ジュリーニ全集」全22枚組CDを聴いて

2016-08-16 11:11:21 | Weblog


音楽千夜一夜 第372回


イタリアの指揮者カルロ・マリア・ジュリーニがソニーに録れた晩年の演奏を聴きました。

収められているのはベルリンフィルとのモザール3大交響曲、スカラ座のオケと録音したベートーヴェンの9番を除く交響曲集、バイエルン放響とのシューベルトの交響曲、バッハのロ短調ミサ曲、コンセルトヘボウとのドボルザークの7,8,9番などですが、どれも遅いテンポで楽譜をじっくり重々しく鳴らしきっています。

こういう行き方はカラヤンとか昨今の若手指揮者のアプローチの対極に位置するもので、演奏技術の洗練に目もくれない愚直さ、謹厳実直で生真面目な音楽への迫り方において、かつての朝比奈隆やいまのベルナルド・ハイティングのそれに似たところもあります。

スカラ座とのベートーベンなどはその最たるものですが、聴いて面白いかどうかはおのずから別問題。私はこれら高い評価を受けた最晩年の演奏よりも、青年時代のモーツアルトのオペラなどのほうが遥かにエキサイトするのですが。


台風が来ないと心配していた奴がいたけれどほら見ろどんどんやってきたじゃないか 蝶人

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池澤夏樹個人編集・河出書房新社版「日本文学全集12」を読んで

2016-08-15 11:44:11 | Weblog


照る日曇る日第888回 


本巻は松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶の3歌人の代表作をそれぞれ松浦寿輝、辻原登、長谷川櫂の3人が註解し、掉尾は丸谷才一、大岡信、高橋治による「とくとく歌仙」が飾るという特大サービス号で、その内容は比類なく充実しており、恐らくはこれまでの本全集の白眉ではないだろうか。

松浦選手による「おくのほそ道」及び芭蕉百句の注解は、かの安東次男選手の名評釈とがっぷり四つに組んだ超力作で、やや衒学的に傾き過ぎるきらいはあるものの、評者の教養と知性を思う様に発揮した滋味深い内容で、平成俳句会も漸く終焉に近き今日この頃、いきなり超人芭蕉翁が甦ったような気さえする格調の高さである。

続く辻原選手の「夜半亭饗宴」は、与謝蕪村の生涯の銘句を、春に始まって春に終わる円環状に配置した苦心の連作であるが、著者の蕪村への愛情と尊敬の温かいまなざしが一句一句の鑑賞に滲み出ている姿が、殆ど感動的ですらある。

天明三年1783年12月25日未明に蕪村は不帰の客となったが、その遺作「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」のあとに、「いざや寝ん元日は又翌(あす)の事」をそっと並べ置く辻原選手の鋭敏な感性にいたく共感する読者も多いことだろう。

近代俳句の祖は、芭蕉、蕪村、子規ではなく小林一茶その人であると力説する長谷川選手は、これまでの徳川の大御所時代と明治維新の文化史的位置づけについても独自の創見を随所で披歴しながら、古典や教養とは無縁の革命的俳諧師として自立した一茶俳句の再評価を促している。

名代の3奇人が丁々発止と応酬する「とくとく歌仙」も興味深いが、畏友夫馬基彦氏の参画を逸したのは、折角の名企画に画竜点睛を欠いたいささかの恨みが残る。

   うつゝなきつまみごゝろの胡蝶哉 蕪村
    夏の暮れ緑小灰蝶をつまみたり 蝶人
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由比ヶ浜海水浴日記

2016-08-14 11:01:17 | Weblog


蝶人物見遊山記第213回&鎌倉ちょっと不思議な物語第371回&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 239



今日も息子のために海水浴に行きました。午後2時に車で出発。私は運転できないし、何も出来ない。浮輪を膨らませるくらいしかしない。準備は全部妻がするので大変です。

海に向かう車の中で、「あ、どこ行くの。どこ行くの」と私が歌うと、息子は私のためにしぶしぶ「ことしのなつやすみ」と答えてくれました。これは彼が小学生の頃に作った夏休みの歌なのです。

今日も奇跡的に県営駐車場が1台だけ空いていたので滑り込むことができました。超ラッキー!

海岸は超満員で足の踏み場もありませんが、なんとか水際にビニールシートを敷きました。今日は珍しく欧州からやってきた、もの静かな若者が隣に憩うておりました。

息子のあとを追って海に入りましたが、今日はホンダワラもゴミのひとかけらもなく、普段と同じそれなりに綺麗な由比ヶ浜の海でした。原発が来る前の若狭高浜の海の透明が懐かしい!

私は沖合のボールが浮かんでいる境界線のところまで一気に泳いで引き返しましたが、その間息子は浮輪で3、4回浅いところでプカプカ浮かび、妻がこうもり傘をさして待つところに戻ってそのつど熱いお茶を飲んで、都合30分で「ぼく、もう帰ります」。

このありがたき暮らしがいつまで続くかは分かりませんが、古稀をこえて私たちほど贅沢な海水浴を楽しんでいる家族は珍しいのではないでしょうか。げに有難きことと感謝しつつ蝉鳴き騒ぐ帰路につき、千円の西瓜を買って帰りました。


        千円でかくも巨大な西瓜とは 蝶人


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五輪あれこれ

2016-08-13 13:05:03 | Weblog

バガテル―そんな私のここだけの話 op. 238


五輪にゃ興味がないと言うたけれど、あんまり朝から晩までやっているので、たまにテレビを見たり、新聞を拾い読みしたりしています。

日本は夏だけどあっちは正反対の冬なんですってね。だから死なないんだ。東京五輪では選手も観客もみな死ぬぞ。いいのか森、小池。もっともこっちが先に死んじまってるかもしれないが。

男子体操個人総合で見事連覇を成し遂げた内村選手の写真を見たら、指の爪が物凄く伸びていた。あれは危険だし。競技の妨げにならないのかしら。それともあの長さが強さの最大の秘密なのかも知れないな。

200m背泳ぎで8位に沈んだ入江選手の「僕は選手としての賞味期限切れなのかもしれない。(賞味期限切れだとしても)消費期限切れじゃないと言い聞かせて、明日のレースに集中したい」というコメントが悲しい。

人は商品ではないし、他人の鑑賞のために競技をしているんじゃないし、五輪やスポーツだけが人生じゃないんだし、まだ若いんだからそんなに悲観しなさんな、と云いたくなる。

卓球男子で銅メダルを貰った水谷選手の話によると、木の部分にラバーを貼る時、補助剤をラバーに塗ると反発力が増す。北京五輪後に禁止されたが、その後も外国選手は不正ラケットを使っているそうだ。そこで彼は検査体制の不備に抗議して前のロンドン五輪と国際大会を棄権し、5年間ラケットを握らなかった。

問題は解決しなかったが、いったん不満を胸の中にしまいこみ、もう一度挑戦して今回の快挙を成し遂げた。「もっとフェアな状況だったら、僕だけでなく日本人全体がもっと世界で勝ってっているだろう」と言うのだが、実に驚くべき発言だ。知らないのはスポーツにうとい私だけかもしれないが、こんな重大問題がまだ放置されているなんて、まことにけしからんではないか。


   熊本や福島で地震があったとてもはやなんとも思わぬわたくし 蝶人
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十川信介編「漱石追想」を読んで

2016-08-12 11:31:45 | Weblog


照る日曇る日第887回 


文豪夏目漱石と関わりのあった有名無名の人々や家族による思い出話をどっさり集めた文庫本で、五輪の狂騒を避けた盛夏の緑陰の読書にはぴったりである。

いずれも短い文章ばかりであるが、若くして逝った偉大なる作家、教師、先輩、父親への人それぞれの敬愛の念が共通しており、やはり只者にあらざる稀有の存在であったことがうしろだてられている。

文は人なり、とはよくいったもので、大塚保治、寺田寅彦、和辻哲郎、菊池寛、中勘助、戸川秋骨、平田禿木、松根東洋城、滝田樗陰、馬場孤蝶などの短文には、彼ら自身の人柄もくきりと刻印されていて興味深い。

修善寺大患の折に急遽駆けつけた医師森成麟造の思い出話は、手に汗握る大迫力で、漱石が仮死状態に陥って脈拍がパッタリ止まってしまったくだりには、思わずこちらの心臓も止まってしまいそうになる。あの時漱石は、本当に九死に一生を得たのである。

漱石の長男、夏目純一はよく父親から殴られた。「それは君が可愛いからだ」と和辻哲郎から慰められたが釈然としなかった純一が、千谷七郎の「漱石の病跡」を読んで漱石が躁鬱病だったと知り、「あんなに可愛がってくれた人がふとしたときに乱暴する」理由が分かったので「ひじょうに嬉しかった」と告白するくだりを読んで、思わず涙が出てしまった。

ところで本書の巻頭は、高浜虚子が昭和2年6月に「改造」に書いた「「猫」の頃」という小文であるが、後輩のくせに冒頭で漱石と呼び捨てにしているからして、なんとなく愉快ではない。

自分が漱石にすすめてホトトギスに初めて「猫」を載せたときは、「冗文句」を好きに削除訂正させてくれたので、引き締まった文章になったのに、2回目以降は、漱石が一躍文壇の“時の人”になりあがったので、素人の無駄な文章を玄人の自分が「煎採」して完璧な文章にする機会を逸してしまった、などとほざいている。

そして「自分の我儘な心持では、漱石はいつまでも大学の教師で、ただ余技として文章を書き俳句を作る人であってほしかった」と結ぶのは、ちと身の程知らずの傲慢なる暴言ではなかろうか。生前の子規に対する傲岸偏屈といい、この俳句会の大立者は、なんとなく陰険で、嫌な感じの人物だったようだ。


 本当においしいのかどうかは知らんけどうまいうまいと騒いでいる番組 蝶人

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邦画3本立てずら

2016-08-11 11:34:02 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1060、1061,1062


○小林聖太郎監督の「毎日かあさん」をみて

漫画家の西原選手を小泉選手が力演。わたしはアル中の人間を同情のまなこで見ることはどうしてもできないが、西原選手は偉いと思う。



○本多猪四太郎監督の「モスラ対ゴジラ」をみて

主に最近亡くなったエミちゃんだかユミちゃんだかのピーナッツの「モスラやアモスラやあ」の歌声を聞く映画ずら。星由里子もこのころは可愛かったなあ。
しかしモスラが蛾のくせに意外と強いので驚いたずら。



○中村義洋監督の「チーム・バチスタの栄光」をみて

最近の大学病院のおそまつさときたら酷いものであるが、この映画をみるとバチスタだろうが何だろうが、ますます安心して手術なんか任せられないという思いがつのる。なんせ人殺しに快感を覚える麻酔医がチームに入っているのだから。

というよりも本作はその後の病院と医師のメチャクチャを、2008年の段階で予言していたのかもしれない。

映画ではどういうわけか厚生労働省の役人が大活躍するが、こういう外部の権力者の介入を断ち切ってあるべき民草第一主義の医術を取り戻すためには病院と医師自身の自覚と自立が必要だろう。



じゃんじゃんじゃんじゃんじゃかじゃんじゃかじゃらららんあさからばんまでおりんぴっく 蝶人

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謹んで残暑お見舞い申し上げます。

2016-08-10 13:25:19 | Weblog



バガテル―そんな私のここだけの話 op. 237



こんなに暑いと自分の脳力ではなんにも考えられないので、本日は以前日経の夕刊コラムで国際高等研究所の尾池和夫さんが東大大気海洋研究所の西田睦所長のお話にもとづいて書かれていた「ニホンウナギの記憶」からほとんどそのまま引用したいと存じます。

四万十川など西南日本の河川には天然ウナギが棲息しています。ウナギの稚魚は冬の川を上ってクロコになり、黄鰻になって数年を過ごし、銀鰻となって川を下るのですが、さてそこからどこへ行って産卵するのでしょう?

この長年の疑問が、やっと06年になって解決しました。ニホンウナギの産卵地がマリアナ諸島の北西約370キロにある北緯14度、東経143度付近の「スルガ海山」であることが、東大海洋研究所の塚本勝巳さんたちによって特定されました。

ここで生まれたニホンウナギは、北赤道海流と黒潮に乗って3000kmの大回遊をして日本にやって来るのです。

ウナギの先祖が地球に登場したのが2000万年前だとすると、その頃の西南日本の地は今よりももっと南にあり、その近くにマリアナ諸島がありました。
またちょうどその頃インド大陸とアジアの衝突でヒマラヤが隆起し始め、その隆起した山地から豊かな栄養が大河によって海に運ばれるようになりました。

安全な深海で生まれたウナギは近くの栄養のある浅い海に来て、その近くの陸地の川に上って成長したのでした。

地球のプレートは1年に5センチというゆっくりした速度で動いていますが、2000万年あれば1000キロ動くことになります。この結果マリアナ諸島は東へ、西南日本は北へ大きく移動して現在の位置に来たのですが、驚いたことにニホンウナギは、遠い先祖の記憶をたどって大回遊しながら相変わらず産卵を続けているのです。


   野に山にノウゼンカズラの花咲けば狂乱の夏いまぞ来にけり 蝶人
もしかして長男も殺されていたかもしれない同じ神奈川の施設で寝ていて 蝶人


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セミが鳴く

2016-08-09 13:56:42 | Weblog


バガテル―そんな私のここだけの話 op. 236



アブラ、ミンミン、シャンシャン、ニイニンと、朝から蝉どもが鳴き叫んでいる。

私の郷里は丹波の国で関西ではあったが、なぜか蝉類の王たるクマゼミが少なかった。女王たるミンミンもそれほど多くはなく、大半がニイニイ、アブラ、ヒグラシという蝉類の中産階級だったが、稀にクマゼミやツクツクホウシを見付けようものなら目の色を変えて山中深く追いかけ回したものだった。

ところで世間では、セミはみな鳴くものだと思っている人が多いようだが、鳴くのは雄だけで、雌は鳴かない。彼女たちは炎天下で声を嗄らして鳴く男たちを、「このひと、弱そう」とか「こっちは長生きしそうだわ」などと呟きながら、涼しい木陰でひそかに品定めしているのである。

しかし女性第一主義の旗印の下で選択と性交が成就したとしても、地下で数年生きた彼らの地表で残された生命は長くない。わずか1週間ほどで姿を消していくのはホタルと同じである。

それにしても今それこそ全身全霊で鳴き喚いているセミは、去年の今頃この桜の木で鳴いていたアブラゼミと同じセミのような気がするのはなぜだろう。


         去年今年蝉声粛々鳴き渡る 蝶人
        道の辺に死者累々と今日の夏 蝶人


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名匠たちの名画3本立て

2016-08-08 13:51:04 | Weblog


闇にまぎれて cyojin cine-archives vol.1057、1058、1059



○キャロル・リード監督の「第三の男」をみて

恐らくは悲惨な末路を迎えることが分かっていただろうね、いったいどうして女優役のヴァリがあんなに悪党ハリー・ライム役のオーソン・ウエルズに惚れていたのかさっぱり分からない。恋は病気であり狂気でもある。


○ハワード・ホークス監督の「ハタリ!」をみて

ホークスのますらおぶりがアフリカのサバンナで爆発する。
狩りの快楽と狩られる動物たちの美しさを見よ!
女性に惚れるジョンウェインも珍しい。


○フェデリコ・フェリーニ監督の「青春群像」をみて

イタリアの悪ガキ連中の青春時代のアホバカ大騒動を、まだ巨匠には程遠いフェリーニがゆるく描くが、随所に後ほど激化していくファルスや悲哀やニヒルの予兆をかぎ取ることができる。



障害者は生きていてもしょうがないと思う健常者なんて生きていてもしょうがないと思うよ 蝶人
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真夏の由比ヶ浜で泳ぐ

2016-08-07 11:26:13 | Weblog


鎌倉ちょっと不思議な物語第370回&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 235


午後2時に家族3人で出発。幸運にも駐車場が空いていたので滑り込んで早速海岸に出ました。台風5号が接近しているので少し波が高いのですが、絶好の海水浴日和です。心配だったクラゲも1匹しかいませんでした。

ところが肝心の海が汚い。もろもろのゴミと一体になった大量の藻が腰のあたりに充満していて、なかなか沖に出られません。行ったことはありませんが、サルガッソーの海というのはこういうものなのでしょうか。

この気持ちの悪いサルガッソー地帯を突破して沖に出るとようやくいつもの海になるのですが、私は結局前後2回しか海には入りませんでした。

今年は市の規制が徹底しているせいか、海岸で騒音をまき散らす連中や、刺青を見せびらかすヤクザ及びその情婦志望のまがいの阿呆莫迦どもも姿を消してそれなりに平穏な時間が流れていたのは喜ばしい限りでした。


やまゆり園、内閣改造、広島の後はリオ五輪かせいぜい馬鹿騒ぎしてろ無節操マスコミ 蝶人
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高良勉編「山之口獏詩集」を読んで

2016-08-06 11:43:53 | Weblog


照る日曇る日第886回 


1903年毎明治36年に沖縄で生まれた詩人山之口獏、本名山口重三郎選手は、貧乏で、貧乏で、貧乏であった。そのことは彼の詩集の大半のテーマが貧乏(第2位は結婚)であることからも窺い知れる。

しかし3度の食事に事欠くほど貧乏であったにもかかわらず、彼が書く貧乏の歌のなんとあっけらかんと明るいことよ!

「なんとかならぬかとたのんでみるのだが、質屋はかぶりを振って(中略)
いきものなんぞおあずかりしたのでは餌代のかかって商売にならぬと来たのだ」

 そして詩人が明かりをつけると、風呂敷から転がり出たのは、ぬあんと、彼の娘と女房なのであった!

彼は貧乏の詩を書き続けることによって、貧乏から脱却は出来なかったけれども、詩作で貧乏を乗り越え、ついでに生活ということを浄化し、その勢いを駆って、なにやらこの世ならぬ尊い存在、ある意味では宇宙的な存在へと化けてしまったような気がする。

彼が生涯を通じて故国琉球のありようを憂い、その将来について深く思いを致していたことも忘れてはなるまい。


  この国には優れた女性がいっぱいいるのに最低の屑ばかり選んだ安倍蚤糞 蝶人

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すべての言葉は通り過ぎてゆく 第37回

2016-08-05 13:46:07 | Weblog


西暦2016年文月蝶人狂言畸語輯&バガテル―そんな私のここだけの話 op. 234



サンマは笑わんでもよろし。うちの耕ちゃんに笑うてほしいんや。7/1

「六波羅殿の禿」が増殖中。7/2

海のような山のような夢のような歌のような風のような光のようなものがたり。7/2

ともかく自公おおさか維新こころ以外の政党に投票すること。それ以外救いの道はない。7/3

武満徹の「波の盆」の旋律の下に、日本人の伝統的な諦観とリリシズムが点滅している。7/4

自公おおさか心の政治主張は糞だと思うのだが、その糞を美味しそうにペロペロ舐める連中がいるのでやりきれない。7/4

アル・パチーノとダスティン・ホフマンの区別がつかない。7/4

自公政権にまかせておけばこの国はおしまいだと直感しながら投票所へ急ぐ人々だけが最後の頼みの綱だ。7/5

安倍蚤糞の偽イスラム国に対する宣戦布告に対する回答が、今回のダッカの邦人虐殺だ。おちおち海外旅行にも出られなくなった落とし前を、お前はどうやってつけるのだ。7/7

参院選の期日前投票に行ったら、出口に出口調査員が待ち構えていたので驚いた。こういう人間に自分が何党の誰に投票したなどとべらべらしゃべる気にはなれない。7/7

職業に貴賎はある。漱石は探偵と高利貸が下賤であると決めつけているが、私はこれにヤクザと三百代言と大多数の政治家を付け加えたいと思う。7/8

足元が臭い。これは靴か靴下か、それとも足自身か。臭い。ともかく猛烈に臭い。まるで安倍蚤糞とそれを支持するヤマトンチュウのやうに。7/8

昔は「浮気」といったことがちょっと洒落た「情事」に変わり、どうも落ち着かないので「不倫」となったが、やることは全く同じだ。7/9

さて全国の学友諸君、いよいよ運命の朝を迎えた。一人残らず投票に行って悪魔の政権党を追い出そう!7/10

独裁者の詭弁にころりと騙され、結局壊憲勢力に加担してしまう本土の主権者の阿呆面はだんだん安倍蚤糞に似てきて見るに堪えないずら。7/11

昨日はカナカナが初めて鳴き、都知事選の候補が出そろい、天皇の生前退位の報道があったが、私の心に響いたのはカナカナの声だけだった。7/13

食欲に抵抗できず、おのれの体重すら管理できないデブどものいうことは信用できないな。7/14

資生堂の「ナチュラルグロウ」というCMのハモリの裏側に、70年代初期の高度成長終焉期の踊り場における一瞬の躊躇と衰弱を感受できる。この国はまだ若くして急速に老いと死に向かっていた。7/16

葉山の近くの芝崎の海に潜ると、地上のテロとか戦争とか、その他のやっさもっさとは無縁の、名も知らぬ無数の魚たちが、のんびり泳いでいた。7/17

敵軍からスタンディングオベーションを送られるイチローを飼殺しにしているマーリンズ。ちょっっとした不調で2軍に落とされた青木、いつまでたってもカブスに戻れない川崎。どこか他にいい働き場所がないものか。7/19

永六輔に続いて大橋巨泉の訃報を聞く。巨泉も巨人も嫌いだったが、あのハッパフミフミが口語短歌の嚆矢であったことは間違いない。7/20

阪神弱すぎ。あの無能な監督を変えても、最下位は揺るがないだろう。げに橋下風情にひれ伏す変態大阪人にとっては打ってつけの最弱球団であることよ。7/20

次は火だ!7/21

安倍蚤大活躍社会。 7/21

この間の戦争中、少しも軍部のお太鼓を叩かず、文学者としての節操を守り通したことは幸田露伴も永井荷風も軌を一にしていて、両者ともまことに態度が立派であった。今から振り返ってみても、此の二人の態度が一番見事であったと云える。谷崎潤一郎「早春雑記」

でも露伴は晩年には国家から表彰もされ、死んだ時は議会が弔辞を呈したり、総理大臣が参列したりして、物質的には恵まれなかったかもしれないが、必ずしも不遇であったとは云えない。谷崎潤一郎「早春雑記」

その点になると、荷風氏は自分の方から国家や社会に背を向けており、徹底的に狷介不屈で押しとおしているので、死んでも総理大臣などが来もしないし、来られたら却って浮かばれないだろう。谷崎潤一郎「早春雑記」

私は永井荷風氏のように孤独な境涯を選んだほうが良かった、と思うことがしばしばあった。そして実際家庭を破壊し去って孤独になろうとすれば出来る機会もあったのに、優柔不断でぐづぐづそれを逸してしまった。私にはその悔恨の情に似たものがあるのでそれだけになお今の荷風氏が羨ましい。谷崎潤一郎「早春雑記」

私は荷風氏が「近頃谷崎君は少し大家になり過ぎたね」と云っておられるということを誰かから聞いた。その言葉が本当とすれば、氏はどういうつもりで云われたか知らないが、私にとってはまことに耳に痛い一言である。谷崎潤一郎「早春雑記」

中央公論正月号の「買出し」を見るがよい。私は6年も7年も懸ってようやく「細雪」のようなものを纏め上げたが、荷風氏がさりげなく書き捨てた僅々15枚足らずのこの短編には、なんと作者の50年に亙る藝術的鍛錬が底光りを放っているではないか。谷崎潤一郎「早春雑記」

戦後70年以上も経ったが、結局われわれ日本人には、民主主義も立憲主義も人権主義も身につかなかったというわけか。7/22

中村紘子死す、72歳。確かに一時代を画期したピアニストといえるだろうが、彼女のペンほどには演奏が冴えなかったのは、まことに残念というほかはない。合掌。7/29


  ある夕べヒトラーの亡霊が舞い降りて障ぐわい者を殺せと囁く 蝶人
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「イラストレーター安西水丸」を読んで

2016-08-04 13:42:34 | Weblog


照る日曇る日第885回


安西水丸さんが亡くなったのは2年前の2014年3月19日のこと。在りし日の彼の作品と創作活動のすべてを盛った浩瀚な1冊本が、このほど東京渋谷のクレヴィスという出版社からでた。

私はかつてこの下手ウマの元祖と称されつつ、非常に知的で繊細な感性を秘めたイラストレーターとたった一度だけ仕事をしたのだが、それは生涯忘れることのできないような楽しい経験であった。

彼が遺した簡素にして強烈な図像のあれやこれやを眺めながら、時計の針を30年前に巻き戻して、もういちど黄昏の青山通りを散策する彼とぱったり出くわしたいと思うのだが、もはやそれも叶わぬ夢となってしまった。

安西水丸の軌跡を偲ぶにふさわしい入魂の1冊であるが、嵐山光三郎と村上春樹の寄稿文が泣かせる。

*本日の特別付録

クレールのひかがみ


安西水丸さんが亡くなった。71歳というのはだいたいそれくらいの年だろうと思っていたので驚かなかったが、それでも死ぬにはまだまだ早すぎたのではないだろうか。

新聞の報道では、西暦2014年3月17日午後2時ごろ鎌倉市内で執筆中に脳出血で倒れ、病院で治療を受けていたが19日午後9時7分に亡くなられたそうだ。

おそらく小説かイラストをかいている最中に身中になにかが起こったのだろうが、私はその記事を読んで、これは戦闘中の戦士の戦死だと思った。

ちょうどその頃、私は同じ鎌倉の芸術館で予約したチケットの代金を支払ってからヤマダ電機で3穴の接続コードを買うために田園通りを歩いており、遥か遠くのクリミア半島では、ウクライナからロシアへの帰属を決める国民投票が行われていた。

安西水丸さんの本名が渡辺昇さんで、彼が東京から鎌倉に越していたということもその訃報ではじめて知ったことだったが、私にとっては渡辺昇よりも安西水丸が水丸的だし、鎌倉のどこかに住んで湘南鎌倉病院なんかで死ぬより、仕事場が南青山で自宅が原宿の安西水丸の方が水丸的なのだった。

80年代のリーマン時代にイラストを使うテレビCMを製作したおり、私は水丸さんの原宿の自宅に伺ったことがある。

桑原茂一さんが開店した伝説のクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」が地下にある古いマンションの一室に氏は優雅に暮らしており、当時私が勤務していた会社のビルヂングはその隣に建っていた。

「このマンションの真下に赤いポストがあるでしょう。あそこにね、一日に何回かあなたの会社のミニスカートのOLが、郵便物を投函しにくるんですよ。ところが彼女の身長よりもポストの口が低いので、彼女は微妙に膝をクの字に折りながら封筒の束を入れるんですよ。ボクはここからそのひかがみを眺めるのが楽しみでねえ。いやあ、たまんないなあ。じつにいい。いいんですよお」

と水丸氏は、あの屈託のない笑顔で顔中をくしゃくしゃにしながら、彼の秘められた心中の嗜好を遠慮なく晒け出す。ちょうどその頃公開されていたエリク・ロメール監督の「クレールの膝」を2人とも高く評価していたのである。

で、私もよせばいいのについ調子に乗って、
「そうなんですか。それじゃあそのクレール嬢を紹介しましょうか」
と気をひいてみると、水丸先生はすっかりその気になって、

「もし佐々木さんが会社のクレール嬢を紹介してくれたら、僕はいまお気に入りのカレー屋さんがあるので、彼女をそこへ連れてゆきます。絶対連れてゆきます。あそこのカレーは最高です。いやあ愉しいだろうなあ」

と、勝手に想像をたくましく膨らませているのである。

それからどうなったかって。
どうにもなりゃしないさ。

会社に戻った私は、総務や営業や広報などで郵便物を例のポストに投函しているクレール嬢たちを相手に、いかに安西水丸選手のイラストエッセイや絵本や小説や漫画がお洒落でチャーミングかつ深淵な芸術であるかについて滔々と語り、

そんな素晴らしいクリエーターと原宿一、いな東京で一番美味なカレーライスを一緒に食するデートの悦楽について言葉を尽くして論じ立てたのだったが、その努力が報われる日はついに来なかった。

いや、たったひとりだけ広報のK嬢だけがつとに水丸氏の真価を熟知しており、熱烈な隠れファンであるとも告白してくれたのであるが、

「えっ、カレーライス? 嘘でしょ!?」

の一声と共に、すべては終わったのである。

今では原宿のマンションのその部屋も、「ピテカントロプス・エレクトス」も、私の会社のビルヂングも、その入口の赤いポストも、ポストの前でちょっと膝を折ったOLも、それをカーテンの陰からこっそり見下ろしていた当の水丸さんも、どこか遠い遠いところへ行ってしまった。

さようなら水丸さん。そこでしばらく遊んでいてくださいな。また一緒にクレールの膝を探しませう。


 イチローのヘルメットの下から現われた胡麻塩頭にあっと驚く 超人
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高松雄一対訳「イェイツ詩集」を読んで

2016-08-03 11:34:58 | Weblog


照る日曇る日第884回



アイルランドの詩人・劇作家のイェイツ(1865-1936)の代表作54編が左に原文、右に邦文と横書きで見開きになっている岩波文庫版の詩集です。

最初はケルト薄明の詩人といわれたが1910年代の対イングランド独立武装闘争(多くの処刑者を出した)を経てリアルで社会的な作風に転じたが終生藝術至上主義の詩人として世界的に高く評価されたそうだが、通読してもその真意は良く分からなかった。

記憶に値する詩篇を挙げれば、「私は歌のために上衣を作った。だが馬鹿どもがそれを盗み、(中略)裸で歩く方がもっと勇気のいる仕事だぞ」と結ぶ「上衣」、「叶わぬ恋に苦しみベッドで悶えのたうちまわりながら無知な美女を喜ばせるために書いた詩」に注釈をつける禿げ頭の「学者たち」、「anti-self」という彼の造語、「シェイクスピアの魚は遥かな沖をお游いだ。ロマン派の魚は手繰られる網の中で游いだ。岸に放り出されているこの魚どもは何だ?」と歌う「3つの運動」などだろうか。

ちなみにイェイツのlast romanticsという言葉は有名らしいが、なんとなくピアニストのホロビッツを思わせるなあ。

「選択」と云う詩では、彼はひとは「人生を完成させるか、仕事を完成させるか」2つの道を選ばなければならない、と迫っているのだが、私などはどうせ2つともいい加減に終わることが分かっているので、別にどうでもいいじゃないかと思うのだが、イェイツってきっと生真面目な人物だったのだろう。

もしも権力と全身全霊で対峙した詩人が、この国に生きていたら、「Why should not old men be mad?(「老人どもが怒り狂わずにいられるか?」の冒頭)と叫んだに違いないが、いっぽう最晩年1939年の「政治」の冒頭のように、「あの娘がそこに立っているのに、どうしてスペインの政治(内乱)などを気にしていられる?」とほざいたかもしれない。

彼の墓碑銘は「生も、死も、冷たい目で見ろ。騎馬の者よ、行け!」であった。


 イエーーー、イェイツ! 生も、死も、君のように冷たい目で見たいもんだ 蝶人
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なにゆえに 第29回

2016-08-02 09:40:21 | Weblog


西暦2016年文月蝶人花鳥風月狂歌三昧


ある晴れた日に 第391回


なにゆえに錦織選手の脇腹が痛むこの国に片腹痛い政治家がいるので

なにゆえにダッカで日本人が標的になる安倍蚤糞がイスラムを敵に回した

なにゆえに夏になるたび後悔する庭にカンナを植え忘れた

なにゆえに私だけが三枚におろせない立派なアジが怒っている

なにゆえに都知事選に夢中になる参院選の報道に手を抜いて

なにゆえに阿呆莫迦自公に投票する自分で自分の首を絞めてる

なにゆえにこんな足が臭いんだ鼻がひん曲がるほど足が臭い

なにゆえに投票に行かぬその自儘が君を暴君の奴隷にする

なにゆえに改憲勢力が三分の二を超える憲法なんかどうでもいいから

なにゆえに「八紘一宇」女をトップ当選させる愚かで恥ずべき我らが選挙区

なにゆえに自民の候補は阿呆莫迦なのか国民自身が阿呆莫迦なので

なにゆえに能年玲奈は「のん」と改名する過去の自分を否定するため

なにゆえに隣の主人は大音響でジャズを鳴らすさっき奥さんが買物に出かけたので

なにゆえに隣の主人は「ママ、ママ」と大声で叫ぶ妻君は君の母親ではないぞ

なにゆえに海の底では平和なのか馬鹿な人間が棲んでいないから

なにゆえに海の日には海で泳ぐ我らは海を越えてきた民族なので

なにゆえにロシアは五輪をドーピングする首相も国もドーピングしている

なにゆえにイチローはまたベントスタートスタメンで出られるチームに移れよ

なにゆえにイチローは絶好球を見逃すあんなボールは誰でも打てる

なにゆえにトルコ大統領は非常事態を宣言する反体制派を壊滅させるため

なにゆえに稀勢の里は優勝できないいざというときいつも負けちゃう

なにゆえに田中角栄をもてはやす強権政治家を讃美するべく

なにゆえにほとんどの電柱は傾いている荷物の重さに耐えられなくて

なにゆえに障がい児者を皆殺しにするうちの子じゃなくて良かったけれど

なにゆえに障がい者を殺せと叫ぶ君自身も障がい者なのに

なにゆえに朝日歌壇はエコひいきする作品の価値より作者への興味

なにゆえにゴミを出すのを忘れてしまった捨てるばかりにしてあったのに

なにゆえにプロパンガスはなくならないプロパンガス屋が失業するから 

なにゆえに耕君は月火と休む天気予報が雷雨なので


 なにゆえに天気予報は当たらないはずれても誰もしらんぷり 蝶人

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