天声人碁

剣正28号が「囲碁」を中心に雑感、独り言を随時書き込みしていきます。
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第32期碁聖戦/横田九段が初挑戦へ

2007-05-30 20:53:27 | プロ棋士

 第32期碁聖戦の挑戦者決定戦は5月17日、東京都千代田区の日本棋院会館で行われ、白番の横田茂昭九段(38)が河野臨天元(26)に中押し勝ちし、張栩碁聖(27)への初挑戦を決めた。
 関西棋院勢の挑戦は4人目で2期ぶり6度目。五番勝負の第1局は7月2日に仙台市で打たれる。
 横田は岡山県金光町出身で、赤木一夫九段門下。1983年に入段し、95年に九段に昇段。2005年の関西棋院第1位決定戦で初優勝した。

             (産経囲碁Webより抜粋)

     ◇    ◇    ◇

タイトル戦挑戦者として今までの常連メンバーから、新しい中堅棋士が登場してきました。
横田茂昭九段、NHK杯出場や囲碁番組の解説で時々、目にしていましたがやっと桧舞台に登場です。外見は茫洋として全体的に「のっそり」とした感じです。
対戦相手の張栩碁聖は「キレる」という印象ですので、タイプの異なった面白い組合せだと思っています。

対戦予想は張碁聖ノリが多いと思われますが、ここは一番関西の「ど根性」を見せてもらいたいものです。

     ◇    ◇    ◇

横田九段は「第1回(1980年)少年少女囲碁大会」の優勝者で当時はずいぶん話題になりました。あれからもう27年ほど経っているんですね、早いものです。

この大会からは山下敬吾棋聖(第7回優勝)、高尾紳路名人・本因坊、若手のエース井山裕太七段(第18・19回優勝)などの逸材が巣立っていますが、初代優勝者の名誉にかけ横田九段の活躍を期待しましょう。

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第62期本因坊戦第2局/挑戦者・依田勝ちタイに

2007-05-29 20:57:59 | プロ棋士

5月22日から韓国・済州島で行われた本因坊戦七番勝負の第2局は挑戦者の依田紀基九段が高尾紳路本因坊に先番1目半勝ちし、対戦成績を1勝1敗のタイにした。第3局は6月6、7日、岐阜県可児市の花フェスタ記念公園で行われる。

 2日目の午後になって差が広がり、依田の快勝譜で終わると見られた碁だが、依田が後退に後退を重ね、高尾が猛追。最後はヨセに勝負がかかったが、依田がかろうじてリードを守り、タイに追いついた。

<依田九段の話>
 1日目は打ちやすい碁になったと思っていた。2日目もいいと思い続けていたが、欲張りすぎでマギレようのない碁がマギレてしまった。(勝ったけれど)ひどかった。

<高尾本因坊の話>
 1日目、上辺の折衝で誤算があり、ずっと苦しかった。いつ投げようかと思っていた。 最後はずいぶん差が詰まったが、おそらくどう打っても負けていたのでしょう。

            (毎日新聞より抜粋)

       ◇   ◇   ◇

依田九段が中盤以降リードを広げ快勝の様相でしたが、高尾本因坊の追い上げに緩み辛勝という決着でした。
終盤で緩むパターンは依田九段らしいですが、ビシッと中押しで決めてほしいですね。

一方の高尾本因坊、本局の出来はよくなかったようですが終盤の追い上げの迫力に、依田九段も冷や汗をかいたのではないでしょうか。

本シリーズ、2局終わって1勝1敗のタイ。内容も半目と1目半と接戦が続きました。
「先行:依田」と「追込み:高尾」、お互いの持ち味が発揮されており、第3局以降の熱戦が楽しみです。

       ◇   ◇   ◇

今回の対局地は韓国・済州島の済州新羅ホテル。
韓国・済州島での対局で思い起こすのは4年前の第58期本因坊決定戦七番勝負第1局。
加藤剱正本因坊(56:当時)に張栩八段(23:当時)が挑戦しました。
この第1局は加藤本因坊が先番中押し勝ちし貫禄を見せましたが、本シリーズは張栩八段が4勝2敗で初の本因坊位を獲得することになります。

故加藤正夫名誉王座はこの前年(2002年)に本因坊位を奪取し、史上最年長の本因坊になります。
そしてこの年7月、日本棋院の副理事長、2004年6月理事長に就任し日本棋院の改革に英断をふるいますが、同年12月30日に病に倒れ57歳でこの世を去ることになります。

木谷一門の黄金期から「殺し屋/加藤」と呼ばれ、常にトップ集団を走ってきた囲碁界の巨星。その光は今もって燦然と輝いています。

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朝日アマ囲碁名人戦県大会/2007本選

2007-05-27 21:38:15 | アマ棋戦

Aimg_0438 今日(5/27)は先週の予選に引き続き、「アマ名人戦県大会(準々決勝~決勝)」が行われました。
その結果、
 ・優 勝:小暮さん
 ・準優勝:佐藤(貞)さん
 ・3 位:辻井さん
小暮さんは県大会で上位の常連で、ほぼ順当な結果といえるでしょう。

今回の県名人戦、番狂わせといえば過去全国大会優勝の石井さんが予選で敗退したことでしょうか。
一発勝負のトーナメント戦、6回戦勝ち抜くのは大変なことです。

   ◇   ◇

今大会、県代表クラスの戦いぶりを見てきましたが、私など「ザル碁党」と違って一局に対する執念が圧倒的に違うと思いました。
「ヨミ」や「知識」はもちろんですが、「精神力の強さ」を実感した次第です。

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映画「霧の旗」/松本清張

2007-05-25 22:39:07 | 映画

「霧の旗」
・製作年度:1965年
・監督:山田洋次 
・原作:松本清張 
・出演:倍賞千恵子 、滝沢修 、露口茂 、新珠三千代 、清村耕次 、川津祐介 、近藤洋介
・概説:松本清張の同名小説を、山田洋次監督が映画化したミステリー作品。倍賞千恵子をヒロイン役に、獄死した兄の弁護を断った弁護士への復讐に燃える、一途な女の生きざまを描く。

先日「映画/霧の旗」のDVDを借りて見ました。
少し前の連休中、同じ松本清張原作の「ゼロの焦点」を見ました。
白黒作品ですが、独特の緊張感・重厚感があります。

最近の映画に較べると作品全体の雰囲気に統一感があり、見る者をひきつける「何か」があったように思います。

   ◇  ◇

20代の頃、松本清張の推理小説をずいぶん読みました。
「点と線」、「波の塔」、「砂の器」など等、もうストーリーは忘れていますが、いずれも社会派の推理小説として、ベストセラーとなっていました。

この頃は推理小説(当時、ミステリーとは呼ばれていなかった)の黄金期ではなかったでしょうか。

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出身地別の囲碁棋士人数

2007-05-23 16:09:46 | プロ棋士

日本棋院の月刊誌「碁ワールド3月号」に出身地別の囲碁棋士の人数が載っていました。

棋士の人数が多いのは東京(80)、愛知(23)、神奈川(19)、大阪(19)の順。
棋士数ゼロは岩手、山形、富山、滋賀、和歌山、徳島、香川、愛媛の8県。
人口当たり棋士数の割合では東京、宮崎、佐賀、山口、沖縄の順で西高東低のようです。

ただし、上記は日本棋院のみで関西棋院は含まれていません。
そこで関西棋院を含めた数を調べてみました。

棋士の人数では東京(80)、大阪(52)、兵庫(30)、愛知(29)、神奈川(19)の順。
棋士数ゼロは岩手、山形、富山、滋賀、徳島の5県。
人口当たり棋士数の割合では香川、奈良、宮崎、東京の順になります。

地域の囲碁活性度は囲碁人口や大会の参加者数、全国大会での成績などでしょうが、盛んな地域からプロが誕生するのも事実だと思います。

    ◇   ◇

囲碁関連の統計をとる場合、日本棋院と関西棋院が分かれているのは不都合なことが多いようです。
過去のしがらみなど理由はあるのでしょうが、大多数の囲碁ファンは統一組織を望んでいるのではないでしょうか。

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朝日アマ囲碁名人戦県大会/2007予選

2007-05-21 19:28:29 | アマ棋戦

Aimg_0403 昨日(5/20)は「朝日アマ囲碁名人戦県大会」の予選があり、大会運営のサポートをしてきました。

参加者は59名とほぼ昨年並みで、昨日は1回戦~3回戦でベスト8までの選抜、来週は十傑の決定戦となります。
注目は昨年の少年少女囲碁大会で県代表となった中学1年生と、女流囲碁大会の県代表。
中学生は1回戦で惜しくも敗退、女流は1回戦は勝ったものの2回戦では県内の強豪と当たり惜敗となりました。
ベスト8のメンバーをみると例年上位を占めている常連でしたが、少しづつ若返りの傾向もあるようです。

    ◇   ◇

注目の中学生ですが、対局内容は疑問な点が残りました。
相手が最後のダメ詰めの時点で時間が切れ、クレームをつけましたが受け入れられず、数えて僅差の敗退となりました。

隣りで対局していた常連の人が「時間切れで勝とうという根性がよくない」と憤慨していましたが、その通りだと思います。
未来ある中学生としては実力で上位を目ざしてほしいもの、今回の敗退をバネに心技にわたる高段者になってほしいと思います。

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県内高校囲碁個人戦/2007

2007-05-19 21:37:07 | アマ棋戦

Aimg_0381 今日、午前中は先週に続いて県内高校囲碁の個人戦を見てきました。参加者は61人、昨年並の参加者数でした。
代表クラスの実力は昨年に比べると、やや低調のようです。

参加校も限定されており、囲碁人口の底辺拡大という面では先行きが心配です。
指導者の熱意で活動も活発になると思われますが、指導者の層が薄いのが実情のようです。

フォトアルバム

   ◇   ◇

今週始めの旅行以来、風邪気味で体調が思わしくありません。外出も億劫なので「ネット碁」をやっていますが、体調が悪いと集中力に欠け連戦連敗の状態です。
こんな時は静かにクラシックでも聴いているのが、ベストかもしれません。

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第62期本因坊戦第1局/高尾本因坊が半目勝ち

2007-05-18 13:27:29 | プロ棋戦

 5月10日から和歌山県白浜町で行われた第62期本因坊戦七番勝負の第1局は、高尾紳路本因坊(30)が挑戦者の依田紀基九段(41)に先番半目勝ちし、3連覇へ向けて幸先よいスタートを切った。
第2局は5月22、23日、韓国・済州島の済州新羅ホテルで行われる。

 布石から中盤、終盤と、それぞれで両者の気合の入った応酬が見られる中身の濃い碁だったが、高尾がきわどく勝ち切った。
 依田が本領を発揮して終局直前まで優位だったが、高尾があきらめずに食らいついて逆転を果たした。

<高尾本因坊の話>
 序盤からずっと悪いと思っていました。ヨセの時点では勝負になったかと思いましたが、こちらも間違えて最後の方は負けを覚悟しました。運が良かったが、もうちょっといい碁を打たなくては。
<依田九段の話>
 封じ手ではいろいろ考えましたが、いちばん普通の手になりました。中央の捨て石からは少しよくなり、最後は半目勝ったかと思いましたが、最後はコウが弱いので半目負ける嫌な予感がしました。

            (毎日新聞より抜粋)

       ◇   ◇   ◇

名人・本因坊の2大タイトルを有し、本因坊位三連覇を目指す高尾本因坊と、本因坊リーグをプレーオフで挑戦者に名乗り出た無冠の依田九段の対決。第1局は両者の持ち味が発揮された接戦となりましたが、高尾本因坊が粘りきって先勝でした。

高尾本因坊は劣勢でも動じないところが勝負師としてすばらしいと思います。
依田九段の特長は形勢判断の明るさでしょうか、捨石の妙は当代随一でしょう。
重厚戦車:高尾と華麗な打ち手:依田の今後の対決が見ものです。

       ◇   ◇   ◇

Senjo 今回の対局地は和歌山県白浜町の「コガノイベイホテル」。
昭和30年代頃、新婚旅行の定番といえば「南紀白浜」、「熱海」、「宮崎」などでしょうか。昭和40年代以降になると「ハワイ」、「グアム」など海外組が多くなります。

従来は「結婚式+新婚旅行」がセットになっていましたが、現在はあまり形式にとらわれず個々のスタイルのイベントになっているようです。
冠婚葬祭も多様化の時代でしょうか。

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本因坊秀和の生誕地・伊豆市

2007-05-17 21:14:39 | 囲碁

旧友との伊豆ツアーの途中、伊豆市(旧土肥町)の最福寺を訪れました。
ここは「14世本因坊・秀和」生誕の地として、顕彰碑や秀和の資料が展示されてある「歴史郷土資料館」があります。

近くの「恋人岬」は観光客も多く有名ですが、「最福寺」は観光案内にも小さく載っている程度でした。場所も分かりづらく地元の人に聞いてやっとたどり着きました。

平日(月曜)の午後ということもあり、私たち以外は訪れる人もなく閑散としていました。
顕彰碑や資料館は囲碁ファンにとって大いに興味あるものですが、一般の人たちには面白くもないのでしょうね。

施設は田舎のお寺の片隅にポツンとあるという感じで、本因坊秀和も草葉の陰から苦笑いというところでしょうか。

囲碁ファンとしてはもっと施設を整備、PRして多くの人がこの伊豆から囲碁に関心をもってもらえればありがたいと思うのですが・・・。

  ◇   ◇   ◇

本因坊秀和は弟子の「秀策」に比べ知名度はイマイチのようです。
実力的には名人の域にあったようですが、幕末の混乱期であったことと、師の本因坊・丈和のような政治力に長けていなかったことが名人への道を閉ざしたといえそうです。

  ◇   ◇   ◇

以下、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
「本因坊秀和」
本因坊秀和(ほんいんぼう しゅうわ、文政3年(1820年) - 明治6年(1873年))は、江戸時代の囲碁棋士、14世本因坊。
伊豆国出身。幼名は土屋俊平、後に恒太郎、秀和。本因坊丈和門下、八段準名人。囲碁四哲の一人とされ、当時周囲にも名人の力量を認められていながら、幕末の混乱のために名人就位はならなかった。15世本因坊秀悦、17・19世本因坊秀栄、16・20世本因坊秀元は実子。
2006年に囲碁殿堂入り。

Aimg_0346 「顕彰碑」
1990年に生誕170周年を記念して、伊豆市の秀和の生家の隣にある最福寺に「秀和生誕の碑」が作られた。
「秀和生誕の地」の文字は坂田栄男の揮毫による。最福寺内の郷土歴史資料館には秀和の展示コーナーも設置されている。

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熟年伊豆ツアー/2007春

2007-05-16 11:38:09 | 旅行記

Aimg_0352 5/13(日)、14(月)と高校時代の友人4人で伊豆方面に行ってきました。
宿泊以外は目的地も時間も行き当たりばったりの旅でした。

新幹線三島駅に集合し、横浜在住のI氏の車で「三嶋大社」、「土肥/恋人岬・最福寺」、「天城/吉奈温泉(宿泊)」、翌日は「浄蓮の滝」、「河津七滝」、「伊豆高原/大室山」などを巡り熱海駅で解散という行程になりました。

道中の会話は以前に比べ家族や健康など年相応の話題に変化していましたが、グループの雰囲気は10代後半(1960年代)と同じものでした。

四十余年のサラーリマン生活を経た定年世代ですが、いずれも引き続き会社勤めをしています。
就職した時点では現在の姿は予想できなかったでしょうが、あの頃の個性・資質の延長線に現在があるように思います。

今までの人生設計は企業という組織の影響が大きかったでしょうが、これからは自分で考え判断していくことが必要だと思います。
与えられた自由をどのように使っていくか、これは人類に与えられた難解なテーマです。

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