先日、映画「呉清源 極みの棋譜」を見てきました。
監督/田壮壮、出演/チャン・チェン/柄本明、松坂慶子、他
感想を一言で伝えるのは難しい作品ですが、全体的には「清冽な映像の文芸作品」でしょうか。
これは見る人の立場によって印象は異なるでしょうね。
テーマは「日本と中国」、「人生観と宗教」、「戦争と平和」などが複合的になっていますが、それが作品を難解にしているように思えます。
囲碁ファンからすると、もっと勝負の厳しさ、面白さを前面に出してほしいと思いますが、それでは一般の人は敬遠してしまいますね。
難解な面もありましたが囲碁の歴史的な一部を映像として見られたことに、十分意義ある作品だと思っています。
◇ ◇ ◇
私の見た本作品の上映館は70席程度のミニ・シアターで上映期間も2週間、何とか時間の都合をつけ見ることができました。
メジャーなシネコンで上映してくれればと思いますが、地味な作品では採算上無理でしょうね。
でも本当に映画が好きな人は、マイナーなミニ・シアターの秀作・佳作が好きなのかも知れません。
今日は義理の甥の結婚式、2週間前にも姪の結婚式があり続いています。
式はどちらも式場内の教会、といっても宗教的な意味はないようです。
もう30年以上前になりますが、山仲間の結婚式が教会であり出席したことがあります。
現在の瀟洒な教会にくらべ、質素な建物でしたが厳粛な雰囲気だったように思います。
年々ショー的な要素が濃くなっていますが、これも時代の流れでしょうか。
◇ ◇ ◇
世の中、政治・経済など天下国家の潮流や人生等々、あれこれと考える人間ですが、その基盤となる最小単位が家族・家庭だと思います。
そういう意味で結婚式は親子・兄弟・親戚・友人などとの、「絆」を再確認する機会のような気がします。
ブラジル・サンパウロのホテルで1月12日から行われていた第32期棋聖戦七番勝負、山下敬吾棋聖(29)と挑戦者・(51)の第1局は、白番の山下棋聖が中押し勝ちした。
中盤戦で左上白と左辺黒が不安定となる中、山下棋聖が先手で地を稼いでリードした。
この後、絡み攻めを狙った中央白が孤立し、黒にも勝機が生まれたが、大寄せに入ってからの黒が失着。山下棋聖は右上隅で狙い澄ました手筋を放ち、黒をへこませて逃げ切った。
第2局は1月30、31日、島根県益田市の「島田家」で行われる。
<山下棋聖の話>
ずっと形勢を判断できなかった。ブラジル対局は体力面で大変だったが、無事に終わりホッとしている。
<趙十段の話>
出来が悪かった。七番勝負の感覚を忘れて不安だったが、その不安が的中してしまった。早く勘を取り戻して頑張る。
(読売新聞より抜粋)
◇ ◇ ◇ ◇
山下棋聖が冷静な打ち回しで初戦を白星で飾りました。これで第30期、第31期とも4連勝でしたので9連勝、凄いですね。
短時間の棋戦では時間が気になるそうですが、7番勝負はじっくり打てるということで棋風に合っているのかもしれません。
一方、久しぶりの7番勝負に登場した趙十段、7番勝負の感覚が戻らなかったのか不本意な黒星スタートなりました。初戦は敗れたものの百戦錬磨の大豪、巻き返しに期待しましょう。
2008年初頭の大一番、棋聖戦が始まりました。「冬将軍:山下棋聖」と「7番勝負の鬼:趙十段」の激突、熱き戦いは始まったばかりです。
◇ ◇ ◇ ◇
今回の対局地はブラジル・サンパウロ。人口は1,700万人でその1割近くが日本人及び日系人とのことです。
日本の裏側ということで移動が大変だったようですが、本対局は日本人移民100周年を記念しての企画ということで、会場設営など関係者も苦労されたことと思います。
棋聖戦が南米で行われるのは、第15期七番勝負で小林光一棋聖と挑戦者の加藤正夫九段が同じサンパウロを舞台に対戦して以来、17年ぶりとなるそうです。
ブラジル囲碁界にとって故岩本薫九段の存在は切り離せません。戦前、短い期間ブラジルに移住した時期もあったそうですが、私財をなげうってブラジルに囲碁センターを建設(他にオランダ、アメリカにも建設)した功績は、日本人の誇りといえましょう。
本棋聖戦第2局の開催地はその岩本九段の生誕地である島根県益田市、地元関係者の感慨もひとしおと思われます。
先週の「週刊碁」に「読者投稿/認定と私」という記事が載っていました。
読者10数人の感想やコメント記事ですが、認定問題を楽しみにしている人も多いようです。
私も上昇意欲旺盛の頃は「週刊碁」や「囲碁クラブ」の認定問題に応募し、結果に一喜一憂していたものです。
2~3年くらい続いたと思いますが、あの頃が一番棋力アップした時期ではないかと思っています。
その後はネット碁など実戦中心となり、認定問題から遠ざかってしまいました。
続けていればもっと棋力はアップしたと思うと残念です。
この記事に刺激を受け認定問題を再開しようかと思案中ですが、問題は根気が続くかどうかですね。
正月連休は一日おきくらいで自転車に乗っていましたが、この2週間ほどは旅行や寒さで休んでいました。
しばらく振りに1時間弱、走ってきましたが今日は寒かったですね。
利根川沿いのコース、下り(川下)は追い風でいいのですが上り(川上)は向い風で普段の倍以上のエネルギーを費やします。
ロードサイドの落葉樹も裸状態で景色も寒々としています。
それでもグランドでは寒風の中、少年野球の一団が声をあげてボールを追いかけています。
厳しい状況の中での練習を乗り超えて、飛躍があるのでしょう。
白球にかける一途な思い、元気の素をもらったような気持です。
囲碁雑誌「月刊・碁ワールド1月号」の特集は「新春座談会/23世本因坊栄寿&万波佳奈四段」でした。
坂田栄寿23世本因坊が、この2008年2月の誕生日をもって、88歳の米寿を迎える。
タイトル獲得数64、二度にわたる7冠王、当時の棋戦タイトルをすべて獲得する全冠制覇、30勝2敗(9割3分8厘)の年間最高勝率、公式戦29連勝、本因坊挑戦手合い17連勝など、数々の記録をつくりあげてきた囲碁史に残る大棋士である。
(碁ワールドより抜粋)
坂田23世本因坊の全盛期は昭和30年代の後半から40年代前半でしょうか。
私が会社の仲間と囲碁を楽しみ始めたのは昭和40年代の前半、坂田の円熟期の頃です。
当時、新聞・雑誌の囲碁欄も「坂田」で埋まっていたようですが、個人的にはスーパースターに対してやや敬遠するところがあり、全盛期を過ぎた高川秀格22世本因坊に親しみを感じていました。
坂田のライバルといえば藤沢秀行。戦歴からすれば坂田の方が一枚も二枚も上手ですが注目度ではひけをとっていません。若手の育成など、秀行軍団としての存在感はいまも健在です。
現在、坂田23世本因坊はあまり表の舞台に登場していませんが、囲碁棋士・勝負師としての生き方はライバル・秀行より、「潔さ、一途さ」の面で好感を持てます。
姪の結婚式が福岡市であり、1/13~15、博多~大宰府~湯布院を巡ってきました。
大宰府天満宮は受験シーズンでもあり、大変な賑わいでした。10時前に着き一周して帰る頃、参道は溢れんばかりの人でごった返していました。
名物の「梅が枝餅」を売っている店は20店ほどあるのですが、並んで待っているのはそのうち2、3店。待つのは大変だと思いながらも結局、30人ほどが並んでいる店で買うことになりました。人の習性って面白いものです。
あと韓国(一部は中国?)の団体観光客が異常に多いと思いました。韓国と神社はあまり縁がないように思うのですが、不思議ですね。
◇ ◇
大宰府から列車で湯布院へ。由布院駅を降りると正面に由布岳がそびえています。
湯布院が有名になったのはNHK連続テレビ小説「風のハルカ」(2005年下半期作品)の影響が大きいでしょうね。
ストーリーはあまり覚えていませんが、由布岳の雄姿は忘れられません。
由布院駅から金鱗湖へのメインストリートは賑やかでした。連休の影響もあるのでしょうが、九州の軽井沢といわれるのもうなずけます。
そしてここも大宰府同様、韓国の観光客の多さに驚きました。アジアが近くなっているのを実感した次第です。
◇ ◇
豆知識(湯布院と由布院の違い)
昭和30年に由布院町と湯平村が合併して湯布院町となりました。
昭和30年以前には“湯布院”という “湯”の字の付く地名はなかったのです。
それゆえ町全体を言うときは湯布院ですが、昔からある地名などは由布院と“由”の字を使います。たとえば由布院温泉、JR由布院駅、由布岳というぐあいです。湯布院の“湯”の字を使うのは比較的新しい言葉と町全体を指すときに使われているようです。湯布院観光協会とか湯布院旅行とか湯布院映画祭りなどに使われています。
● 平成17年10月1日 庄内町・挾間町 ・湯布院町が合併し、由布市になりました。
以上、「★よかとこBY・写真満載九州観光★」HPより抜粋
囲碁の第45回プロ・アマ本因坊対抗戦が12月23日、東京・池袋のサンシャインシティで行われ、本因坊高尾秀紳(31)が滝沢雄太アマ本因坊(26)に中押し勝ちした。2子(自由置碁)の手合割。通算成績はプロの27勝16敗2ジゴとなった。
(毎日新聞より抜粋)
◇ ◇
今日のTV番組「囲碁将棋ジャーナル(BS2)」は高尾本因坊のプロアマ本因坊対抗戦・自戦解説でした。
今年のアマ本因坊・滝沢さんの2子局。中央に大模様を張り元気いっぱいの滝沢さんでしたが、悪夢のような大技を食って敗退してしまいました。
高尾本因坊の作戦は「できるだけ定石は打たずに未開の分野で戦う」ということでしたが、これが功を奏した格好になりました。
あと滝沢さんの直線的な着手に「プロはこういうところは打たない」といっていました。「プロは負けない手を打つ」ということでしょうか。
アマ本因坊といえばプロに匹敵すると思うのですが、24時間碁と向き合っているプロの感覚を見せつけられた思いです。
高尾秀紳本因坊と井山裕太七段で争われた、 第3回大和証券杯ネット囲碁オープンの決勝戦は、12月22日に東京千代田区の大和証券グループ本社で行われ、白番の高尾本因坊が252手までで中押し勝ちし、第1回に続いて2度目の優勝を果たした。
また、同日には第1回大和証券杯ネット囲碁アマチュア選手権の各クラス決勝戦も行われ、25クラスの優勝者が決定した。
<高尾本因坊の話>
決勝の相手が今一番打てている井山七段なので、それほど自信はなかった。大和証券杯との相性の良さでなんとかなりました。
<井山七段の話>
仲間からは「普段の碁よりも、ネットの方が強い」といわれているので、今回はいけるかと思っていたのですが・・・。(高尾本因坊は)強かったですね。
(週刊碁より抜粋)
◇ ◇
井山七段が地で先行するも高尾本因坊が持ち前の厚みでジリジリと追い上げ、最後は抜き去った一局のようです。
高尾本因坊といえば目いっぱい時間を使うタイプだと思うのですが、早碁でもその強さを見せてくれました。
敗れた井山七段はいろんな棋戦で上位に登場し、今年は台風の目になりそうです。
本棋戦と合わせて行われた「第1回大和証券杯ネット囲碁アマチュア選手権」には全国から1,500人のエントリーがあったそうです。
最上位の覇王クラス優勝は2007年アマ名人・洪(ホン)マルグンセムさんでした。
ネット囲碁も年々拡大し、今や完全に市民権を得た状況になっています。
次回の大会にはエントリーしてみようかなと思っています。