「第47期十段戦五番勝負」の第4局が、4月16日、愛知県蒲郡市で行われ、黒番の張栩四冠がライバルの高尾紳路十段に中押し勝ちし、対戦成績を3勝1敗として初の十段位を獲得した。
張新十段はこれで五冠となり、囲碁界で現行の国内7大タイトル戦になった昭和52年以来初の快挙。これで通算獲得タイトルが28となった。張新十段は昨年、碁聖と名人を防衛し、天元と王座を奪取していた。
<張栩新十段の話>
きょうの碁は終始苦しくて、運がよかった。シリーズ通してうまく打てて、実力は出し切れたと思います。
責任はさらに重くなるし、やはりもっと国際戦でも結果を残さなくてはいけないと思います。
<高尾九段の話>
難しい碁で、あまりいいところはなく、コウ材をなくすような手を打ってしまいました。
(以上、産経新聞より抜粋)
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初の大記録について張五冠は「意識しないようにしていたが、3局目を勝った後、少しだけ考えた」と振り返った。これで日本の棋界を制覇した印象だが、「トップの中の一人であることは間違いないが、一番強いとは思っていない」とあくまで控えめ。
ただ、天元戦など1日制の4タイトルすべてを獲得したことに「持ち時間が4時間、3時間と短い方が自分らしい碁を打てる。その4タイトルすべてを獲得できたのは、自分らしい記録だと思う」と胸を張る。
一方で「ただ、今はまだ獲得したばかり。1年を終えた時、五冠のままであれば本当にすごいと思う」と今後の防衛戦に向け気を引き締めた。今後、七冠全制覇の期待も高まるが、「体力的にも棋力的にも今の自分では無理でしょう」と笑った。
(以上、中日新聞より抜粋)
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張栩・新十段は今回の奪取で国内7大タイトルのうち、棋聖(山下)、本因坊(羽根)以外の五冠を保持することになりました。大変な記録ですね。
現行の七大タイトルがそろったのは77年。これまでは4冠制覇が最多で、加藤正夫名誉王座(79、87年の2度)、二十五世本因坊治勲(83年)、小林光一九段(86年)、張(08年)の4人が達成。それ以前には二十三世本因坊坂田栄寿の6冠制覇(61、64年の2度)という記録があるそうです。
十段位を奪われ無冠になった高尾九段、残念でした。
本局では中盤まで優勢とのことでしたが、コウダテに構わずコウを解消したため、大石が死んで投了となりました。何か誤算があったのでしょうか。
十段位は失いましたが5月中旬から、羽根本因坊との本因坊戦七番勝負が始まります。こちらの方に全力を注いでいくことでしょう。
将棋界では現在、羽生・四冠が7大タイトルの半数以上を占め、過去にも大山、中原など長期にわたり一人の棋士にタイトルが集中する傾向があるようです。
囲碁界も今回、張栩・五冠の誕生で独占状態となりましたが、長期政権になるか、群雄割拠に戻るか、今後の覇権争いに注目しましょう。
本シリーズ第3局(4/9、木)と第4局(4/16、木)の間には、「世界囲碁選手権・富士通杯」の1回戦(4/11、土)、2回戦(4/13、月)が行なわれ、張・高尾の両者も出場しています。
1回戦は両者とも勝ちましたが、2回戦では張は李世ドル・九段に、高尾は李昌鎬・九段と韓国の優勝候補二人に敗れてしまいました。
この過密日程では体力がものをいいそうですが、もう少し余裕のある日程で対局してもらいたいと思いますね。
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今回の対局地は愛知県蒲郡市の「旬景浪漫 銀波荘」。囲碁・将棋の名勝負が何度も行なわれています。
蒲郡市は私の郷里より車で1時間ほどのところで、実家にいた頃は海水浴や潮干狩りに出掛けたものです。
20代前半の頃、夏期休暇に勤務先の先輩と蒲郡沖にある三河大島(無人島)へ海水浴に行ったことがあります。
船で島に渡り、そこから500mほど離れた小島までの往復を泳ぎましたが、浜辺の海水浴と異なり、海の深さや潮流を考えるとスリルがありましたね。
また泳いでいる時に時々「ヌルッ」としたものが身体に触れましたが、クラゲでしょうか。有害でなく助かりました。
真夏の太陽が降り注ぐ、青春の一頁を思い出します。