こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

誰もいない部屋で

2010年10月19日 | 日々思うこと、考えること
ガラスをステージにピシっと置くのが、私の密かな楽しみだ。
将棋の棋士が、盤上に駒をきれいな音で置くのと同じで、置く直前に親指の腹に一度当てる。

急いでやると、スライドガラスの端っこにひびが入るので気をつけなくてはいけない。
クレンメルのバネは長いアームがあったほうがいい。以前は、横から軽くおさえるだけのものだったのだが、これだと、ガラスを2枚載せられない。

ところで、誰もいない山奥で木が倒れても、その音は音といえるか?ということで、以前少し考えたことがあるが、それとは別の意味で、スライドガラスの音を聞いてしまった。
”山奥”を”部屋(鏡顕室)”に、”木が倒れても”を”スライドガラスをステージに載せる音”に置き換えてみると、私のしていることは、なんだろう、と思える。仕事として、標本を診て、診断して、診断書を書き、それがやがては患者さんの治療方針の決定につながる。そんなことは、あたりまえである。

ただ、一人誰もいない部屋でスライドガラスをぴしぴしやっていると、ふと、人の営み、否、生きとし生けるものすべてが、何かの目的のために、生きているのだろう、と思う。そして、無生物までもが、みな平等に有為転変にあって変化し続けていることに思いいたる。

”この世界”は一つで、一つの方向に“この世界のすべてが”向かっていて、『年を取る』、『朽ちる』ということも、その方向の一つの表現型なのだろう。