よく、人生には無駄なことなど一つもない、という。
確かに身の回りに起こることはすべて有機的につながっていて、どんなにつまらないことであっても切り離すことはできない。
だから、無駄ということなどない、というかといえば、そんなことはない。
私の人生なんて、振り返ってみれば、無駄ばかりの人生だと思う。
太宰治は「恥の多い生涯を送って来ました」といったけど、さしずめ不肖コロ健は「無駄の多い生涯を送って来ました」だ。
あのときああしておけばよかった、ということばかり。
勉強、練習、進路、対人関係。なぜ、ああしなかったのだろう。どれもこれが時間の無駄。
すべてにおいて、失敗ばかりだった。今でもそんなことを繰り返している。
失敗はしなくていいものだから、失敗であり、失敗に対してはそのツケを払わなくてはいけない。
半分も残っていないこの先の私の人生、これまでのツケを払うという、更なる無駄のために生きていくというのが、とても残念なことだ。
まあ、そうはいっても、もともと人生、ツケを払うために生きるものだと思えば、多少は気分も楽になる。
確かに身の回りに起こることはすべて有機的につながっていて、どんなにつまらないことであっても切り離すことはできない。
だから、無駄ということなどない、というかといえば、そんなことはない。
私の人生なんて、振り返ってみれば、無駄ばかりの人生だと思う。
太宰治は「恥の多い生涯を送って来ました」といったけど、さしずめ不肖コロ健は「無駄の多い生涯を送って来ました」だ。
あのときああしておけばよかった、ということばかり。
勉強、練習、進路、対人関係。なぜ、ああしなかったのだろう。どれもこれが時間の無駄。
すべてにおいて、失敗ばかりだった。今でもそんなことを繰り返している。
失敗はしなくていいものだから、失敗であり、失敗に対してはそのツケを払わなくてはいけない。
半分も残っていないこの先の私の人生、これまでのツケを払うという、更なる無駄のために生きていくというのが、とても残念なことだ。
まあ、そうはいっても、もともと人生、ツケを払うために生きるものだと思えば、多少は気分も楽になる。