この間、病院近くの公園を歩いていたら、石の碁盤をみつけた。
この碁盤をはさむ形で、対局者用の石の腰掛けが据えてあり、さらにその横には観戦者用の石の腰掛けも据えてあった。
”おかめ(傍目)”用の腰掛けである。
おかめはちもく【傍目八目】という言葉がある。
広辞苑によれば、「他人の囲碁を傍で見ていると、実際に対局している時よりよく手が読めること。転じて、第三者には、物事の是非、利・不利が当事者以上にわかること。」とある。アニメの「ヒカルの碁」は好きだったのだが、私は囲碁ができないので、八目がどれほど有利かはわからないが、八手も勝手し放題できればずいぶんなアドバンテージになるであろうことは想像に難くない。
囲碁(ちなみに私は将棋党)はあえて誰かと勝負し、競い合うゲームであるわけだが、人間生きていれば誰しもが誰かと競い合って生きている。競い合えば、互いに反目してしまうことだってある。
最近世間が殺伐としているけど、第三者の目をなおざりにしているから、ということはないだろうか。
公的な仲裁機関と言えば裁判所であるが、昨今の領土領海問題では立場によってそれが存在したりしなかったり。個人同士の諍いも絶えることがなく、傷害、殺人といった不幸な結末も多い。
人間もしくはその人間が所属する社会というもの、コトの渦中に自分が入ってしまうと客観的にそのものの是非が判断できなくなる。
なにか、行き詰まったとき、困ったときには、そのことに関して利害の絡まない誰かに相談するべきであるし、いつも誰か相談できる人を何人か確保しておく必要がある。
それこそが、国レベルでも、個人レベルでも求められる”成熟”ということだ。
今、そういう人(すなわち相談相手)がいなければ、すぐにでも探すべきだ。
なにごとも、独りよがりは禁物である。
なお、二つの碁盤にはさまれて将棋盤があったのだが、これには観戦者用の腰掛けはついていなかった。もちろん、デザインのためであろう。
この碁盤をはさむ形で、対局者用の石の腰掛けが据えてあり、さらにその横には観戦者用の石の腰掛けも据えてあった。
”おかめ(傍目)”用の腰掛けである。
おかめはちもく【傍目八目】という言葉がある。
広辞苑によれば、「他人の囲碁を傍で見ていると、実際に対局している時よりよく手が読めること。転じて、第三者には、物事の是非、利・不利が当事者以上にわかること。」とある。アニメの「ヒカルの碁」は好きだったのだが、私は囲碁ができないので、八目がどれほど有利かはわからないが、八手も勝手し放題できればずいぶんなアドバンテージになるであろうことは想像に難くない。
囲碁(ちなみに私は将棋党)はあえて誰かと勝負し、競い合うゲームであるわけだが、人間生きていれば誰しもが誰かと競い合って生きている。競い合えば、互いに反目してしまうことだってある。
最近世間が殺伐としているけど、第三者の目をなおざりにしているから、ということはないだろうか。
公的な仲裁機関と言えば裁判所であるが、昨今の領土領海問題では立場によってそれが存在したりしなかったり。個人同士の諍いも絶えることがなく、傷害、殺人といった不幸な結末も多い。
人間もしくはその人間が所属する社会というもの、コトの渦中に自分が入ってしまうと客観的にそのものの是非が判断できなくなる。
なにか、行き詰まったとき、困ったときには、そのことに関して利害の絡まない誰かに相談するべきであるし、いつも誰か相談できる人を何人か確保しておく必要がある。
それこそが、国レベルでも、個人レベルでも求められる”成熟”ということだ。
今、そういう人(すなわち相談相手)がいなければ、すぐにでも探すべきだ。
なにごとも、独りよがりは禁物である。
なお、二つの碁盤にはさまれて将棋盤があったのだが、これには観戦者用の腰掛けはついていなかった。もちろん、デザインのためであろう。