私には友達、友人、というものが多いのか少ないのか、それともいるのかいないのか。若い頃、そんなことをよく考えた。そういった時の結論として私には友達が少ないが、数人の親友ならいる、と考えた。だが、その親友たちともここ数年会っていない。
友達が少ない、というけれど、では友達は多ければいいのか。そういう風にはあまり考えてこなかった。友達とは一体なんなのだろう、と考えると、多ければいいというわけではないとも思う。
人間は所詮一人であり、誰も“私”の代わりにはなってくれない。友達、というものは自分の代わりになってくれるような存在では、当然ない。メロスにしても親友セルニンティウスの身代わりになることはできない。
どうも若い頃、私は、友達が多い=人気者のように考えていた。人気とは何か。幼い頃は親から受け継いだ天賦の才だけで人気者にもなれるが、大人になってからはそうもいかない。努力にしか、人気はついてこない。若い頃はそのことがわかっていなかった。努力しない人間には誰も寄ってこない。すなわち、必要とはされないのだ。
さらに、ある程度努力している人間はいくらでもいる。だから少しぐらい人気があるからといって、誰かに必要とされるほどではない。人気タレントの一人や二人、いてもいなくても私自身の人生に関係ない。
友達が多いとか少ないということは主観的な評価にしかすぎず、人それぞれは意識して相手を友達と思って接するわけではない。
年を取るに従って、友達はドンドン減る。亡くなったり、別れたり。でも、自分のことを必要としてくれる人が何人かでもいたら、それだけで人生はすばらしいものになるだろう。私にとっては家族、仕事仲間。さらには、顔は見えないが、私のブログを読んで下さる人。
そんな、私を必要としてくれる人がいるのだと思うと、友達が多いとか少ないとかいうことはどうでもいいことなのだ。