不肖コロ健、今から20年ほど昔、そこそこのイクメンだったと思っている。イクメンだったからといって、それがいいことなのかわるいことなのか、結果としてよかったのかなどわからない。よかったとすれば、子供がどう育ったかというよりも、いまだに私が妻に愛想を尽かされていないということかもしれない。そもそも子育ては夫婦のみならず、関わった人たち全ての結果なのでなんともいえない。
その頃、すなわち30歳で長男を授かったころのことを思い出すと、子育てには体力が要るものだとつくづく思う。まずは、子どもは抱かなくてはいけない。さもなくば、乳母車。大人の男が、4、5キロの赤ん坊を片手で抱えるのは簡単だが、それでももう片方の手で荷物をもつとなると、少々注意が必要になる。
だから、この間まで箸より重いものを持ったことの無いようなか弱き女性(これは言い過ぎだが)に対して、電車に乗ったら、乳母車は畳め、なんてそんな曲芸のようなことを要求していいのだろうか。
東京オリンピックの招致をはじめとして、日本は観光産業に力を入れていくわけだが、これに際して街なかのバリアフリー化を進める必要がある。そのとき、健常者の目線でダメなのは当たり前だが、これを子育て世代の人、とくにお母さん目線でしてもらったらどうだろうか。
子育てママがどこにでも行けるような環境ができたら、おそらくそれはお年寄りにも、体の不自由な人にも最低限生活できるものだろうし、それでも足りないところがあったらまたあとから追加すればいい。
昨日も、エスカレーターに乳母車で乗っている人がいた。危険だからダメ、というのは簡単だけど、ではその人がほかの方法で楽に上下階を移動する方法を考えてあげる必要があるのではないか、と思う。