昨晩の皆既月食は私の人生で何回目のものだったのだろう。理科年表でもみて調べたらいいのだろうけど、そういう意味ではなく、月食を見たという記憶そのものがない。
ブログを書くときに、昔のことを思い出そうとしても、いろんなことが忘却の彼方へと消え去っていて、多くのことは思い出せなくなっている。生きた記憶を残すのは、日記やブログやFacebookに写真や文章を残すのとは違う。なぜなら、自分の人生すべてをまるごとどこかに保存しておくことなどできないからだ。
今、この瞬間、生きていることそのこと自体が幸せだとすれば、ここに至った日々も、幸せへのプロセスとしては必要だったことになる。そして、そのことは記憶にとどめておくべきことだった。
私が生きてきたことを忘れてしまった理由の一つに、自分自身が人生と向き合ってこなかったということがあると思う。
あるときから、私は自分の人生から、少し身を引いて生きてきた。人生ということに深入りするのが嫌だったのだ。だから、私は私自身に対して傍観者であり続けてきた。だが、こうして生きてきた記憶が失われてしまっていることを自覚するとそれは私自身にとって、大きな損失だったのだと、やっと気がついた。
自分から逃げず、自分と真剣に向き合い、しっかりと生きていけば、この先の人生を思い出深い豊かなものにすることができるかもしれない。
このことが、生への執着の始まりであったとしても、今の私の思いなのだから、それは仕方あるまい。