いやなことは人にやらせるのが一番だ。それが悪事であればなおさらだ。自分の手は汚さないということ。
今日はあの地下鉄サリン事件から20年。13人もの人が理不尽に命を奪われ、突然の別れを強いられた。負傷者数は6300人にのぼる。時間は少しだけ違ったものの、あの日霞が関方面行きの丸ノ内線に乗っていた私にとっても消しがたい思い出だ。
そして昨日は、北アフリカのチュニジアで。楽しみにしていたであろう観光地にバスから降りたったところをテロリストに銃撃されて、21人もの人が理不尽に殺された。
テロによる殺人に大義はない。だが、昨今、連日のようにもたらされる悲しいニュースはこの蛮行が決してなくならないものであることを私たちに知らしめてくれる。
テロの実行犯は許しがたいし、その指示をした人間はもっと悪い。テロリストが逃げ延びることがあってはならない。自分で命を絶つか、捕まって裁きを受けるか。いずれにしても、ことをなした時に、その行為の重大さに気がつくのではないか。
お前がやれといわれてやった。それでも責任はとらされる。
テロ集団に属した時点でそうなることを覚悟するのだろう。どんな大義があって、そんな運命を選ぶのか。
いつまでたっても人間は何も見えず、愚かなままだ。