先日、子供にタバコを吸わせた親とか、覚せい剤を飲ませて死なせてしまった親とかの話があった。これに対して、大人失格というコメントが載せられていたが、これはもう大人かどうかという以前の問題だ。こういう人達は問題外とするにしても、では大人とはどういう人のことをいうのだろう。
大人になるというのには、二つの定義があるだろう。一つは肉体的に、もう一つは精神的に大人になるということ。肉体的には人間は20才ぐらいで成長が止まり、性的にも成熟して大人になると思われる。そこから先は鍛えていくしかなくなる。一方、精神的に大人になるのはいつまで続くのだろうか。このことの定義は難しい。
今日12/8は太平洋戦争の開戦記念日。戦争を始めた当時の政治的、軍事的指導者達は、結果として数百万人の命と未来を奪った。そのたぶん指導的立場にあった、エライ人達は果たして大人といってよかったのだろうか。その時はそれぞれの立場も言い分もあったのだろうけど、戦争は絶対的に悪なので、大人であればひとりひとりが戦争を止めなくてはいけなかったし、責任をとらなくてはいけなかった。だから、戦争を引き起こした人達は大人だったとはいえない。
大人になるというのは難しい。単に老成すればいいという訳ではない。社会生活を送りながらも、大人としての生き方ができなくてはならない。その要件は何だろう。
自分の人生に納得して生きること。
人の自由を奪ったり、陥れたりしないこと。
これらのことを満たした上で、今いる場所で与えられた役割を果たすべく努力をする。
不肖コロ健、今日でまた一つ年をとって、52歳。
「大人、という感じね」と、今朝妻にいわれたが、私はどれほど大人になっただろうか。
年ばかり重ねて、いつまでたっても大人にはなれていないように思う毎日だが、今日を自分はこうありたいと思う日にしたい。
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