6月に祖母が亡くなったので当家は喪中。年末・年始は持ち帰り仕事も少ないく暦どおり、のんびりしている。
この年末は、期せずして大掃除にはまっている。
読書記録を読むと、近藤麻里江の『人生がときめく片づけの魔法』を読みおえたのは4年前の12月24日だった。その後掃除のバイブルのようになったが、いまだに私は掃除が苦手だと思い込んでいた。
だが、先日来の大掃除の今日は第3弾。家の外壁洗いをやっている。といっても、最初は窓ふきをしていたのだが、門扉の汚れが目立つことに気がついた。
白い門扉にコケがついて緑色になっている。窓拭きついでに門扉を布巾で拭いてみたら簡単に落ちた。
これはいいと思って、門扉の前面の汚れをタワシで落としたらペンキのはがれ以外の所はそこそこ白くなった。
この門扉、後ろ側はもっとひどかったのだが、これも15分ほどで綺麗になった。
その後、仕事帰りに柄のついたタワシと手袋と非化学洗剤をLOFTで買って、今日は3回目。デッキのコケ落とし。泥のようにへばりついていたが、日差しにも手伝ってもらって思いのほかはかどって、日が暮れる前に終わった。
こうしてみると、私にも掃除ができるということがわかった。もちろん、子供の頃から大掃除として風呂場や便所、窓ふきなどは当たり前のようにやっていた。だが、片付けが苦手だったのだ。そのことで、私は掃除全体が苦手だというような錯覚に陥っていた。
掃除イコール片付けではなく、掃除にはいろいろあって、その過程で片付けることとか、磨くこととか、拭くこととか、掃除機をかけることとかいろいろあるのだ。
私は、顕微鏡をピカピカにして使うのが好きだ。病理の先生は結構汚いまま顕微鏡を使う人が多いが、私はそれができない。今回の門扉洗い、デッキ磨きはそれと同じような気がする。私は、片付けはあまり得意ではないけれど、拭いたりブラシをかけたりするのは、決して苦手ではない。掃除の一部は苦手だけど、一部は得意。そう考えたら、楽しくなる。
デッキ板の隙間の緑カビがまだ残っているのが気になるが、それ用のブラシが無いと難しい。
それに顕微鏡に比べると家はデカすぎる。無理せず、ボチボチやろうと思う。
喪中だからといって年明け早々に掃除をしたら、近所迷惑になるので年始は控えめにしようと思うので、大掃除は年末のうちに済ませよう。
もう右手が動かない