こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

いつからこんな私になったのか(5/8)中学から高校へ

2015年12月15日 | わたしのこと

この時は、同級生の一人が担任に私のことを相談してくれ、その担任から注意を受け、そのようなことをするのは収まった。

エスカレートする前にことが収まったのは私には幸運だったし、他人のことに無関心でない友人がいたというのも恵まれていたと、今では思える。


さて、こうして自分の心の奥底に分け入いることとなって、そこにある黒い塊のようなものを私は見つけ出してしまいずいぶん怖くなってしまった。

実際このまま行ってしまったらどうなることかと心配になって、昨日は一旦休んだ。

人格というものは一つの大きな出来事によって形成されるのではなく、小さな出来事の積み重ねによって生じるということを思い知る。

この、タールのような塊も私の人格の一つ。そしてその塊はべったりと心の底にへばりついていて、容易にはがすことはできそうにない。
だけど、その塊がある限り、私の魂は救われないこともわかっている。

その塊を取り除くためには、その全てを見つめなければいけない。


一昨日引用した一節は、こう締めくくられている。
『相手を自分と同じように大切にすれば、自分に対していい感情を持つことができる。』 逆に言えば、他人のことを大切にできない人というのは、自分のことがあまり好きでない、自尊心の低い人間になってしまう。 

自分のことが好き、というとうぬぼれとの境界があやふやになってしまうが、本当に自分のことが好きな人はまず他人のことを大切にできる人ということだろう。

 他人のことを大切にできない人、意地悪やいじめをする人というのは、そういう自分のことが好きになれず、結果として自尊心が低い人となってしまう。

それが、人のことを数値化してしか見ることの延長線上にあるとは、今まで気がつかなかった。

 

自尊心の大部分をすでに喪失してしまっていることなど気がつくことなく、私は何事もなかったかのように 、漫然とそのまま高校に進学した。

この頃、将来のことなどあまり考えないでいた。ただ、どうも自分は文系の科目が得意で、数学だの物理だのは苦手だと自覚するようになっていた。

 ダウン症の弟をなんとかしたいと医者になろうと思っていた時期もあったが、医者になることが自分のしたいことなのか、疑問に思い始めていたことは確かだったと思う。

自分の人生は、人のためではなく、自分のために生きるべきではないかと考えていたのかもしれない。

そして、このあと二度目の自尊心の喪失が訪れることとなる。

 いじめっ子は自尊心が低い

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