こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

いつからこんな私になったのか(7/8)医学部から病理医へ

2015年12月18日 | わたしのこと

医学部進学のため、高校二年から理系に進んだ。

1浪したが、共通一次の得点は志望校に届くほどには伸びず、結局私大医学部に入った。

紆余曲折はあったが、医者になる勉強は真面目にやって、医者になった。

その頃はまだ、臨床研修制度はなかったので、卒業してすぐに好きな科を選ぶことができた。

私はそこで、病理医になることを選び、母校とは違う大学の病理学教室に入局した(このことについては以前にも書いたことがあるので、繰り返さない)。

高名な内科医だった父は少しだけがっかりしたようだったけど、専門について注文をつけることはしなかった。

その後、私は結婚して、子供を授かり、育て、気がついたら50を過ぎていた。

家庭には恵まれたこれまでの人生だった。




だが、それとは別に、自分がなりたいと思っていた人生を自分で選ばなかった私は、社会的な意味ではずっと劣等感というか満たされないものを感じながら生きてきた。

そしてそれは意地悪という形となった。
こんな私になった原因が、偏差値のそれほど高くない大学に進学したからなのか、論文がなかなか書けなかったからか、学会でメインストリームにいられなかったからなのか、出世できなかったからなのか、いろんな原因を考えたけれど、分からないでいた。

だが、今回いろいろ考えて、それらのことは全く関係ないことだとわかった。

人生至る所に青山あり。

私はそんなことが分からないでいた。私は一体何を求めていたのだろう。




以前、三高という言葉があった。高学歴、高収入、高身長だったと思うが、とかく人は他人を数値化して、人を評価する。

ずるい人だと、このような数値など、相対的なものなのに、あたかもそれが絶対的なものと都合のいいように人に勘違いさせる。

長い間、私はその数値化のトリックに気付かないでいた。
それらの数値に意味が無いわけではない、数値化されたそれらのことに縛られてしまうことに意味が無いのだ。
偏差値ばかり考えていたら、結局自分が縛られることになっていた。


 人生は自分で選ぶ

 

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