こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

なかなか良いタイトルのはずだったのに

2018年07月19日 | 日々思うこと、考えること

年のせいだとはわかっているものの覚えておこうと思ったことを忘れてしまうと残念な気持ちになる。最近、忘れっぽいと実感するようになった。人の名前を忘れるなんてことは言うに及ばず、最近よくあるのは、思いついたブログのタイトルというか書くテーマをすぐに忘れてしまうということ。以前にも似たようなことを書いた記憶があるのだけど、その時どんなことを書いたか調べようと思ったのだが、検索ワードも出てこない。あれはいつ頃のどんな記事だったろうか。

それより、昨晩、夕食の前に思いついた言葉はなんだっただろう。妻の愚痴ともいえない話を聞いていて思ったことで、なかなか良いテーマだったはずなのだけど、忘れてしまった。妻が一生懸命話しているところで、「お、それブログのテーマにできる」などと言って、話の腰を折るのは失礼なことだし、結構シリアスな話だったから覚えているだろうと思って油断していたら、そのまま忘れてしまった。

一度考えた言葉だから、記憶のどこかに隠れているのだろうけど、今となっては妻が話していたことも半分ぐらい忘れてしまった。話の主題は覚えているけれど、その時自分が何をどう考えたかは覚えていない。何を考えたかを忘れてしまったおかげで、こうして今日のブログも書くことはできた。

人間というもの、いろんなことを実によく考えるものだ。思いついたことを全て深く考えることはできないけれど、その都度少しずつ考えをすすめたら人間的に”深化”できるかもしれないと思うのだけど、それがどうしてかなかなかうまく行かない。人間はどうして物事をどんどん忘れてしまうのだろう。神経の伝達速度の限界だろうか。どんどん蓄積されていくたくさんの”記憶”を常に言語化するために蓄積しておくということは無理なのだろうか。この辺りは機械に劣るところで、さっきも”忘れた”とか”備忘録”なんて入れて探してみたのだけど、改めて凄いと感じる。出てきた記事をそれぞれ読むと書いたことは鮮明に思い出す。

何年か後も私が元気で、このブログを続けていて”物忘れ”だかなんだかの話を書こうと思ったときに、似たような記事を探そうと検索をかけたらこの記事がヒットしてくるかもしれない。その時には、内容よりもむしろこのフゾクのリュウゼツランの写真を見て、話はそちらにいってしまうかもしれない。それはそれで楽しみなテーマで、その時に私はこのリュウゼツランのことを思い出すだろうか。

明日は明日で

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