こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

人間の視覚調整能力

2018年07月27日 | 日々思うこと、考えること

昨晩、鶴岡八幡宮の鳥居の上に、雲がホウオウの様な形で照らし出されていた。雲は結構な速さで動いていたみたいで、写真に収めることができたのは左の翼に月が隠れてしまう寸前だった。

普段から、目を使って情報を得て、それを統合して診断するという仕事をしている割に、自分自身の視覚というものがどの様な仕組みで、それらの情報がどの様に調整・処理されてアウトプットに至っているのか、細かい仕組みについてはあまり理解していない。

夜明け前の空のほんのすこしの明るさの差、機械(スマホのカメラ)は一つ一つのものの形態をはっきりと記録する。記録の再現性はほぼ永久だ。ただ、私がこの写真から得ている情報というのはここに映っているものではない。

私がこの写真を撮った時に感じたのは、東の空の明るさだけではなくて、カメラのフレームの枠外の風景を含めた辺りの明るさだ。

人間は、注目すべき所見を抽出し、そのことについて特によく解析する。

病理診断で言えば、正常組織の中に埋れているがん細胞を見いだすことだ。絵画でいえば、人物画では人の顔は詳細に書き込むが、周囲はむしろ大雑把に描くという様なこと。仮にいくら詳細に見えるといっても、今乗っている電車の車窓からの風景を眺める時に、窓枠に目が行くことはまずない。でも、写真だと、枠が入ってきて、「なんだこれ、邪魔だな」となる。

リュウゼツランの花は後、3段ぐらいが残っている。この写真のフレームのすぐ外には電線が写り込んでいる。トリミングして消したけれど、配置が少しずれてしまっている。頭の中ではリュウゼツランだけが見えているのだけど、写真だとそうもいかない。

花を見るにしても、下の方のすでにしおれてしまった花にはあまり目がいかない。とくに、先端部のつぼみの膨らみぐらいに興味がいって、そこを頭の中でズームしている。

昨日、書いたことだけど今週末は大型の台風がやってくる。今夜は私が主催する小さな研究会がある。小さめといっても、事前の参加予定者は30名。仕事帰りに参加してくださることを考えたら結構な人数だ。粗相のない様にしたい。明後日は割合大きめの学会でのシンポジウムでのプレゼンがある。準備状況は最後の詰めを残し、七割ぐらい。明日でなんとかなると思っている。

やっぱり心配なのは台風。今夜はしのげても、明後日は厳しそうだ。私自身が会場に行けるか少し心配。

みなさんお気をつけて

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