週末、妻が暑気あたりで調子が良くないので、昨日からナイト(フラットコーテッドレトリバー、7歳)の散歩は私が担当している。出勤前なので、ちょっと慌ただしいのだが、仕方ない。犬を一日中家の中に閉じ込めておくなんてわけにはもちろんいかない。竜舌蘭の開花を追うのも楽しみだ。
それに、これはこれで思わぬ発見があった。たったの二日だけど、夏の間の犬の散歩のタイミングがわかって来た。5時には起きだしてぐーすか寝ているナイトを起こして散歩に連れ出す。日の出前の空全体がぼんやりと明るい中というのは案外気持ちがいい。小鳥のさえずりもたくさん聞こえてくる。妻もこれなら苦にならないので、早くに起きだして散歩に出ていたのだろう。
竜舌蘭の開花は順調に上の方に向かっているが、下の方のは早くも散り始めている。
日の出前に歩いて驚いたのは、この時間帯に散歩している人が随分いるということ。朝は犬の散歩の人が4分の一、あとは普通の散歩の人というところだが、男性も女性も私よりも年上、団塊世代ぐらいの人が多い。カップルで歩いている人はほとんどいなくて大抵は一人。そういう人とすれ違うごと、挨拶をするのだけど、挨拶を返してくれる人とそうでない人がいる。男性の三割ぐらい、女性の一割ぐらいは”おはようございます”と挨拶しても何も返ってこない。全く無視されている場合もあるし、いかにも犬の散歩が目障りです、というふうの人もいる。犬を連れていない人同士の方がより仲良く挨拶をしている様にも見える。
私とナイトが歩いている先で、単独散歩のおじさん同士がすれ違いざまに、「おはようございます、暑いですね。今日はお早いですね」とこちらから歩いている人が声をかけたら、向こうからきた人が、「おはようございます。いや、今日はこれでも遅いんですよ」と返事をしていた。”おいおい、それはないだろう。”と心の中でつぶやきながら、そのおじさんとすれ違った。
こういうのを”男の片意地”というのかとふと思った。”片意地”とは広辞苑(第6版)によると”頑固に自分の考えを立てとおすこと。また、その性質”で、厳密にいえば私の使い方はこの場合違っているかもしれないけど、なんとなく語感が合った。
声をかけた人はともかく、声をかけられた人は人生の中でずっとそうやってきたのだろう。
「いい仕事したね」「いや、こことここ、失敗したからダメだよ」
「いい天気でよかったね」「いや、少し曇っているぐらいの方がよかったのに」
「お子さん、ご立派に育って」「いや、大学進学で失敗して」
とか、そんな感じだろうか。これでは話も弾まない。いつもそんな話に持って行くものだから、話が途切れ、話をする機会がどんどん減ってしまって、余計に話し下手になる。そうすると、余計意固地になって自分の世界に閉じこもってしまうことになる。随分と気の毒な、というか寂しい人生だ。
とかなんとか、実はその人たまたま口からそう出てしまっただけで、いつもは違うかもしれない。あくまでも私の勝手な想像だ。
自分から人との関わりを持とうという人、ハナから人と関わりなど持ちたくない人、関わろうと思っているのにできない人、色々な人がいる。
どんな子供だったのだろう