こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

人生100年時代の健康・・・下(第65回日本病理学会秋季特別総会に寄せて)

2019年11月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
立冬。
そう聞くと、晴天なのに日差しは余計に弱まって、冬らしさを増す。

つくば国際会議場で昨日から行われている第65回日本病理学会秋季特別総会に参加した。総会のテーマは”病理診断は学問か?医学研究か?”。臨床的事項である病理診断(業務)と学問、研究に連結させて考えることが可能なのかはわからないが、およそ”医学”といわれる学問は臨床事項に基づいて発展しているので、臨床医学=学問であり、病理診断は臨床医学の一分野であると考えたら、病理診断は学問、医学研究に直結する。そして、その総体としての”医学”は人間の寿命の延長に大きく寄与してきた。

昨日に引き続き、人生100年時代の健康とはなんなのかということを考える。加齢とともに、感覚、運動、認知、学習などなど、身体機能の多くが失われていく。それぞれの機能のピークは年齢によって異なるものの、運動機能などは早い段階から低下していく。代わりに経験値などは多少蓄えられるが高が知れている。機能の維持が精一杯だ。
それぞれの機能に関わる臓器の組織学的変化を加齢による(自然の)変化と考えるか、防ぎうる変化であると考えるかは難しい。血管の病気(動脈硬化)とそれに伴った脳血管障害、心筋梗塞などであれば、因果関係がある程度わかるからいい。でも、高齢者に多く発生するがんの発生に加齢がどの程度加わっているのか、個々の細胞の分子異常とかテロメアの機能がわかってきたところで、わからないことは多い。
私の細胞サバイバル説も馬鹿にしたものではないと思っている。

100年生きるとはどんな感じなのだろう。100歳まで生きることはないだろうが、仮にその歳まで生きたとしたら、私はその時何をやっているだろう?何をどれほど考え、何を書いているだろう?走ることも、歩くことすらままならず、それでも必死に何かを口に入れて生き続けているのだろうか?それ以前に、これまで生きてきた人生分の時間をもう一度生きるなんてこと自体、とても想像ができない。

病理学会で話を聞きながら、病気のことを色々と考えてみた。加齢とか健康とか余計にわからなくなってしまった。病理医のくせしてそんなこと結論づけられないのかと言われてしまうだろうけど、私にはわからないことばかりだ。
今回考えてみて、ぼんやりとだけどわかったことといえば、人間命ある限りしっかりと不摂生をなるべく控え、健康というか老化を遅らせながら生きていくことが大切だということだ。

質問したら疲れた

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