こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

通勤でのスマホのストレス

2019年11月27日 | 通勤・交通・旅行
 歳のせいもあるのだろう、通勤中に気になる事が増えた。通勤中に思うことというのはこれまでにもたびたび書いてきたので、ずいぶん前から精神的に老け込んでいたともいえる。このブログを書き始めたのは40をすぎてからなので感性はすでに中年男のそれではあった。学生時代、通学を苦にしたことはなかった。いまさら、目新しいことはないが、思い出したようにここに不満を述べたて日々の通勤ストレスのガス抜きをしているだけだと言われたらそれまでかもしれない。

 毎日手を変え品を変え私を襲ってくる、それぞれの出来事に対して、いちいち目くじらを立てていたら血圧が上がりっぱなしになってろくなことはない。そんなことわかっているのだけどそれにしてもマナーというか周囲への気配りというものが失われてきている。そして私自身もそうしているのだから始末に負えない。

 通勤で以前と大きく変わったのはスマホの出現とそれによる環境の変化だ。ずいぶん長い間ガラケーで記事を書いていたが、推敲、誤字脱字のチェックなどスマホを使えるようになってずいぶん楽になった。車内を見回すと私を含め7割前後の人がスマホの画面を覗き込んでいる。私のもそうだが、何がそんなに入っているのかわからない大きなリュックを前に抱えて周りから文句を言われないようにと気を使いながら自身の小さな世界を守っているようにみえる。

 そして、そのスマホのマナーが時々とても気になる。最近気になるのはスマホの突き出し。狭い車内で画面の文字がよく見えないからか、少し遠目に見る中高年の突き出すスマホが背中にぶつかってくると困る。覗き込んでいる画面を押し返すわけにもいかず、かといって体をずらしても鬱陶しそうに睨まれる。「そもそもあんたが!」と心の中で叫びながら、次の駅でドアが開くのを待つ。

 あとはホームでのこと。ラッシュ時に駅のホームを歩くにはホームの端を歩くしかないのだけど、先頭には立っている人のほとんどがスマホをホームに向かって突き出している。一歩下がっていてくれたらいいのだけど、ホームから人がこぼれそうになっている状況だから点字ブロックギリギリに立ってスマホを突き出している。目の不自由な人が気の毒だということもあるが、健常者にしても、肩がぶつかりやしないかとひやひやしながら歩かなくてはならず、はなはだ迷惑だ。などと思いつつ、さらにはホームに落ちやしないかと冷や冷やしながらホームの端を歩いている私もあまり褒められたものではないし、自分が先頭に立っている時に邪魔にならないように常に意識しているか、心配になる。
 
 たぶん、私が今時の学生だったらこんなことまったく気にならなかっただろうと思うと、若者が変に偉く見えてしまうのは若さへの劣等感か。

人の振り見て我が振り直せ

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