昨夜の雨が夜中のうちに雪になることはなかった。雲に覆われていたおかげか気温は5度。天気の移り変わりのサイクルが少しずつ早まり、春が近づいていることを感じる。新型コロナウイルス感染症の感染爆発はとどまるところを知らず、検査資材の不足が問題となっていて、私たちの病院でも2週後あたりにくるピークの時期に、いかに効率的に運用するかで頭を悩ませることになりそう。水際対策でホテルの一室に閉じ込められている娘はずいぶんきつい状況のようで、少々のことでは音を上げないできたが、今回は大変だと妻にこぼしている。私だったら9分9厘気が変になっているだろう。
電車内で、喫煙者を注意した高校生が逆ギレされて重傷を負ったとか、運転手が助手席のインコに気を取られて2人が亡くなった交通事故とか、気の毒な事件が日々あいかわらず起きている。まともな人が理不尽な状況に陥ってしまうというのは何故なのか。だからそれを理不尽というのだろうが、なんともやるせない。だから、理不尽だの、やるせないだのといった言葉があるわけで、多くの人が同じようなことに直面し、同じような気持ちを感じるのだ。
そもそも、なぜ自分は存在し、生かされているのかを考えてみると、わからなくなる。遺伝情報の担体としての自分の身体を育み(最初のうちは親など年長者により育まれ)、守ることが生きるということなのだろうが、では、逆に”生かされている”と考えた時、自分の遺伝情報が必要なものなのかという疑問が生じる。遺伝情報の多様性が生物の存続のために必要であり、そのために様々な遺伝情報が組み合わせるのだが、その結果が今の文明化社会だとしたら結果としてはどうであっただろう。
そんなふうに考えなくても、この社会は未来のより洗練された素晴らしい社会ーユートピアーに至るまでの過渡期と考えたらいいのかもしれないが、その只中にいる私たち現代人はまだまだ発展途上の未開の社会さしずめディストピアにいるということだ。
理不尽なことを積み重ね、その一つ一つずつからほんの少しだけ前に進む。そうやって、人間は進歩していかなくてはいけないのだが、残念ながら寿命があって、毎度毎度同じような”学ぶ時間が間に合わない”未熟な人間があとをたたないのは残念なことだ。死の間際となれば多くのことに対する気づきがあるかもしれないが、認知症にでもなっていたらそれもままならない。これもまた、やるせない。
考えながら生きる
やるせない 遣る瀬無い:心のやりどころがない。思いを晴らす方法がない。胸が鬱積して心が晴れない。
りふじん 理不尽:道理を尽くさないこと。道理に合わないこと。無理無体(強いて行うこと。無法に強制すること)。
ユートピア utopia:トマス=モーアの造語で、どこにもない良い場所のこと。想像上の理想的な社会。理想郷。↔ディストピア(暗黒郷、地獄郷)
広辞苑 第6版より