こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ファストファッション時代のコート大臣

2022年11月18日 | 日々思うこと、考えること
このところの朝の気温は12度前後と、いよいよ冬らしくなってきた。
ポインセチアの短日処理は思ったように進まないでいるが、クリスマスを目標にせっせと出し入れを続けようか、それとも、常夜灯の光が届かない裏庭に置くことにしようかと考えている。
というのも、夜中はポインセチアを玄関横のクローゼットに入れるのだが、コートの出すのに朝ここを開ける必要に迫られるようになってきたのだ。
体は寒さに徐々に慣れてきているのであまり苦痛ではないが、コートはもう手放せない。

そのコート、私は今8着か9着持っている。
4着ほどは自分が10年以上前から使ってきたもので、袖の擦り切れも目立つようになってきたものもある。

最近、義父と父から回ってきていた形見のフロックコートを着るようになった。
義父からのと父からのがそれぞれ2着、グレーと黒と濃紺と柄物。
義父も父も私より少し小柄だったが、コートとなると袖がちょっと短いぐらいであまり気にならない。
イニシャルが付いているが、義父のは致し方ないが、父の名前は健の字から始まるのでちょうどいい。
これに私の持っている古株のトレンチコートと皮のコートを着回せば、それだけで冬は楽に乗り切れそうだと思っている。

10年ほど前まではこういったコートは年寄りじみた感じがしたが、彼らの年に追いついてきてこういったものの良さがわかるようになってきたように思う。
また、かつての職場に勤務していた頃は片道30分近く歩いていたということもあって、ジャンパータイプのダウンの入ったコートの方が動くには都合が良かったということもあっただろう。

最近、妻からは場所を取るので、古着としてコートを処分してほしいと言われることがあるが、どれも私の小遣いで買うことのできるような代物ではない。
こうなると、私が以前から使ってきた袖が擦り切れてきた古参のコートを処分しなくてはいけないのかもしれないが、これはこれで愛着があって、そうやすと手放す気にはなれない。
SDGsというか、こんなのは当然のことだ。

ブランド物の洋服のうち売れ残りの余りものは廃棄処分にされるということが問題になっているが、初めてその話を聞いた時には耳を疑った。
ファストファッション時代となって、毎年莫大な量の服が生産され、その4割近くが廃棄されていると推測されるそうだ。
どうみても異常としか言いようがない状況だが、アパレル業界としては次々と買ってもらわなくては立ち行かない。
彼らからみたら私のような、ある意味”物持ちのいい”人間は、ただのケチでしかないだろう。
古着として再利用してもらうのもいいが、まだまだ着ることのできるものをわざわざそうやって処分してしまうのはどうも勿体無いと思われ、結局我が家のコート大臣として君臨しているのである。
一生もの

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