こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

いつからこんな私になったのか(6/8)進路

2015年12月16日 | わたしのこと

私はこれまでの恵まれた境遇にも、健康でいられたことにも、感謝の気持ちを持っている。

それらが自分の努力によるものではなく、ほぼすべてが人から与えられたものであることも知っている。

そのうえで、この話を書いている。

この話は、どうしてこんな(意地悪な性格の)私になってしまったのか、そしてそれはどのようにして形づくられたのかを知りたいと思って私が私の記憶を遡っているのであって、今の私の境遇に不平を言うためのものではない。

繰り返しになるが今の私の境遇に不平はない。

どうしてこんな私になったかがわかれば私はこれまで以上に自分の人生を納得して受け入れることができるのではないかと思う。

そして、この作業を通じて私の性格形成には、自尊心の低さが関わっていて、その原因の一つが中学受験を通じて培った偏差値で人のことを評価する、すなわち人のことを数値化してしか見ることのできない自分にありそうだとわかった。

人生には”たら”、”れば”がないこともわかっているが、その上でこの話を続けたい。

自分が進みたいという道は、自分が決めるべきだ。

当然といえば当然のことなのだが、そう簡単にできることではない。

古今東西、人にはどうしようもない出自があり、それに従って生きるしかない。そして、生きる道はその出自によって大きく規定される。

数ある職業のうち、医者というのは比較的早くからトレーニングが始まる。

従って日本では大学受験の段階で医者になることを決めていなくてはならない。他国の例はよく知らないが、大学の教養課程にいったんは皆入って、そこから進路が振り分けられるようなシステムになっていてもいいような気がする。

景気に左右されることの少ない職業といってしまえばそれまでで、これ以上は止めておく。

とにかく、ほとんどの医学部入試には数学がつきものであり、理系クラスへ進むことが必要となる。

すなわち、高校1年の段階で医学部を目指す、要するに医者になることを目指すことを決めなくてはいけない。

私には就きたい職業があった。向き不向きを含め、それが私の天職たり得たかはわからない。

だが、両親は私が医者になることを強く望んでいた。結局、高校1年の時点で、私は親の望みに応えるかたちで医者になることを受け入れ、理系に進んだ。

そとのきに自分が生きたいように生きることを選択しなかったことは、私にとってよかったのかそうでなかったのか、わからない。

贅沢な悩みと言われたら、それまでだろうし、別の私がこの私を見たら、ふざけるなと言うかもしれない。

その後の私の人生は、もう一つの、こうありたかったという人生の影をいつも意識しながら進むこととなった。

ただ単に、隣の芝生を見続けて生きてきただけなのかもしれない。

自分で自分の人生を選ばず、その上それを人のせいにして、自分の人生に対して責任を持つことを放棄した私は、自尊心を完全に失ってしまった。

 

文系理系は高校1年で

(高校入学時に決定しているところも多い)

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いつからこんな私になったのか(5/8)中学から高校へ

2015年12月15日 | わたしのこと

この時は、同級生の一人が担任に私のことを相談してくれ、その担任から注意を受け、そのようなことをするのは収まった。

エスカレートする前にことが収まったのは私には幸運だったし、他人のことに無関心でない友人がいたというのも恵まれていたと、今では思える。


さて、こうして自分の心の奥底に分け入いることとなって、そこにある黒い塊のようなものを私は見つけ出してしまいずいぶん怖くなってしまった。

実際このまま行ってしまったらどうなることかと心配になって、昨日は一旦休んだ。

人格というものは一つの大きな出来事によって形成されるのではなく、小さな出来事の積み重ねによって生じるということを思い知る。

この、タールのような塊も私の人格の一つ。そしてその塊はべったりと心の底にへばりついていて、容易にはがすことはできそうにない。
だけど、その塊がある限り、私の魂は救われないこともわかっている。

その塊を取り除くためには、その全てを見つめなければいけない。


一昨日引用した一節は、こう締めくくられている。
『相手を自分と同じように大切にすれば、自分に対していい感情を持つことができる。』 逆に言えば、他人のことを大切にできない人というのは、自分のことがあまり好きでない、自尊心の低い人間になってしまう。 

自分のことが好き、というとうぬぼれとの境界があやふやになってしまうが、本当に自分のことが好きな人はまず他人のことを大切にできる人ということだろう。

 他人のことを大切にできない人、意地悪やいじめをする人というのは、そういう自分のことが好きになれず、結果として自尊心が低い人となってしまう。

それが、人のことを数値化してしか見ることの延長線上にあるとは、今まで気がつかなかった。

 

自尊心の大部分をすでに喪失してしまっていることなど気がつくことなく、私は何事もなかったかのように 、漫然とそのまま高校に進学した。

この頃、将来のことなどあまり考えないでいた。ただ、どうも自分は文系の科目が得意で、数学だの物理だのは苦手だと自覚するようになっていた。

 ダウン症の弟をなんとかしたいと医者になろうと思っていた時期もあったが、医者になることが自分のしたいことなのか、疑問に思い始めていたことは確かだったと思う。

自分の人生は、人のためではなく、自分のために生きるべきではないかと考えていたのかもしれない。

そして、このあと二度目の自尊心の喪失が訪れることとなる。

 いじめっ子は自尊心が低い

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陶芸家 and/or お百姓

2015年12月14日 | 生き方について考える

昨日、高校三年の時の恩師の家を半年ぶりに訪ねた。定年前に退職して、陶芸家となり、かつ神奈川県の山奥で農業(ご本人は百姓といっている)をしていらっしゃる。二週間ほど前に、個展を開かれた時に譲っていただいた作品を取りにうかがったのだ。ちなみに、中学三年の時の担任とは別の人だ。

あいにくの小雨模様、山奥で霧がずいぶん出たが、私たち夫婦を温かく迎えて下さり、話も弾み、あっという間に時間は過ぎた。

多少のでこぼこはあるにしても、先生から見たら、教え子などどれも大した違いはないようだ。とすれば自分もその範疇、好かれたり好かれなかったりはあるのは当然、世間的には気楽に構えていきていけばよいだろう。

自分の人生を肯定的に捉えるか、それとも否定的に捉えるかは考え方次第。

 

 それをプラス思考で

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いつからこんな私になったのか(4/8)中学生活-2

2015年12月13日 | わたしのこと

私は母校が好きだし、今でも仲良くしている友人は何人かいる。素晴らしい思い出もたくさん残っている。

私が今のような意地悪な性格になったのに、わが母校は関係ない。

この学校に進んでしまった私が、その環境に対応できなかっただけの話だ。

中学三年の担任は素晴らしい先生だった。

ひょうひょうとした男らしい人だった。数学ができず、このままではいけないと思った私は、毎日問題を解いてノートを先生のところに持っていって添削してもらった。

その甲斐あってか成績は少しずつ上向いて、学年で真ん中あたりになった(卒業までこれを越えることはなかったが)。


ここで私にあることを起こした。

その事をここでつまびらかにする勇気はない。

そのことを起こしたとき、私は次のことができていなかった。

いつも開いている『うまくいっている人の考え方』の一節を引用する。

 82  相手を大切にする
自分に対していい感情を持ちたいなら、次のことを心がけよう。
 *相手を軽んじない。
 *相手を意図的に傷つけない。
 *自分より弱い相手をいじめない。
 *相手を自分と同じように大切にする。
 *相手も自分と同じように痛みを敏感に感じる人間だと考える。

“相手”という字を“友人”に置き換え、すべてを逆に言い換えたら、なにがあったかわかっていただけるのではないかと思う。

 

この本は、「自尊心」について考えている本で、自尊心を高めるための考え方が100挙げられている。

そのうちの一つが「相手を大切にする」だった。

前に読んだときには読み飛ばしてしまったが、自分の意地悪と向き合おうと思ったら、この一節を思い出し、引用した。

なぜ、このようなことをしてしまったのかそのきっかけは覚えていない。

けれど、その原因が、人を数値でしか評価できないという誤った人間性に基づくものだったのは間違いない。

他人は自分と同じ感覚を持つ人間であるということを私は知らなかった。

私の意地悪な考え方が完成されたのが、この頃だった。

偏差値とか順位でしか人を評価できない人間の完成であり、相手を大切にできない人間は、自分に対していい感情を持てない。

こうして私は「自尊心」を喪失した。

(明後日に続く)

 

 あれから35年あまり

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うまくいっている人の考え方 完全版 (ディスカヴァー携書)
ジェリー・ミンチントン
ディスカヴァー・トゥエンティワン

いつからこんな私になったのか(3/8)中学生活-1

2015年12月12日 | わたしのこと

中学受験生活を通し、私は偏差値という数値によって人のことを格付けすることが当たり前となった。
考えてみると、何もよりどころのない小学生だの中学生が、自分という存在を確かめるには偏差値は最も確かだったし、少なくともある特定の努力に対して応えてくれるものだった。

だけど、偏差値偏重がなぜ悪いのかその時の私にはわからなかった。 

とにかく、私は中高一貫進学校に入学した。

受験を経て同じような力の人間が集まってのんびりできると思ったら、全く違い、優秀な奴はいくらでもいて、私は凡人としてひたすら埋没した。もともと、たいしたことない成績(偏差値)で滑り込んだ中学生活は地獄となった。もともと苦手な数学はすぐに落ちこぼれ、英語にしても中学が決まってすぐに塾に通いはじめていた同級生たちからあっという間に置き去りにされた。所詮のんきな私の親達が、学校に全部任せておいてくださいという言葉を真に受けてくれたのは、ある意味助かりはした。

気がついたら成績下位グループいるのが当たり前となった。学力テストで隣の席の友人が成績上位者として張り出されるのをみながら、私はまるで血の池地獄でぷかぷかぷかしているようにもがいていた。 

ずっと下位を低迷していたからといっても、男子校だったせいか中学受験塾のようにバカにされるようなことは無かった。体格もよく、もともと明るい性格で劣等感をもつことはなかった。 外に出て、学校の名前を出せば一目置いてもらえた。だが、より偏差値の高い学校に対しての劣等感はいつもあった。

何も考えず、毎日を部活で紛らわし、友人と遊び暮らした。あとは、読書。旧制中学に入ってから落ちこぼれた少年が主人公の井上靖だの、青春に苦しむヘッセなどがおきにいりだった。 当然のことながら、残念ながらガールフレンドができることはなかった。

いじめをみたり聞いたりしたが、傍観していた。

 

 

そして、相変わらずの低空飛行のまま、私は、中学三年になった。

 心の底に降りていく

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いつからこんな私になったのか(2/8)中学受験-2

2015年12月11日 | わたしのこと

私の意地悪な性格の素地は、小学校高学年に経験した中学受験生活で作られたというところまでを昨日書いた。


中学受験では、意識的にせよそうでないにせよ、人をランク付けすること、人の足を引っ張ること、人に対して自分のストレスをぶつけること、勉強さえできたら何でもありだった。

その根拠は勉強の、というか、毎週の模擬テストの成績だ。 心の未熟な小学生がそのような感覚を身につけるのは簡単だった。

成績が自分の世界の全てだったし、それで親は一喜一憂し、塾の先生はほめてくれた。

受験という狂気の中では大人たちもまたおかしくなっていたから、子供が自分の心を防ぐなんてできないことだった。


進学校に行って一体何がしたいのかなど考えることなどない。

好きな本を読むことなどせず、ただただ毎日、好きでもない植木算だの旅人算、滑車の問題だのを解くことに明け暮れた。
個人教授を受けた人には、掛け算のときのかける順番で、算数ができないときめつけられた。

百円のリンゴが五個だろうが、五個の百円のリンゴだろうがどうでもよかろうにだ。

こんな理不尽な経験を通じて、私は人のことを偏差値だけで判断し、人間の多様性、多面性に目を向けることができなくなっていったのだと思う。

人というものを数値化できると若者というか、子供に勘違いさせるのが、受験というもののもつ愚かさだ。

 ISの少年兵教育と変わることはない。


結局、私は偏差値に従って、カタログで品物を選ぶように、第一志望から第五志望ぐらいまでの受験校を決めた。

そしてめでたく第一志望(願書を出した中で一番偏差値の高い学校)に合格し、本当は進みたかった第二、第三志望校は受験すらさせてもらえなかった。

こうして、私立中高一貫進学校に入学したのだか、ここから本格的な私の人格形成は始まったのだった。


( 明日に続く)

 今の学校教育は子供の心を育てていない

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いつからこんな私になったのか(1/8)中学受験-1

2015年12月10日 | わたしのこと

いったい、いつから私はこんなに意地悪な人間になってしまったのだろう。

昨晩、妻に意地悪なことをしてしまい、またやってしまったと思いながら同時にそんなことを考えた。

私の意地悪にさらされているのは、妻の他にも子供たち、まわりの人、さらには通りすがりの人まで多岐にわたる。
私は生まれつき意地悪な性格なのだろうか。
さすがにそんなことはないだろうが、多少はこの性格を良くする役に立つかもしれないと、いつからそうなったのかを考えてみた。

私の人生には記憶に残るいくつかのターニングポイントといえるものがある。

 誕生、弟のこと、小学校、中学受験、中学時代、高校時代、浪人、医学生時代、その後となる。

二十を過ぎたこの頃には性格はほぼ決まっているだろうからあとのことはいいだろう。
こう並べてみると、中学受験のあたりで性格が曲がっていったのではないかと思う。

 小学5、6年生でほぼ毎日塾に通い、小さな教室内でまわりはみんなライバル。

そんな所で知り合った同世代の人間との間に友情なんて育まれることはない。

体を造るのにも、最も大事な時期なのに日々塾との往復。

心身ともにのびのびしたい時なのに、ストレスはどんどん溜まるばかりだった。

塾のことはよく思い出す。

地域ではスパルタ式で有名な家族経営の塾だった。

生徒は板の間にぎゅうぎゅう詰めに座らされて勉強した。塾長婦人(国語担当)は大きなダイヤの指輪をしていたと、何かの時に母が言っていた。 

入塾テストになんとか受かり、その後は二番手クラスで推移した。

成績順などあまり意識していなかったのだが、ごくたまに私の名前が成績上位者に出ると、一番手クラスの子達から意地悪された。 

彼らにしてみたら、私あたりの“ちょいでき”レベルの人間が一番目障りであると同時に、つぶしやすく優越感を持ちやすい対象だったのだろうと思う。

はじめはそれが意地悪とは気が付かなかったが、だんだんと嫌な気がしてきた。

塾に行くのは嫌だったが親の期待を裏切ってはいけないと子供心に感じていたのだろう、過敏性大腸炎に苦しみながらも通い続けた。

その時は、意地悪でなかったのか、それとも単にいじめる対象が回りにいなかったのかわからないが、人に対して意地悪をした覚えはない 。

だから私は意地悪でない、その頃の自分が好きだ。

 小学校は楽しかった。仲の良い友人が何人かいたし、いじめもなかった。


こう考えると、中学受験が私の意地悪な性格を形成する素地となったのは間違いないと思う。


(この話、明日に続く)

 受験は“産業”

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さあ、また今日から。

2015年12月09日 | 日々思うこと、考えること

昨晩、家族が私の誕生会を開いて祝ってくれた。妻も子供たちも私に感謝してくれ、健康を願ってくれた。家族が近くも遠くもなく、適度な距離を保って暮らすことができているのは、幸せなことだと思う。そして何より健康には気をつけていきたいものだ。


そして今日、私にとっての、52年と1日目が始まった。
放射冷却で、今朝の気温は4.5度。あっという間に本格的な冬となった。今年もこうして次の季節を、健康に迎えることができたことに感謝する。

年を重ね、残り時間が見えてくると、その時その時を大切にしようと思える。人生の半分をとっくに過ぎて、これまでのことの大部分を忘れてしまってからそんなことに気づくとは、遅いぐらいだけど、人生に、いや時間の流れに遅い早いはない。



今がスタートでいい。
さあ、また今日から一日一日を大切に生きていこう。

 

無理はせずに

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私はどれほど大人になっただろうか

2015年12月08日 | 生き方について考える

先日、子供にタバコを吸わせた親とか、覚せい剤を飲ませて死なせてしまった親とかの話があった。これに対して、大人失格というコメントが載せられていたが、これはもう大人かどうかという以前の問題だ。こういう人達は問題外とするにしても、では大人とはどういう人のことをいうのだろう。



大人になるというのには、二つの定義があるだろう。一つは肉体的に、もう一つは精神的に大人になるということ。肉体的には人間は20才ぐらいで成長が止まり、性的にも成熟して大人になると思われる。そこから先は鍛えていくしかなくなる。一方、精神的に大人になるのはいつまで続くのだろうか。このことの定義は難しい。



今日12/8は太平洋戦争の開戦記念日。戦争を始めた当時の政治的、軍事的指導者達は、結果として数百万人の命と未来を奪った。そのたぶん指導的立場にあった、エライ人達は果たして大人といってよかったのだろうか。その時はそれぞれの立場も言い分もあったのだろうけど、戦争は絶対的に悪なので、大人であればひとりひとりが戦争を止めなくてはいけなかったし、責任をとらなくてはいけなかった。だから、戦争を引き起こした人達は大人だったとはいえない。



大人になるというのは難しい。単に老成すればいいという訳ではない。社会生活を送りながらも、大人としての生き方ができなくてはならない。その要件は何だろう。
自分の人生に納得して生きること。
人の自由を奪ったり、陥れたりしないこと。
これらのことを満たした上で、今いる場所で与えられた役割を果たすべく努力をする。


不肖コロ健、今日でまた一つ年をとって、52歳。

「大人、という感じね」と、今朝妻にいわれたが、私はどれほど大人になっただろうか。

年ばかり重ねて、いつまでたっても大人にはなれていないように思う毎日だが、今日を自分はこうありたいと思う日にしたい。

Googleからのプレゼント

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自分の人生に納得して生きる

2015年12月07日 | 生き方について考える

自らの人生に納得して生きている人を見るとうらやましく思う。

だけど、そう思われている人も、まだまだやらなくちゃいけないことはたくさんあると思っていたりするので、自分がうらやましがられてもピンとこない。

でも、自分の人生に納得しているから、少なくとも人のことをうらやましいとは思わない。

自分の人生が納得できず、納得して生きている人のことをうらやましいと思う人と、人生を納得して生きている人の間には隔たりがある。

自分の人生に納得できていない人というのは、人生に対して不満を抱いているばかりでいいことはない。

だけど、まだまだと思っていても自分の人生に納得して生きている人は、人生に対して不満はない。

そもそも人生に対して不満など持ってもしかたないのだ。

不満が不満を呼んで他人に対しても、さらには自分に対してさえ不満ばかりとなる。 

不満に費やすエネルギーは、多かれ少なかれ不要なもので、時間も心も消耗するだけで何も益することなどない。

人生損得で考えること自体、間違っている。

自分が好きなように生きる権利を保証されているならば(そうでない人が今、世界中であまりにも多いが)、それだけで幸せだし、その中で生きている自分の人生に対して不満を抱いたりしてはいけない。

自分の人生に納得して生きるとはそういうことだろう。 

ただ、生きていくうち、理不尽なことというのはある。

どれが理不尽で、どれは自分が引き起こしたか、ということの見極めは自分でしなくてはいけない。

 いいじゃない、それが人生

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幸せを失った人達のこと

2015年12月06日 | 日々思うこと、考えること

去年の5月、ナイジェリアで学校から連れ去られた、200人以上の女子学生達は今どうしているのだろう。思い出すたびに心が痛む。ISは10歳の子供を徴兵しているそうだ。日本でいえば小学校3年か4年。アメリカでは障害者施設でテロと考えられる銃の乱射事件があった。女性、子供、障害者。弱者ばかりが犠牲になる。ISに対する空爆で、少年兵が殺されたという報道をみた。ただ単に子供が殺されている。そして、戦いにかり出されるのは若者で、多くの人の将来が意味なく奪われていく。 

 

今日も、世界のどこかで、テロが起きている。今週はノーベル賞ウィーク。人類への貢献がたたえられるこの賞のお祝いのときに、文明の進歩がこの世の地獄を生み出しつつあるように思えてしまうのは悲しい。どうして、こんなことになってしまったのだろうか。貧富が固定化してしまって、テロでしか人生を打開できない人が増えているということだろうか。だが、自爆テロなどは打開どころか人生を終わらせるだけでしかない。

この間、テレビで某大金持ちが「一時期、右翼が僕に嫌がらせをしてきたけど、僕、タワマン(タワーマンション)の上の方に住んでて、下のほうでなにかやってるなー、ぐらいで(笑)。下のほうの人たちは大変だったみたいで、迷惑かけちゃったみたいなんですけどね(笑)。」と話していた。まさに、これが実態。世の中を変えよう、良くしよう、はたまた破壊しよう、と思ったところで、犠牲になるのは市井の人だけだ。世の中を支配している人たちは変わらないし、社会システムも変わらない。もちろん、貧富の差も変わらない。階級闘争というか、そういう話ではないけれど、弱者が弱者を殺しているに過ぎないということで、そういうことをしても社会は何も変わらないということ、そして、それならば殺人は不幸を生み出すのみで、何一つ意味が無いということを理解してほしい。だが、教育を奪われて殺人マシンとして育てられてしまった人々に、それを理解することはできないのかもしれない。 こうして、たくさんの人が当たり前の幸せを失っていく。

 日本人の私にできることは考えることだけか

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10歳の少年を戦場に=「イスラム国」非難―米軍時事通信 12月5日(土)8時51分配信

【ワシントン時事】中東などを管轄する米中央軍のライダー報道官は4日、過激派組織「イスラム国」が戦闘員を補充するため、少年の徴兵活動を拡大していると語った。同組織は徴兵年齢を引き下げており、現在では10歳の少年も対象になっているという。報道官は記者団に対し、「少年兵」の利用について「実に不快で、違法だ」と強調。「『イスラム国』が戦場で受けた損失を埋め合わせようとあがいていることを示している」と指摘した。「イスラム国」はこれより先、同組織に忠誠を誓う少年6人が拘束していたシリア治安部隊の隊員らを殺害する映像を公開していた。 

米乱射事件、銃撃戦で容疑者2人死亡 建物には爆発物か 朝日新聞 

米カリフォルニア州サンバーナディノの福祉施設内で2日午前11時ごろ(日本時間3日午前4時ごろ)、何者かが銃を乱射し、地元警察によると少なくとも14人が死亡、十数人が負傷した。車で逃走中に警察との銃撃戦で容疑者の男女2人が死亡した。現場にいた別の1人も警察に拘束されたが、どう事件にかかわったかは不明という。


古い貸倉庫

2015年12月05日 | 日々思うこと、考えること

冬服夏服など季節ものの品物はじめ、雛人形とか、五月人形といったものを預けるのに貸倉庫を借りている。倉庫といっても、お蔵のような倉庫の中にコンテナがたくさんあり、そのうちの小ぶりの1個を借りている。

今日はその倉庫にクリスマス飾りを取りに来た。こういうものは毎年すこしずつ増えるので、結婚してから25年近くにもなるとたいそうな量になっている。まあ、そういったものを年末になると取り出して家を飾る。

 

このお蔵のような倉庫、老朽化のため取り壊す予定で、近々向かいに建てた新しい倉庫に引っ越すとのことで、写真を撮った。コンクリート製の厚い壁でできていて、夏でも中はひんやりしていた。最近はトランクルームという名前でいろいろなものがあるが、ここは○○倉庫とズバリそのものだったが、まさに昔ながらの倉庫だった。

 さすがにできたのは戦後だろうけど

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私は妻にちゃんと伝えてきただろうか?

2015年12月04日 | 家族のこと

長男が生まれるにあたって、妻が仕事を辞めてから20年以上経った。当時はマタハラ、イクハラという概念もなく、当然のように職場から退場させられた。私が家に入るという選択肢もあるにはあったが、結局妻に我慢してもらった。大好きだった仕事を辞めるのは妻にとって、宝物を手放すようなものでずいぶんつらかっただろうと、今さらながら思う。

仕事を辞めるとき妻に頼まれたことが一つある。「私はこれで社会との縁がきれてしまうの、だから(コロ)健ちゃんを通じてしか、社会のことを見ることができなくなる。外の世界のこと、ちゃんと教えてね。」というものだ。

妻にそう言われた時は、「もちろんわかっているよ」などと返事したと思うが、果たして妻の真意を私は理解していただろうか。家庭で子育て中心の生活になるからといって、新聞もテレビもある。そういったものを見ていれば、社会のことなど私よりよほど詳しくなるのではないかといつの間にか思うようになっていった。子供たちが成長して、地域の子供会、学校のPTAの仕事をしているのを見ても、いろいろと社会貢献していて、けっこう充実しているじゃないかなどとも感じ、熱心にやっている時など、そのことに対して嫌みのようなことすら言った。もちろん、家のあれこれも手を抜くこと無くよくやっていたのにだ。

妻がそうやって家のことを切り盛りしてくれている間、私は自分のことしかしていなかった。もちろん自分なりに努力はしたし、給料はすべて家に入れてきた。それほど金のかかる遊びもしない。でも、家のことに関しては、全て妻任せだった。そして、それは妻の人生を家族のために使わせることだったではないかと思う。

 

時代が違うので、いまさら何を言っても始まらないが、20年前、子育て支援施策がもっと充実していたら、妻は仕事を続け、もっと自分のやりたいことをすることができたのではないかと思う。女性は家事、子育てのためだけに生まれてきたわけではない。それならば神様は紫式部に源氏物語を書かせることはなかったはずだ。

私を通じて社会を見たいと言った妻の気持ちが、私なりに少しわかる。子供を持ったところで自分の人生の方向を換えるというのは実は大変で孤独な作業だったのではないか。そういう困難を、妻一人にやらせてきてしまったように思う。なのに私は妻の頼みに十分答えてあげられなかったように思う。申し訳ないと思うけど、過ぎてしまったことを取り返すことはできない。遅きに失した感はあるが、これからでも少しずつやっていくしかない。

 女性に甘えてばかりでは

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私は妻の話を聞いてきたか

2015年12月03日 | 家族のこと

“妻の名言”などといって、妻に励まされたり、諭されたりしたことを忘れないようにとこのブログに時々書き留めている。それはそれとして私にはありがたいことだけど、では私は妻を励ましたり、勇気づけたりしたことはこれまでどれだけあっただろうか。

よくよく考えてみると、そのようなことを私は妻に対してほとんどしてこなかった。

朝、仕事に行って、ストレスを溜め込んで帰って来て、妻に向かってそのことをこぼし、励まされ、諭される。

だが、家や地域で、いろいろあって妻が感じたストレスは、だれが引き受けていたのだろう。もちろん、友人などと互いに愚痴をこぼし合うことはあるのだろうけど、連れ合いである私が一番そうしなくてはいけなかった。

結婚して、25年近くたって、そんな当たり前のことにいまさらながら気がついた。完全な輸出超過。

 

自分では、良き夫、良き理解者でいたようなつもりだったけど、実はそんなことは無かっただろう。妻がなにか話す時、上の空だったことは多いし、話を最後まで聞かないで、終わらせてしまったことも少なくない。もっと妻の話しに耳を傾け、よく聞いてあげるべきだった。

自分は外に出て仕事をして来る。どこかでそちらの方が偉い、といような大きな勘違いをしていたのではないだろうか。

妻は、そのことについて何も言わないが、悪いことをしたといまさらながらに思う。

夫婦仲というものがどんなものかは、それぞれの夫婦でずいぶん違うだろう。だが、コミュニケーションが大事なのはほとんどの夫婦に共通したことだと思う。

「普段からよく話しているから」ではちょっと足りなくて、自分が聞いてもらった分ぐらいは、相手の話も聞いてあげなくちゃいけない。

妻に対してすらできないようでは、世間の人に対してそんなこと、できるわけない。

あたりまえのこと

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すべては君に会うためだった・・・2015年11月の読書記録

2015年12月02日 | 読書、映画、音楽、美術

謹訳源氏物語、全56帖、十巻読了。日本の歴史の一つであるこの大作を先月読み終えることができた。

読み終えることができたのは何よりもこの謹訳のおかげであるのは間違いない。原文ではないから訳者である林望氏の解釈が多少なりとも入り込んでいるだろうが、十分客観的な現代語訳だと感じながら、いいペースで読み進めることができた。

第一巻を手にとったのが6月。通勤の往復、出張などの移動時間に読んで、およそ半年。 読み進めるうち、私の人生観は少なからず変わった。

昨年来いろいろなことがあり、へこんでばかりだったが、あれもこれもすべては私が源氏物語を読むため、いや私が源氏の君と彼を取り巻く多くの登場人物たちに出会うために出来したことだったのだと思うことにすればいくらか気も晴れる。

自分を超A級男子の光源氏になぞらえることなどとうていできないが、源氏にも人生の浮沈があったと思えば、私の人生もこんなものかとしみじみと思う。

先日、源氏物語絵巻が修復されたという話をテレビで知った。その時の報道を見て、この本の栞に描かれている絵が源氏が薫を抱いているところだとはじめて知った。 これが、もう10巻にさしかかっていたところ。そして、こんな大ニュースとして報じられるのを見て、源氏物語が日本文化と不可分と言っても過言ではないほどものなのだと知った。

内館牧子の『十二単を着た悪魔』を読んだのは9巻を読み終えたところ。当時のことを知るのに、ちょうどいい参考書となった。宇治十帖に入る前あたりで読んでも面白かったかもしれない。

2015年11月の読書メーター
読んだ本の数:3冊
読んだページ数:1132ページ
ナイス数:113ナイス

謹訳 源氏物語 十謹訳 源氏物語 十感想
20代男性、匂宮程度の好き者珍しくない。浮舟との房事の下りは官能小説。当時の人はこの辺りさぞドキドキして読んだのではないか。薫は八の宮のことを姫君達よりずっと慕っていた。薫は同性愛者で、女性は性愛の対象ではないからあれほど淡白だったのではないか。すごい物語だ。一方、浮舟の物語を読むうち、ふと玉鬘を思い出す。今も昔も女性は男次第、それとも千年前から男性が女性を虐げていただけか。日本の至宝、源氏物語全54帖読了。光源氏と過ごしたこのおよそ半年で私の人生は大きく変わった。これも謹訳のおかげ。林氏に深く感謝する。
読了日:11月21日 著者:林望


十二単衣を着た悪魔十二単衣を着た悪魔感想
林望の謹訳源氏物語を9巻まで読み終え、いよいよ最終巻というところで、娘が参考書に買ったこの本に出会った。読み始めてすぐに引き込まれた。筋は原典に忠実で、面白い。孤軍奮闘する弘徽殿女御の姿は映画での編集長そのもの。源氏物語には400人以上の登場人物がいるから、各人の視点からそれだけの数の物語が書けてしまう。源氏物語は老女房が語っているという形式だが、ここではそれが雷君の回想。ここまで凝るとは、内館牧子の源氏物語への愛情が感じられる。そしてやっぱり光源氏が大好きなのだろう。感動のラストでは泣けました。
読了日:11月10日 著者:内館牧子


謹訳 源氏物語 九謹訳 源氏物語 九感想
薫と匂宮、それぞれのおじいさん頭中将と源氏に比べるといかにも残念。まあ、2人とも二十代半ば、恋の駆け引き今も昔もこんなものか。女三の宮の降嫁あたりから、物語がずっしり重くなっている。別の作者の手によるように思えてしまうが、全体のストーリー展開からこの物語は無くてはならなかったのだろう。裏を返すとこのことが、源氏物語の完成度の高さを示している。三世代もみれば、人の愚かさが繰り返されることがわかる。あれほどいじらしかった姫たちも、自分たちがたどった道を娘たちに歩ませる。いよいよ次は最終巻、大団円となるのか。
読了日:11月6日 著者:林望

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浮舟

何度か読み直したいけれど

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