私はこれまでの恵まれた境遇にも、健康でいられたことにも、感謝の気持ちを持っている。
それらが自分の努力によるものではなく、ほぼすべてが人から与えられたものであることも知っている。
そのうえで、この話を書いている。
この話は、どうしてこんな(意地悪な性格の)私になってしまったのか、そしてそれはどのようにして形づくられたのかを知りたいと思って私が私の記憶を遡っているのであって、今の私の境遇に不平を言うためのものではない。
繰り返しになるが今の私の境遇に不平はない。
どうしてこんな私になったかがわかれば私はこれまで以上に自分の人生を納得して受け入れることができるのではないかと思う。
そして、この作業を通じて私の性格形成には、自尊心の低さが関わっていて、その原因の一つが中学受験を通じて培った偏差値で人のことを評価する、すなわち人のことを数値化してしか見ることのできない自分にありそうだとわかった。
人生には”たら”、”れば”がないこともわかっているが、その上でこの話を続けたい。
自分が進みたいという道は、自分が決めるべきだ。
当然といえば当然のことなのだが、そう簡単にできることではない。
古今東西、人にはどうしようもない出自があり、それに従って生きるしかない。そして、生きる道はその出自によって大きく規定される。
数ある職業のうち、医者というのは比較的早くからトレーニングが始まる。
従って日本では大学受験の段階で医者になることを決めていなくてはならない。他国の例はよく知らないが、大学の教養課程にいったんは皆入って、そこから進路が振り分けられるようなシステムになっていてもいいような気がする。
景気に左右されることの少ない職業といってしまえばそれまでで、これ以上は止めておく。
とにかく、ほとんどの医学部入試には数学がつきものであり、理系クラスへ進むことが必要となる。
すなわち、高校1年の段階で医学部を目指す、要するに医者になることを目指すことを決めなくてはいけない。
私には就きたい職業があった。向き不向きを含め、それが私の天職たり得たかはわからない。
だが、両親は私が医者になることを強く望んでいた。結局、高校1年の時点で、私は親の望みに応えるかたちで医者になることを受け入れ、理系に進んだ。
そとのきに自分が生きたいように生きることを選択しなかったことは、私にとってよかったのかそうでなかったのか、わからない。
贅沢な悩みと言われたら、それまでだろうし、別の私がこの私を見たら、ふざけるなと言うかもしれない。
その後の私の人生は、もう一つの、こうありたかったという人生の影をいつも意識しながら進むこととなった。
ただ単に、隣の芝生を見続けて生きてきただけなのかもしれない。
自分で自分の人生を選ばず、その上それを人のせいにして、自分の人生に対して責任を持つことを放棄した私は、自尊心を完全に失ってしまった。
文系理系は高校1年で
(高校入学時に決定しているところも多い)