読者の投稿 雪の思い出 =赤旗配達・選挙活動=
投稿募集「雪の思い出」には、新聞配達や選挙活動の苦労も多く寄せられました。まとめて紹介します。今回で「雪の思い出」掲載は終わります。
坂で動けなくなった車
待っている読者が
愛知県半田市 増間冨美子 76歳
私が15歳まで育った故郷は雪深い新潟県山古志村(現長岡市)です。雪の降る日は子どもたち20人くらいが一緒になり、小さい子を真ん中に前後を上級生が守っての登校でした。遅れまいと必死に歩いたことを思い出します。
今年1月15日の朝、大雪に見舞われました。その日は日刊紙の配達日、高齢の私たち夫婦は軽自動車で一緒に配達しています。昨夜から降りやまぬ雪に戸惑いつつ「待っている読者がいる」との思いで配達に出ました。
出かけてすぐ、踏み切り前の小さな坂で動けなくなりました。困っていたら犬を連れた男性が後押ししてくれましたがダメ。「おばあさん、もう3人ほど男を呼んでおいで」と言われ、近くの店の前で雪かきをしている男性にお願いして助けてもらいました。
あきれ顔で「早く家へ帰れよ」との注意も聞かず配達を続けましたが、およそ2時間の悪戦苦闘でした。無謀さに反省しきりです。
故郷では今もたくさんの雪の中で、たくましく暮らしているんだろうなあと、思いをはせました。
キツネが去るのを待つ
同じ所をグルグル
秋田県 藤田香織
いつまで待ってもやみそうにない雪の中を新聞配達に出かけました。目印の看板も曲がり角のお宅の赤い車もすっかり雪をかぶって見えません。見慣れた町並みはすっかり景色を変えています。
あれ、ここを曲がってはいけなかったのかと何度か引き返しました。一人っきりで迷いながら歩いていると、ふと子どもの頃、母に聞いた話が浮かびました。
母の弟(私の叔父)が雪降る中をお使いに出かけた時のこと。何時間歩いても目的地につかなかったばかりか、同じ所をグルグル歩いていることに気がついた。
キツネにだまされていると思い、まずは、落ち着いてキツネが去るのを待とうと一休み。雪がやみ、遠くにぼんやり見えるおうちを目印に無事用事を済ますことができたという話です。
叔父も私のように恐怖を覚え、キツネにだまされたと思ったのかな?いや、たんぼ道だったからもっと怖かったんだろうな。
昔話のように聞いていた話が、現実味を帯びて盛きました。
若いママさん「SOS」
バックはダメダメ
埼玉県日高市 杉田日出子 82歳
今から40年くらい前、関東地方に大雪警報が出され、外れるといいなあと思っていたら、予報どおりの大雪となり、配達を担当している、若いママさんからSOSが…。「『赤旗』日曜版を自転車で配達しきれない」と。
その頃私は自営業で、運転ができたので相棒と一緒に応援に。当時の軽自動車は今ほど大きくなく、運転もオートマでなく、マニュアルでした。
ここは七曲り、氷川神社の急坂、公民館わきとか、大変せまい道筋が多く前進のみと、変わった車の運行に読者も大笑いでした。Uターン禁止、バックはダメダメと、前へすすむだけの運行です。
坂道では私と車を激励して、3人がガンバレの唱和。自転車で30分くらいのところを3時間かかりぐったりでした。
北海道や東北、北陸地方の仲間たちは、冬の間中こうしてがんばっているのだと心の底から畏敬したものでした。
選挙カー降り時計は?
あった誰がここに
埼玉県春日部市 菅原加代子
今から7年前の春、市議選の応援で選挙カーに乗ることになりました。当日は朝から雪が降り、道路にもうっすらと積もっていました。
予定通りの応援が終了し、さて何時かなと腕を見るとないのです。45年前に初任給で購入した手動の腕時計が…。
私は夢中で雪道を暗くなるまで探し続けました。が、見つかりません。がっかりしつつ自宅へ戻りました。
数日が過ぎ、あきらめかけていたある日、駅トイレの棚に見覚えのある時計が!え~っ、誰がここへ!信じられませんでした。どうお礼をしようかと思いながら月日がたってしまいました。
雪が降ると、あの日の感動と人の温かさを思い出します。
たこのように新聞飛ぶ
豪雪地の配達思う
島根県江津市 川上テル子 72歳
「しんぶん赤旗」の早朝配達をしていますが、もう10年くらい前のことになると思います。その年の最初の配達の時、雪が降り、強風が吹いていました。
数軒目の配達時、新聞を手に車のドアを開けた途端に突風に襲われ、新聞が手から離れてアッという間にたこのように舞い上がり、飛んでいってしまいました。街灯の光に照らされた粉雪と、新聞がバラバラになって飛んでいった光景は、今でもはっきり覚えています。
配達部数に1部だけ余分が入っていることのありがたさを実感しました。それからは強風の時は特にしっかり新聞を持つことを心がけています。
雪の少ない私たちの地域ですが、豪雪の中、全国で早朝配達をしている人たちがいろいろなドラマを経験しながら配達しておられることに思いを馳せています。
200通超す投稿
今回は200通を超える応募がありました。紹介できなかったものの中には、昭和38年(1963年)の記録的な大雪「38豪雪」についての投稿が多くありました。その他「冬は毎日、馬ぞりで学校に通っていた」「大雪の中、助産師をお連れして無事、出産」「いじめを逃れて転校した豪雪地域で、人のやさしさに触れた」などがありました。たくさんの投稿、本当にありがとうございました。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年2月14日付掲載
雪の中ではありませんが、僕も赤旗配達中に新聞が突風で飛ばされたことがあります。
バラバラになって、回収しても、とても読者に届けられるようなものではない。
あの時も、1部余分にあって助かりました。
投稿募集「雪の思い出」には、新聞配達や選挙活動の苦労も多く寄せられました。まとめて紹介します。今回で「雪の思い出」掲載は終わります。
坂で動けなくなった車
待っている読者が
愛知県半田市 増間冨美子 76歳
私が15歳まで育った故郷は雪深い新潟県山古志村(現長岡市)です。雪の降る日は子どもたち20人くらいが一緒になり、小さい子を真ん中に前後を上級生が守っての登校でした。遅れまいと必死に歩いたことを思い出します。
今年1月15日の朝、大雪に見舞われました。その日は日刊紙の配達日、高齢の私たち夫婦は軽自動車で一緒に配達しています。昨夜から降りやまぬ雪に戸惑いつつ「待っている読者がいる」との思いで配達に出ました。
出かけてすぐ、踏み切り前の小さな坂で動けなくなりました。困っていたら犬を連れた男性が後押ししてくれましたがダメ。「おばあさん、もう3人ほど男を呼んでおいで」と言われ、近くの店の前で雪かきをしている男性にお願いして助けてもらいました。
あきれ顔で「早く家へ帰れよ」との注意も聞かず配達を続けましたが、およそ2時間の悪戦苦闘でした。無謀さに反省しきりです。
故郷では今もたくさんの雪の中で、たくましく暮らしているんだろうなあと、思いをはせました。
キツネが去るのを待つ
同じ所をグルグル
秋田県 藤田香織
いつまで待ってもやみそうにない雪の中を新聞配達に出かけました。目印の看板も曲がり角のお宅の赤い車もすっかり雪をかぶって見えません。見慣れた町並みはすっかり景色を変えています。
あれ、ここを曲がってはいけなかったのかと何度か引き返しました。一人っきりで迷いながら歩いていると、ふと子どもの頃、母に聞いた話が浮かびました。
母の弟(私の叔父)が雪降る中をお使いに出かけた時のこと。何時間歩いても目的地につかなかったばかりか、同じ所をグルグル歩いていることに気がついた。
キツネにだまされていると思い、まずは、落ち着いてキツネが去るのを待とうと一休み。雪がやみ、遠くにぼんやり見えるおうちを目印に無事用事を済ますことができたという話です。
叔父も私のように恐怖を覚え、キツネにだまされたと思ったのかな?いや、たんぼ道だったからもっと怖かったんだろうな。
昔話のように聞いていた話が、現実味を帯びて盛きました。
若いママさん「SOS」
バックはダメダメ
埼玉県日高市 杉田日出子 82歳
今から40年くらい前、関東地方に大雪警報が出され、外れるといいなあと思っていたら、予報どおりの大雪となり、配達を担当している、若いママさんからSOSが…。「『赤旗』日曜版を自転車で配達しきれない」と。
その頃私は自営業で、運転ができたので相棒と一緒に応援に。当時の軽自動車は今ほど大きくなく、運転もオートマでなく、マニュアルでした。
ここは七曲り、氷川神社の急坂、公民館わきとか、大変せまい道筋が多く前進のみと、変わった車の運行に読者も大笑いでした。Uターン禁止、バックはダメダメと、前へすすむだけの運行です。
坂道では私と車を激励して、3人がガンバレの唱和。自転車で30分くらいのところを3時間かかりぐったりでした。
北海道や東北、北陸地方の仲間たちは、冬の間中こうしてがんばっているのだと心の底から畏敬したものでした。
選挙カー降り時計は?
あった誰がここに
埼玉県春日部市 菅原加代子
今から7年前の春、市議選の応援で選挙カーに乗ることになりました。当日は朝から雪が降り、道路にもうっすらと積もっていました。
予定通りの応援が終了し、さて何時かなと腕を見るとないのです。45年前に初任給で購入した手動の腕時計が…。
私は夢中で雪道を暗くなるまで探し続けました。が、見つかりません。がっかりしつつ自宅へ戻りました。
数日が過ぎ、あきらめかけていたある日、駅トイレの棚に見覚えのある時計が!え~っ、誰がここへ!信じられませんでした。どうお礼をしようかと思いながら月日がたってしまいました。
雪が降ると、あの日の感動と人の温かさを思い出します。
たこのように新聞飛ぶ
豪雪地の配達思う
島根県江津市 川上テル子 72歳
「しんぶん赤旗」の早朝配達をしていますが、もう10年くらい前のことになると思います。その年の最初の配達の時、雪が降り、強風が吹いていました。
数軒目の配達時、新聞を手に車のドアを開けた途端に突風に襲われ、新聞が手から離れてアッという間にたこのように舞い上がり、飛んでいってしまいました。街灯の光に照らされた粉雪と、新聞がバラバラになって飛んでいった光景は、今でもはっきり覚えています。
配達部数に1部だけ余分が入っていることのありがたさを実感しました。それからは強風の時は特にしっかり新聞を持つことを心がけています。
雪の少ない私たちの地域ですが、豪雪の中、全国で早朝配達をしている人たちがいろいろなドラマを経験しながら配達しておられることに思いを馳せています。
200通超す投稿
今回は200通を超える応募がありました。紹介できなかったものの中には、昭和38年(1963年)の記録的な大雪「38豪雪」についての投稿が多くありました。その他「冬は毎日、馬ぞりで学校に通っていた」「大雪の中、助産師をお連れして無事、出産」「いじめを逃れて転校した豪雪地域で、人のやさしさに触れた」などがありました。たくさんの投稿、本当にありがとうございました。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年2月14日付掲載
雪の中ではありませんが、僕も赤旗配達中に新聞が突風で飛ばされたことがあります。
バラバラになって、回収しても、とても読者に届けられるようなものではない。
あの時も、1部余分にあって助かりました。