埼玉県を南北に流れる見沼代用水ですが、この用水沿いにはサイクリングロード(緑のヘルシーロード)があります。ところどころにあるサイクリングロードならよくありますが、この緑のヘルシーロードは見沼代用水の起点である利根大堰から、見沼代用水が東縁と西縁に分かれる旧大宮市内まで、ずっとつながっています。
今ではスポーツとは無縁の体型になってしまった私ですが、実はかつてこの緑のヘルシーロードを自転車で完走したことがあります。このときに、驚いたのが、高低差がほとんどなく、ずっと平らな道が続いていることです。自転車道となれば、多かれ少なかれ登りと下りがあるものですが、この道は橋を渡るところを除けば本当にどこまでも平らです。
これを知って、見沼代用水を作った井沢弥惣兵衛が、いかに難工事を仕上げたかを実感しました。高低差がないところに、水を通そうとするなら、雑な工事では水は途中で止まってしまいます。少しずつ、徐々に下っていくように、測量もして掘っていかなければなりません。
また、見沼代用水は、現在のさいたま市東部の「見沼ため井」の代わりに掘った用水です。そのためにはさいたま市東部まで掘らなければいけませんが、その途中には元荒川と綾瀬川が流れていて、その二つの川を越えるかくぐるかしなければなりませんでした。
元荒川はくぐることに、綾瀬川は上を越す(現在はくぐっていますが)工事を行い、伏越と掛樋は現在でも地名に残っています。これも相当の難工事だったでしょう。今、井沢弥惣兵衛の墓は伏越のそばにあります。見沼代用水とともに生きた生涯だったことでしょう。
今ではスポーツとは無縁の体型になってしまった私ですが、実はかつてこの緑のヘルシーロードを自転車で完走したことがあります。このときに、驚いたのが、高低差がほとんどなく、ずっと平らな道が続いていることです。自転車道となれば、多かれ少なかれ登りと下りがあるものですが、この道は橋を渡るところを除けば本当にどこまでも平らです。
これを知って、見沼代用水を作った井沢弥惣兵衛が、いかに難工事を仕上げたかを実感しました。高低差がないところに、水を通そうとするなら、雑な工事では水は途中で止まってしまいます。少しずつ、徐々に下っていくように、測量もして掘っていかなければなりません。
また、見沼代用水は、現在のさいたま市東部の「見沼ため井」の代わりに掘った用水です。そのためにはさいたま市東部まで掘らなければいけませんが、その途中には元荒川と綾瀬川が流れていて、その二つの川を越えるかくぐるかしなければなりませんでした。
元荒川はくぐることに、綾瀬川は上を越す(現在はくぐっていますが)工事を行い、伏越と掛樋は現在でも地名に残っています。これも相当の難工事だったでしょう。今、井沢弥惣兵衛の墓は伏越のそばにあります。見沼代用水とともに生きた生涯だったことでしょう。