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Kobby loves 埼玉&レッズ

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技術のMF(広瀬治)

2007-08-04 10:28:46 | 浦和レッズ
Jリーグ草創期を支えた浦和の名MF、広瀬治さん(現トップチームコーチ)の思い出です。広瀬は代表こそ一度も入りませんでしたが、長年浦和にとって、なくてはならない存在でした。Jリーグ開幕と同時にサッカーを見始めた(それ以前は高校サッカーしか見ていなかった)私にとって、FKは入らないもので、誰かの頭に合わせないといけないと思い込んでいました。

そんな誤った理解は、Jリーグが開幕して、ジーコやレオナルドといった有名外国人がFKを次々決めるのを見て、改まりましたが、それでも日本人、ましてや当時弱小チームだった浦和の選手が決めるのは無理だろうと思っていました。そんな中に、FKキッカーとして名を上げたのが広瀬です。

広瀬と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、博多の森のアウェー戦で、同じような位置から2年連続でFKを直接決めたことです。当時の浦和サポは、FKのチャンスが来ると「ヒロゴール」と歌い、広瀬の直接FKを期待していました。広瀬のゴールといえば、1995年の1stステージの大宮サッカー場で、横浜FM相手に決めたVゴールが印象にあります。

あのときは、当時スーパーサブでブレイクした福永の投入で流れを変え、広瀬のミドルシュートがゴールに突き刺さって浦和は感動の勝利を挙げました。この勝利を喜んだオジェック監督が、Vゴールと同時にピッチに入り込んで、選手と抱き合ったシーンが印象に残っています。

広瀬のように、技術の高い選手は、ベテランになってからも試合を落ち着かせる存在として重宝されました。1998年に指揮を執った原監督も、広瀬の技術を評価して、途中から出してゲームの悪い流れを変えてもらう役割を与えていました。タイプ的にはトップ下のように見えますが、広瀬のイメージはボランチとしてしかありません。

ただ、広瀬に関しては、ボランチだったからこそ、現役を長く続けられたのでしょう。トップ下には、バインや小野伸二といったビッグネームが次々とやってきて、浦和のサッカーを牽引しましたから、トップ下にこだわっていたら早々と引退に追い込まれていたでしょう。やはり、技術の高い選手は、中盤ならどこでもできる流動性は必要で、それは広瀬の時代からそうだったのでしょう。

広瀬は今は指導者として、レッズを支える立場です。うまくてサッカー眼の高い広瀬には指導者は向いていると思います。是非、これからもレッズを支えて行って欲しいものです。
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