Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

勝利は必然だった(2009年日本対バーレーン)

2017-10-25 22:41:42 | ワールドサッカー
今日はどうしてもネタがないので、穴埋めネタの昔話です。2009年3月に埼玉スタジアムで行われた、南アフリカW杯最終予選の日本対バーレーンの記憶です。浦和のACL決勝の相手がサウジアラビアのアルヒラルということで、中東つながりで思い出しました。当時、日本代表は予選を順調に勝ち進んでおり、このバーレーン戦に勝てばW杯出場が見えてくる大事な試合でした。

当時の岡田監督は、4-4-2でサイドのMFを軸に組み立ててくるチームを作っていました。当時の代表では、中村俊輔が絶対的なゲームメーカーだった時代です。また、SBに内田篤人と長友佑都という新戦力が台頭し、サイドのMFが溜めてSBに預ける攻撃もパターンとして持っていました。

ダブルボランチを、その後長く続く、遠藤保仁と長谷部誠のコンビに定着させたのも岡田監督の時代です。最初の試合では遠藤保仁のアンカーはどうかと心配していましたが、予選を重ねてきたこのあたりでは安心して見ていられるようになっていました。引いて守るバーレーンの守備陣に対し、遠藤保仁と長谷部誠がボールを持つ展開だったような記憶です。

これに対し、バーレーンは堅守速攻が狙いでした。当時のボランチ、サルミーンは日本がボールを最終ラインで回しているときは全然動かない、運動量より勝負勘を重視する動きでした。それでも、チャンスと見たら一斉に上がっていける能力は持っており、変な形でのボールロストが最も怖い相手でした。

この試合の決勝点は偶然に近い形でした。右サイドからの中村俊輔のFKでした。直接狙ったFKのボールは、壁のバーレーンの選手に当たって方向が変わりました。それが変な弾道を生んで、相手GKが反応できずそれが1-0の決勝点になりました。得点の形だけ見れば、偶然のように思える結果です。

しかし、この試合ではチャンスの数でもボール支配率でも日本が圧倒した試合でした。得点こそ偶然でも、勝利は必然だったように試合後は感じていました。当時、入院していた父を見舞い、この試合を見ていたことを報告すると「元気で良かったな」という反応だったと記憶しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする