来週の水曜日は、浦和の大一番であるACL準決勝、上海上港戦です。ACL準決勝は、2007年城南一和(韓国)、2008年ガンバ大阪戦に続き、人生三度目の経験です。その中で、今でも印象に残っている城南一和戦の思い出を書きます。
城南一和との第一戦は、アウェイで2-2で引き分けていました。当時のオジェック監督は、全試合でベストメンバーを並べようとしており、週2試合がずっと続いた選手たちはかなり消耗していました。それでも、辛くもリーグ戦の試合を拾って、リーグ優勝にも望みをつなぎながら、迎えたのがこの城南一和戦でした。
城南一和は強い相手でした。キーマンにボランチの金相植がいて、この選手がうまくサイドにボールを回して、そこからアーリークロスでFWのイタマルの頭を狙ってくるチームでした。この試合では、トップ下のモタが出場停止でしたが、途中からFWのキム・ドンヒョンが出てくるとますますそのアーリークロスが脅威でした。
これに対し、浦和は既に限界状態でした。オジェック監督もあとで「正直言うと、優勝までは考えていなかった」と述懐していますが、選手たちはもうPK戦に持ち込むしかこの試合を勝利する方法はないとまとまっていました。城南一和に2点目を入れて勝ち越されると、すぐに長谷部の同点ゴールが出て、あとは本当にPK戦が濃厚になってきました。
かつて、Jリーグは同点の場合は延長Vゴール、それでも決着がつかなければPK戦というルールでリーグ戦が行われていました。しかし、そのルールは廃止され、最後にPK戦が行われた1998年から既に10年近い歳月が流れていました。正直、PK戦の応援のやり方を、今の若いサポーターは知っているのかと、気にしていました。
しかし、そのPK戦では、城南一和のPKの際は全員で大旗を振り、逆に浦和のPKの際は全員で沈黙して見守る、かつて国立競技場で行われた昔のPK戦の応援のやり方を皆知っていました。その応援の成果もあって、このPK戦を勝利した浦和は、ACLの決勝戦にたどり着くことになりました。
この年は、浦和を見ていて楽しかった記憶です。浦和は初出場のACLでどこまで行けるのだろうと思っていたら優勝までたどり着きました。あの頃と似た感覚が戻ってきており、上海上港戦楽しみにしています。
城南一和との第一戦は、アウェイで2-2で引き分けていました。当時のオジェック監督は、全試合でベストメンバーを並べようとしており、週2試合がずっと続いた選手たちはかなり消耗していました。それでも、辛くもリーグ戦の試合を拾って、リーグ優勝にも望みをつなぎながら、迎えたのがこの城南一和戦でした。
城南一和は強い相手でした。キーマンにボランチの金相植がいて、この選手がうまくサイドにボールを回して、そこからアーリークロスでFWのイタマルの頭を狙ってくるチームでした。この試合では、トップ下のモタが出場停止でしたが、途中からFWのキム・ドンヒョンが出てくるとますますそのアーリークロスが脅威でした。
これに対し、浦和は既に限界状態でした。オジェック監督もあとで「正直言うと、優勝までは考えていなかった」と述懐していますが、選手たちはもうPK戦に持ち込むしかこの試合を勝利する方法はないとまとまっていました。城南一和に2点目を入れて勝ち越されると、すぐに長谷部の同点ゴールが出て、あとは本当にPK戦が濃厚になってきました。
かつて、Jリーグは同点の場合は延長Vゴール、それでも決着がつかなければPK戦というルールでリーグ戦が行われていました。しかし、そのルールは廃止され、最後にPK戦が行われた1998年から既に10年近い歳月が流れていました。正直、PK戦の応援のやり方を、今の若いサポーターは知っているのかと、気にしていました。
しかし、そのPK戦では、城南一和のPKの際は全員で大旗を振り、逆に浦和のPKの際は全員で沈黙して見守る、かつて国立競技場で行われた昔のPK戦の応援のやり方を皆知っていました。その応援の成果もあって、このPK戦を勝利した浦和は、ACLの決勝戦にたどり着くことになりました。
この年は、浦和を見ていて楽しかった記憶です。浦和は初出場のACLでどこまで行けるのだろうと思っていたら優勝までたどり着きました。あの頃と似た感覚が戻ってきており、上海上港戦楽しみにしています。