Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

思い出の日韓戦

2010-02-11 17:10:01 | ワールドサッカー
古くからのサッカーファンだと、日韓戦の思い出といえば1985年メキシコW杯予選が思い浮かぶでしょう。当時はめったにサッカーを取り上げない一般紙のスポーツ欄が木村和司のFKを取り上げていたので驚いた記憶はありますが、当時は私自身がまだサッカーファンではありませんでした。

そのため、私自身の日韓戦の記憶は1997年の9月、国立競技場のW杯予選が最初です。当時は日韓戦がどれほど盛り上がるものか知らず、通路まで埋め尽くされるスタンドに唖然としていましたが、山口のループシュートは時間が止まったような錯覚を感じました。

しかし、この先制点と、サッカー史上最高の雰囲気に、当時の日本代表監督の加茂周氏がのまれてしまったように感じました。20分以上残っている状況で、FWの呂比須に替えてDF秋田を投入して、守りに入ってしまったのです。

結局これが裏目に出て、日本は勝てる試合を監督の采配ミスで逆転負けという結果に終わりました。韓国に勝つことが目的ではなく、W杯予選を通ることが目的なのですが、この試合の後はしばらく気持ちの整理に時間がかかった記憶があります。

また、日韓戦といえば横浜国際競技場のこけら落とし(1998.3.3)も印象的です。当時は、韓国の独立記念日の開催という理由で、韓国の選手が必勝を打ち出していました。韓国MF柳相鉄が日本FW城に肘打ちを食らわせるなど、韓国のガチガチのマンツーマンが記憶にありますが、試合は城がCKを頭で合わせて2-1で勝利しました。

最近の対戦では、アジアカップの3位決定戦(2007年6月)が記憶にあります。長年対戦した洪明甫はコーチになっていましたが、韓国が退場者を出して数的優位を得ながら、延長戦まで相手GK李雲在の好守を崩せず、PK戦で惜しくも敗れました。

李雲在といえば、日韓W杯当時のスペイン戦でPKを止めて韓国の4強に貢献した伝説のGKで、有名な存在ですが、まさかここで日本の壁になるとは思っていませんでした。その李雲在は、今回の来日メンバーにも入っています。また壁になる可能性もあるのです。
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香港戦プレビュー

2010-02-10 15:00:13 | ワールドサッカー
明日は東アジア選手権の第2戦の香港戦です。私はウィルス性胃腸炎でダウンしてしまい、こんな時間にブログを書いているので、残念ながら明日は国立競技場へは行けません。香港は、昨年に2度対戦して、6-0、4-0と連勝している相手です。

この相手からは、ただ勝つだけでなく内容も期待したくなります。香港の布陣は日本平スタジアム(アウスタ)で対戦したときは4-2-3-1でした。ただ、中盤を五人にして厚くしている割には香港の中盤のプレッシャーは厳しくありません。

ダブルボランチの間のバイタルエリアですらボールが一瞬なら持てます。ここに中村憲剛を置けばスルーパス連発の可能性は高く、あとは反応してくれるFW次第になります。ここ2試合結果を残していないFW陣にとっては正念場で、なにがなんでも結果が欲しいでしょう。

香港はそんなにラフプレー連発の相手ではなさそうです。日本代表の長所について聞かれた香港の監督は、「ボールポゼッション力の高さ」を口にしていました。ベネズエラ、中国の打ってきた日本対策には共通点があり、バイタルエリアに人数を割いて日本の攻撃をサイドに回すことです。

香港が同じ手を使ってくる可能性はもちろんありますが、前回の対戦ではサイドからクロスを送っても点を取っています。岡崎はいいボールに反応するタイプですから、どんどんDFとGKの間に低くて速いクロスを送って欲しいものです。

それでも、香港は東アジア選手権の予選(準決勝大会)で鄭大世もいた朝鮮民主主義人民共和国に引き分け、得失点差で上回ってこの大会に出てきています。決して侮ることはできません。ただ、日曜に韓国に0-5で敗れていることを考えると力の差はあるはずです。

おそらく日本から2点以上取れる力はなさそうで、先制点を早い時間に取ることが重要になりそうです。
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奇襲の成功例

2010-02-08 18:49:07 | ワールドサッカー
今日は日本代表に活躍した選手がおらずネタに困る日なので、しでんさんがおっしゃった「奇襲」の成功例を書きます。

・4トップ(2002年日韓W杯韓国対イタリア)

1点を先制された韓国のヒディンク監督の取った手は次々にDFを下げてFWを入れる4トップでした。こんなサッカーが可能になったのはボランチの柳相鉄がCBをこなせることと、当時の延長戦がVゴール方式だったためでした。

これで狙い通り延長戦に持ち込んで、安貞桓のVゴールで勝利を収めたこの試合はヒディンクのキャリアでも会心の勝利でしょう。しかし、延長戦がもし後半の15分残っていたら逃げ切れたかどうかは微妙です。あの当時のルールをうまく使った勝利でしょう。

・パワープレー(1998年フランスW杯ブラジル対ノルウェー)

当時、ノルウェーは勝ち点2で、モロッコとスコットランドが勝ち点1で並んでいました。ブラジルは2連勝で既に1位通過を決めていました。モロッコ対スコットランドが引き分けに終われば、ノルウェーはブラジルに引き分けても通過できますが、実際に飛び込んできた速報はモロッコリードというものでした。

これで、ノルウェーはブラジルに勝つしか1次リーグ突破の可能性はなくなりました。しかも、ブラジルに先制点を入れられた状況で、ノルウェーが選択したのは2トップを両方長身にすることでした。必死に前線にロングボールを送り続けたノルウェーの前に、ブラジルDFがファウルしてPKになって見事逆転勝利を収めます。

・闘莉王のボランチ(2008年浦和対新潟)

短期決戦の天皇杯を2度制した奇襲型監督のエンゲルスが成功させた最初の奇襲です。当時、ポンテ不在でゲームメーカータイプのいなかった浦和が、闘莉王のロングパスを攻撃の起点にしたいという意図でした。

新潟はまったく読んでいなかったので、闘莉王のパスは止め切れず、3-0という会心の勝利を収めました。しかし、次第に試合を重ねていくと、闘莉王のボランチは戻りが遅いという弱点があり、そのスペースを相手に狙われましたが。
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勝たねばならぬ試合(2/6日本対中国)

2010-02-07 10:41:04 | ワールドサッカー
昨日の男子代表の中国戦、引き分けは大いに不満です。しかも、長友のハンドで与えたPKを楢崎が止めて辛うじて持ち込んだドローで、負けていてもおかしくなかった試合だったことが大いに不満です。

中国代表は、確かに組織力はついてきています。昔の中国代表は戦術面が苦手で、長身FW目がけてロングボールを蹴りこむサッカーしかできないと言われていましたが、今の中国代表はサイドに回してクロスを送り込むサッカーなどは十分可能になっています。若手への切り替え時期ということで、まだ決定力のあるFWなどは育っていませんが、決して弱い相手ではなかったと思います。

しかし、日本の方が中国を崩すアイディアが足りなかったのも確かです。4-2-3-1にしたことで、サイドチェンジのキックが出せるようになったと、解説の清水秀彦氏は評価していましたが、そこからの崩しの動きがこの日は足りませんでした。結局、この試合の最大の決定機は内田のシュートがポストをヒットしたもので、FWが絡んだ惜しい形はありませんでした。

特に、岡崎は昨年のブレイクは今年は続かない?と言われても仕方のない内容で、中国のDF2枚に挟まれるとなかなか勝つことができませんでした。裏に走る形にはいいものもあったのですが、他のFWも決定力不足で、こういうときは俺が助けるという気持ちを持ったFWがいなかったのは残念です。

良かったことは、ベネズエラ戦でも言いましたが、稲本と遠藤のコンビが機能したことだと思います。それまで守備的なボランチをやっていた遠藤が、稲本が後ろをカバーしてくれるため、高い位置でボールをキープできたのは一つの成功です。もっとも、そのボールがFWに入らなければ成功とはいえないのも確かで、中国のDF相手に走り勝つサッカーができないと、W杯本番では苦しいのではと思えます。
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出てきた新戦力(2/6なでしこ対中国)

2010-02-06 17:53:07 | レディース
今日は東アジア選手権参戦の予定でしたが、出発直前に腹痛を訴え、やむを得ずテレビ観戦にしました。今回の男女の中国戦ですが、前座の女子の方が楽しみが多く、スウェーデンで活躍して代表入りを果たした山口麻美や、浦和の若手DF熊谷など、新戦力がどこまで北京五輪4位のメンバーと融合しているかが楽しみでした。

そういう意味では、この試合は満足いく試合だったと思います。山口はポジショニングがうまいです。中国が高いDFラインを引いてくるので、大野の足を生かそうとスルーパスを狙うのが日本の攻撃パターンでしたが、そこに山口がワンクッション入ってリズムを変える動きが特に光りました。

得点は宮間のFKと相手DFのクリアミスを詰めた近賀のゴールと、従来組のゴールでした。しかし、それはたまたまで、きっと新戦力にも今大会中にはゴールが出るでしょう。テレビ観戦なので誰だかわからないのが残念ですが、中盤でボールを失った後の戻りが非常に早く、すぐに中国のパスをカットしていたプレーは光りました。

なでしこの佐々木監督は、それでも「攻撃が良くなかった」とあまり良いコメントを発していませんでしたが、それはたぶん、長年乗り越えるべき相手だった中国が今はそうではなく、世界標準でプレーを考えなければということだと思います。今回の東アジア選手権は男子は韓国の壁がありますが、女子は優勝をノルマとされているでしょう。

2011年の女子W杯では優勝を狙うと公言している佐々木監督ですから、きっと北京で澤のボランチを成功させたような改革の手を加えてくるに違いありません。とりあえず、5月のアジアカップが目標になりますが、ここでは出場権を取る(3位以内)だけではなく、優勝して戻ってきてもらいたいものです。
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中国戦プレビュー

2010-02-05 20:09:16 | ワールドサッカー
明日は東アジア選手権の初戦、日本代表対中国代表です。中国代表の近況はあまり聞きませんが、それは中国が南アフリカW杯予選で、3次予選で敗退したからでしょう。しかし、中国の入った組は、豪州、カタール、イラクという最も厳しい組だったことは考慮する必要はあるでしょう。

前回、日本と中国が対戦したのは、2年前の東アジア選手権です。このときは中国にラフプレーが目立ち、相手GKが安田に飛び蹴りしてもカードが出なかったという荒れた試合でした。

中国のサッカーにかけるインフラ整備は急速に進み、上海申花のグラウンドは全面天然芝で10面も取れるという話を聞いたことがあります。ユース年代を育成する寮も完備しているのですが、フランスあたりの育成センターとは違って学業の修得が不十分らしく、社会に出てから苦労するようです。

中国にとって、サッカーを飛躍的に強化するチャンスは、世界的名将のボラ・ミルティノビッチを呼んでW杯予選を突破した2002年前後でした。しかし、その直後に不運が襲いました。SARSという感染症の流行で、中国代表は半年ほど試合を行うことができませんでした。

これが中国サッカーの発展を妨げたことは間違いなく、2006年ドイツW杯予選で1次予選敗退を喫し、それ以降はなかなか中国サッカーを世界にアピールする機会はありません。

しかし、それでもあれだけ広く人口の多い国の代表チームですから、足の速い選手や長身の選手は多く輩出します。ボラ・ミルティノビッチ時代にはSBのオーバーラップを生かして長身FWに合わせるサッカーをしていました。

ただ、中国サッカーが良くないときは、サイドを封じられてDFからのロングボールに頼ってしまいます。日本には中澤、闘莉王とフィジカルには自信のあるDFがいますから、この手では点は取れないでしょう。
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アウェイの週の過ごし方

2010-02-04 19:10:03 | 浦和レッズ
リーグ戦のホームゲームが全試合埼玉スタジアムになったことで、チケット起因で参戦できない可能性はほとんどなくなりました。仕事や体調不良はあるかもしれませんが、一応リーグ戦のホームゲームは全戦参戦を予定しています。

しかし、浦和がアウェイの週の過ごし方にはいろんなパターンがあると思います。それを考えてみたらいろいろ場合分けできます。

・アウェイ参戦型

浦和サポから見れば一番うらやましいパターンです。一年中浦和の試合を見ていればいろいろ見えてくるものもあるでしょう。これをやるには仕事の調整やお金の確保が必要で、たぶんこのパターンの方は相当苦労されていらっしゃると思います。

・セカンドチーム応援型

浦和のアウェイ戦に行けないなら、二番目に好きなチームを作って見に行く方もいらっしゃるようです。近くなら好都合ですが、浦和サポが大宮をセカンドチームにすることはなさそうですが。

・偵察型

浦和のアウェイ戦に行けないなら、浦和とこれから対戦するチームが近場に来るタイミングで情報を集めてブログのネタにしようとするタイプです(要するに私)。このタイプは観戦試合数が多い割に旅行をほとんどしていないので、私のように「大阪府内の駅で一度も降りたことがない」ほど敵地を知りません。

・スカパーはしご型

実は、一番他チームの情報に詳しくなる方法はこれです。家で1時から9時までテレビのはしごをすることも物理的には可能ですが、どこまで気合いを入れて試合を見られるかは体調によります。疲れているとせっかくの機会で、眠気に勝てずに見逃すこともあります。

皆さんそれぞれの楽しみ方があると思うので、どれがいいかということを論じるつもりはありません。サッカーが好きだという気持ちのある方が、できるだけ希望通りのスタジアムに行けるように願うだけです。
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中盤の底(2/2日本対ベネズエラ)

2010-02-03 18:50:31 | ワールドサッカー
まず、この試合が引き分けに終わった理由には、ベネズエラのコンディションが想像以上に良かったことが挙げられます。FWが17歳と経験不足だったこともあって点は取れませんでしたが、球際も厳しく来ましたし、中盤のプレスもしっかり効いていて、ベネズエラにとってもこの試合は将来の代表強化のために大事な試合なんだという意欲を見せてくれました。

ベネズエラの健闘は光りましたが、日本にとっては南米予選7位で予選敗退のベネズエラは確実に勝っておきたい相手です。オフ明けの初戦という悪条件はありましたが、今回のスコアレスドローは日本サイドには不満の残る結果でしょう。

しかし、この試合で得たものはあります。それは海外組の長谷部の不在で久々に組んだ遠藤と稲本のダブルボランチでした。長谷部と組むときは、長谷部がアンカーの位置では持ち味が出ないため、遠藤が上がる回数はどうしても少なくなります。

今回組んだ稲本は、国際経験豊富でアンカーも十分こなせますから、稲本に守備を任せて遠藤が上がって行くことが可能になります。また、岡田監督の今回の戦略が両SBを同時に上げて主導権を取りに行く強気なものだったので、急造3バックの真ん中に入れても守備が計算できる稲本の存在は大きかったでしょう。

しかし、課題もたくさん見つかっています。一番のものは右SB徳永が相手左SBの6番との1対1に完敗したことでしょう。強気に勝ちに来るときはSBにキープさせるサッカーを用いる岡田監督にとっては、片側のSBが機能しないのは大きな誤算でしょう。

また、ベネズエラのプレスで、中盤の高い位置でキープできなかったのも課題です。岡崎の1トップで戦う以上、後ろの大久保、中村憲剛、小笠原のキープは大事でしたが、小笠原がミドルシュートで決定機を迎えた以外は、この位置からの有効な攻撃は少なかったです。

前回、代表デビュー戦でハットトリックの平山は、今回は途中出場でした。まだ代表チームでは十分な信頼は得ていないようで、ボールが平山に集まってくることはなかったです。それでもダイビングヘッドを放ってはいますが、FWがキープできるようになれば、岡田監督のサッカーに良い影響を与えると思うので、期待しています。
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用兵型監督(ギド・ブッフバルト)

2010-02-02 18:50:15 | 浦和レッズ
今日は日本代表のベネズエラ戦ですが、例によって平日夜の試合の即日更新は勘弁していただきます。その代わりのネタはしでんさんからリクエストのあった「監督としてのギド」の話にしたいと思います。

ギドは選手としては1990年イタリアW杯優勝の経験もある、世界トップレベルの選手でしたが、浦和の監督になるまでは監督経験はありませんでした。そのため、浦和のサポの間では、もし成績が悪かったら、ギドにブーイングなんかできるのかという議論が起こっていたようです。

その心配は杞憂に終わりました。ギドは昨日書いたように監督になる前から浦和の戦力を把握していましたから、徹底的に「今出場可能なメンバーの中でベストのサッカーをする」ことにこだわりました。

そのため、オフト監督には3バックマンツーマンという明確な形がありますが、ギドの場合は「これがギドの形だ」というものはありません。一番多く用いた形はワシントンを1トップに置いた3-4-2-1でしたが、これはワシントンが個人技で相手を突破できることと、ポンテ、小野伸二をフォロー役に置いてワシントンに常にボールを供給するための布陣でした。

自分に合った位置で自在に個性を発揮していいというギドのサッカーは、おおむね選手には好評でした。たまに内容の悪い試合では、後ろの8人と前の3人の連携が全然なくなってしまって「前後分断」と呼ばれたりしましたが、それでも就任1年目から結果を出したことで、用兵型としては名将と言っていいと思います。

ただ、用兵型と断定するのは、ギドの時代に育った若手が少なく、「兵隊」の足りないチームの監督には不向きだろうと思っていました。ギドは家族が日本に馴染まないという理由で志半ばで浦和を去っているので、育成が必要になったらどうするか見ることができなかったのは残念です。

その後、ブンデスリーガ2部のアーヘンで監督をしましたが、結果を出せず解任されています。やはり「兵隊」の足りないチームでは力を発揮できなかったようです。
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3バックマンツーマン(オフト監督)

2010-02-01 18:55:03 | 浦和レッズ
また昔話で、若いサポの皆さんには申し訳ありませんが、今回は2002年から2003年にかけて指揮を執ったオフト監督について振り返ります。オフト監督は日本代表監督時代に4-4-2のグループ戦術を徹底させたサッカーをしたので、浦和のサポは当時と同じ戦術で来るだろうと期待していました。

しかし、実際にフタを開けてみると、3バックマンツーマンのサッカーでした。相手FWをどこまでも追い回すことができるストッパーを探していたオフト監督の目に留まったのは、当時福岡大学を出たばかりの新人だった坪井と、本来SBだった内舘でした。

正直に振り返ると、この手堅いサッカーは好きではありませんでした。いつも相手に合わせた受け身のサッカーというイメージがあったからです。しかし、その前年にチッタ監督がシーズン途中でいきなり辞任して、浦和のスタイルを確立することが急務だった当時の事情を考えると、オフト監督になってチームの問題点が整理された印象はあります。

3バックマンツーマンは、DFを評価するにはわかりやすい戦術で、スタンドからでも誰が誰についているかはわかりますから、マークする相手のFWを抑え切ればDFの手柄、逆に相手FWに活躍されたらマークするDFの責任と、問題点の整理には最適な戦術でした。

ボランチに攻撃参加をあまり要求しなかったこともオフト采配の特徴で、当時長谷部はトップ下とボランチ両方の控えで、鈴木啓太を重用したのもオフト監督です。当時、ボランチが点の取れる位置まで追い越していくのは禁止され、点を取るのはあくまでエメルソンの役割とだいたい決まっていました。

役割を単純化して、それに合った選手を使うのがオフト流だったため、その構想から外れた石井俊也や阿部敏之や池田学らは、実力はあるのにどうしてとサポに惜しまれながら、他チームへ移籍していきました。

ギドがオフトの後任になって、いきなり2ndステージ優勝と結果を出した理由には、アドバイザーとして契約を結んでいて当時の浦和を見ていたからだと思っています。ギドの采配はある程度オフト時代を尊重したもので、選手のポジション適性などは監督になる前から知っていたのも大きいです。オフト時代を一言で言うと、役割整理の時代だったと思います。
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