今朝は自宅周辺の低い山々が霧で覆われていた。それではと、いつものようなカメラを持って近くを流れる川の上流に私は向かった、しかし、記事としてアップできるような画像は撮れなかった。霧に朝光が射すことがなかったからだ。
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さて、今日アップする画像は白馬村(長野県)で私達が出会った朝霧の光景である。このとき、霧は上り始めた太陽を直視できるほど濃いものであった。運が良かったのであろうか。太陽が上がるにつれて霧が晴れて白馬三山などが姿を現した。
撮影、2011年7月上旬午前5-7時。
定番の撮影ポイントで、白馬三山が霧の中から現れる瞬間を待ったが、霧は濃すぎた。午前5時半。
折角早起きをしたのにと呟きながら、私は別のポイントに移動した。
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突然のように現れた朝景
私にとっては感動の瞬間である。午前6時頃
左から、唐松岳、八方尾根、不帰ノ嶮、天狗尾根、白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳である。
五竜岳と唐松岳方向の霧も薄くなった。田圃の中の小屋が朝景に詩情を添えている。
白馬三山のクローズアップ
白馬岳の山頂では、筆舌に尽くしがたいような美しい朝景が見られたにちがいないと想像してみる。
鑓ヶ岳と杓子岳
雪渓にはクラックが入っているのだろうか。
さて、霧が晴れると、典型的な晴天での景色が現れた。午前6時45分頃
五竜岳と唐松岳、そして田圃の中の小屋
鑓ヶ岳から白馬乗鞍岳での残雪、岩肌、そして緑。季節は初夏である。
その後、私達は白馬村で朝霧の光景を眺めるチャンスがない。何時かはこれ以上の景色に出会いたいと思ってはいるが。
いつも見事な画像観光写真のようですね。
以前書きましたが、八方地区、良く歩きましたよ。
山行、尾根歩きから大糸線をてくてく石仏探しとか
鬼無里の村も40年まえから通って撮影していましたよ。
若かったなと、今でも思い出しますよ!
鬼無里が世に出る前か! ひなびた村も変わりましたよ
以前、定宿もまだありますが代が変わったようです。
コメントありがとうございます。
このときは、霧の効果を何とか活かしたいと思いましたが、
定番の画像となってしまいました。
センさんにとりまして、八方地区はかつてホームグランド
のような場所でしたね。
私はかつての様子を知りませんが、鬼無里も魅力的な
ところです。余談ながら、我が家の庭では鬼無里発の
スミレ、ユキノシタ、ユキヤナギなどが今年も花を
開きました。
深田久弥は名著「日本百名山」で、白馬岳を取り上げ、「白馬岳は、西側の越中や越後側では、大蓮華山と呼ばれた。北に位置しているから雪が多い。その白雪に輝く山容が、日本海側から見ると蓮華の開花に似ていたからだという。信州側から仰いでも実に堂々とした貫禄を持っている」と述べていますが、言い得て妙な表現ですね。
長野県の小谷村・白馬村・大町では毎年5月3日~5日に、「塩の道まつり」が開催されます。今年は新型コロナウイルス感染予防のために中止となりましたが、30数年前に取材で訪れたことがあります。
長野県松本市と新潟県糸魚川市を結ぶ古道「千国(ちくに)街道」は、新道が整備される明治20年前後までは、塩や麻など海陸の物産を運ぶ経済路線として大きな役割を果たしていました。別名「塩の道」とも呼ばれています。戦国期、越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に「敵に塩を送る」という「義塩」の美談は、この千国街道が舞台となっているのです。
「塩の道まつり」の趣旨は、昔の旅姿の衣装を纏ったり、武士や歩荷(ぽっか)、飛脚などの姿になったりして、先人の旅の苦労や旧道、旧跡を偲び、物資の大動脈であった千国街道の歴史を学び追体験するというものです。
一日目は小谷村、二日目は白馬村、三日目は大町の千国街道をそれぞれ半日かけて歩きます。私たちは一日目の小谷村を歩く「千日越えコース」に参加しました。旧街道は険しい山中を走っていて、途中には六地蔵や虫尾阿弥陀堂、千国の庄資料館などがあったりしてタイムスリップしたような感覚になりました。道端には白いニリンソウや黄色いリュウキンカなどの可憐な花々も咲いていました。旧街道から見える残雪に覆われた白馬連峰の山々の美しい光景は、とても印象的で今でも目に浮かびます。
白馬三山(白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳)などからなる白馬連峰は北アルプスに属する山岳地帯だけあって、白馬連峰と麓の白馬村は、13年前に訪れたオーストリアは東アルプス山脈の麓にあるチロル地方を彷彿とさせます。東アルプス山脈の山々の方が圧倒的に高いのですが、高い山々と麓でひっそり佇む村々と村人たちが共生する姿が良く似ていると思うのです。
kotsunagi567さんの白馬連峰と白馬村や綺麗な花々の一連の素晴らしい写真を拝見しますと、自分もその場に居合わせたような感覚になりますね。長いコメントになりましたが、ありがとうございました。
取材でのご体験をはじめとする詳細なコメントを拝読しました。
塩の道については、一度だけ白馬ー小谷ー糸魚川のルートを辿ったことがあります。もっとも、そのときは、糸魚川から群馬までの長距離運転のことがありますので、歴史をゆっくりと振り返るほどの時間的余裕がありませんでした。余談ながら、シンポジウムに参加するために、ヨーロッパを何回か訪れたときも、時間的余裕のない体験をしていました。
コメントを拝読して、今更ながら、駆け足型での訪問体験を思い出して残念に思っています。
コメントありがとうございました。