だから
秋月
どうなって 秋月になったかは 記されていない
秋月荘
と名付けられた 由来は?
結局 わからないの?
誰かが 秋の月が きれいな 地だから…
とか 言うのが 由来じゃないの?
ツッコんでみた
こんな大きな木は 無かったはずだ
だって 隠れるし 矢も弾も 防げる
それでも 整備されて きれい
法面も 簡単には 上がれそうにない
長屋門 門前の 石段
櫓台
⇩
この方が 長屋門前を 占有してしまう
ちょっと 動きそうにない
画像チェックをしているようだ
観光地だから 周囲に気配りしてほしい
という 私も 気を付けねば
全く 後ろは 見えないようだ
それより 石段が モルタル補修で 残念
石段 右手には 現存率高い 櫓台
なかなか 動てくれないので フレームアウトできる
石段の 右手の方 撮ることに
長屋門の 直前にある
ちょっと不可解
でも 長屋門も 江戸時代から ここにある
ということは
長屋門建てるときには 櫓は なかった?
石段から 右手 上の方
ちょっと 堀跡のように見える
鳥居は 明治以降だろうか
法面の上に 見える 木々は 紅くないね~
石垣の上に 法面 のりめん
法面の上に 櫓台
石段 反対側 左手にも 櫓台があったのか
⇧
櫓台跡?
さっきの人 の 頭上です
IKKO に 動く気配ありません。
どんだけ~~!
さっきの人の 左下です
悲しきかな モルタル補修
石段も 積み直したのでしょう
ちょっと 待ちきれないので
通りの 向かいの 🚻に…
戻ってきたら 誰も居ません
時刻は 10:00 ジャスト
ここですね 定番の 長屋門と石段
その前の 櫓台
江戸時代から ここにあるという 長屋門
ちょっと 思わぬことがあって 重複してしまいましたが
長屋門 行ってみましょ
ながやもん いくもん
鎌倉時代は平家側、室町時代は宮方、戦国期は大友方、毛利方、島津方について(笑)、また秀吉に対抗するというおよそ逆張りの王様でした。
関ケ原ではやはり西軍(笑)、でも三成が敗走すると大垣城で東軍に味方して、何とか生き延びたそうです。
でもその頃には日向高鍋に移っていたんですって。
上杉中期の上杉鷹山は、日向秋月の出身らしいです。
階段で動かないおじ様、おば様、いますね。
私もそうならない様に気をつけたいです。
992 秋月荘「筥崎宮塔院所領秋月」(『石清水文書』)
というのを見つけました。
墾田永年私財法が743年でした
開墾した荘園を「秋月」という趣のある地名をつけた。
秋に、お月見に行ってみたいものです。
波乱の秋月氏…