昨晩の《くりのみ会》での懇親会で、易行と難行 他力と自力の出ていました。
そこで、手元にある『浄土真宗聖典 七祖編』本願寺出版社で、龍樹と曇鸞の言葉を引いてみました。
龍樹『十住毘婆娑論』より(聖典5p~)
仏法に無量の門あり。世間の道に難あり易あり。陸道の歩行はすなわち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便易行をもって疾く阿惟越致に到るものあり。
偈(略)
かくのごときもろもろの世尊、いま現ずるに十方にいます。
もし人疾く不退転地に至らんと欲せば、
恭敬心をもって、執持して名号を称すべしと。
曇鸞『無量寿経優婆提舎願生偈註』より(聖典47p~)
つつしみて龍樹菩薩の『十住毘婆娑』(意)を案ずるに、いはく、「菩薩、阿毘跋致を求むるに、二種の道あり。一つには難行道、二つには易行道なり。難行道とは、いはく、五濁の世、無仏の時において阿毘跋致を求むるを難とす。この難にすなはち多途あり。ほぼ五三をひいて、もつて義の意を示さん。一には外道の相善は菩薩の法を乱る。二には声聞は自利にして大慈悲を障ふ。三には無顧の悪人は他の勝徳を破る。四には転倒の善果はよく梵行を壊つ。五にはただこれ自力にして多力の持つなし。かくのごとき等の事、目に触るるにみなこれなり。たとへば陸路の歩行はすなはち苦しきがごとし。易行道とは、いはく、ただ真佛の因縁をもつて浄土に生ぜんと願すれば、仏願力に乗じて、すなわちかの清浄の土に往生を得、仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定すなはちこれ阿毘跋致なり。たとへば水路に船に乗ずればすなはち楽しきがごとし」と。この『無量寿経優婆提舎』(浄土論)は、けだし上衍の極致、不退の風航なるものなり。
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