中村勘三郎さんの死去も悲しいでしが、小沢昭一さんの死去もそれ以上のものがあります。
日本文化にとって、本当に大きな損失のように思います。
今日の「天声人語」と「余録」から。
朝日新聞「天声人語」から抜粋
▼TBSラジオ「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は約40年、1万回を超えた。3年前、「ぼちぼち」のしゃれでお墓を取り上げた回に、「千の風」になるのは嫌だと語っている▼「ちっちゃい石ころ一つでもいいから、私の骨のある場所の目印、あってほしいな。そこから私ね、この世の行く末をじっと見てるんだ」。目印は大きめでお願いします。暖かくなったら、世相の笑い飛ばし方を教わりにお訪ねしたいのこころ、である。
毎日新聞「余録」から抜粋
▲小沢さんが日本各地の消え行く大道(だいどう)芸や門付け芸を記録して歩いたのは、芸能の原点を求めてのことといわれる。「それは半分うそ。子供のころにオモシロカッタことに、もういっぺん再会したかったから。僕の道楽の最たるものだった」(「道楽三昧(ざんまい)」岩波新書)▲農民が畑を耕すように、舌を振るって日々の糧を得ることを「舌耕(ぜっこう)」という。そんな人々の芸を記録した小沢さんは、井上ひさし原作の一人芝居「唐来参和(とうらいさんな)」の660回の公演を成し遂げた。こちらの舌耕芸は落語家の立川志の輔(たてかわしのすけ)さんによって志ん生(しんしょう)にたとえられる▲舌でリスナーの耳を耕し、時にニヤリと頬をゆるませ、時に抱腹絶倒(ほうふくぜっとう)を呼び起こす。そんな語りが1万回を超えたのがラジオ番組の「小沢昭一的こころ」である。どうでもいいことにへそ曲がり的情熱を注ぎ、しみじみと人生の哀感(あいかん)を楽しんでしまう「こころ」だった▲俳号は変哲(へんてつ)、かつて戯れに詠んだ辞世(じせい)句に「志ん生に会えると春の黄泉(よみ)の道」がある。冬の旅立ちは俳人として不本意だったろうが、天国では怪しげな物売りから落語の名人まで、舌耕芸の先人が待つ。
・「千の風」より「石ころ一つ」。本当に小沢さんらしいです。
・「道楽三昧」。いい言葉です。
・中村勘三郎さんも、小沢昭一さんも、「天国」には往きません。
往くところは、「黄泉の国」「草葉の陰」「安楽国」「西方浄土」etcでしょう。
・TVで、勘三郎さん葬儀が築地本願寺で執り行われるとの話があった。
そのすぐ後に、コメンテーターで出演していた演出家のT・Iさんが、
「勘三郎さんも天国で…」と言っていましたが間違いですね。
築地本願寺からは、天国につながる道はありません。
・同様に、「余録」の執筆者が、「天国では怪しげな物売りから落語の名人まで」と書いていますが、
これも間違いですね。