カウンセリング研究会【くりのみ】では、現在、「真仏土巻」に入ったところです。
予習・復習をしているところですが、曇鸞さんの『往生註論』の引文の中に次の文があります。
性はこれ本の義なり。言うこころはこれ浄土は、法性に随順して、法本に乖かず、
事、『華厳経』の宝王如来の性起の義に同じ。また言うこころは、積習して性を成ず。
法蔵菩薩を指す。もろもろの波羅蜜を集めて、積習して成ぜるところなり。
真宗聖典(東本願寺出版部)p314
浄土真宗聖典・七祖篇(本願寺出版) p60
(現代語訳)
性(しょう)とは、まず根本という意味である。
それは、浄土がすべての根本である真如法性ににかなっていて、これに背かないという意味である。
これは、『華厳経』の宝王如来性起品に説かれて性記(しょうき)の意味と同じである。
また次に、修行を積んで得た功徳によって成就するということである。
法蔵菩薩が、多くの修行を積み重ねて生を成就されたことをいうのである。
『顕浄土真実教行証文類(現代語訳)』本願寺出版より
昔、教師をしていたので、「積習(しゃくじゅう)」と言う言葉に引っかかりました。
良い言葉ですネ。
現代語訳では、字義そのままに「修行を積む」としていますが、もう少し大事にしてもらいたい気がします。
ちなみに、手元にある広辞苑には、
積習(しゃくじゅう)は、見つかりません。
積習(せきしゅう)という発音で、「昔からのしきたり。長い間のならわし」と見られます。
ボクとしては、積習(しゃくじゅう)とは、仏に出会わせていただく習い・法蔵菩薩の習いなので、
現代語訳・広辞苑の説明では、少々物足りない気がします。
図書館に出かけて調べ、もう少しあたためてみようと思います。
そうそう、仏典には、「遊」という字・「遊」が入った熟語を見つけますが、
これも、現代人の理解しているところとは随分違う感じがします。