教員生活最後にお世話になった小学校の展覧会に出かけた。
今年度、図工教師になったT先生が取り組んだ初めての展覧会である。
地方から出てきて、いろいろ困難にぶつかっていた。
夏休みに、2度ほどお会いして話を聞かせてもらい、少々サポートさせてもらった。
頑張り屋のT先生の取り組みが実った“温かな雰囲気”の感じられる展覧会であった。
これから、教師としての成長が楽しみなT先生である。
新任のT先生には、再任用のベテラン図工教師だったK先生がサポートについている。
K先生のお話では、「この学校は男性の図工教師が3代続いたので、男性の臭いのする図工室だ」との言葉。
「男性図工教師の臭い」は何ですか?と尋ねると、「図工室環境が乱雑」との話であった。
3代の図工教師の真ん中が私である。
正直に書くと、K先生は分かっていない。
私は、子ども達がいつでも自由に道具が使えるように、のこぎりも・金槌も・錐も・小刀もetcすべてオープン配置してきちっと整理した使いかっての良い図工室環境を作ったものだ。
たぶん、図工室環境としては都内の小学校の中でも屈指の環境だと自負していた。
都や区の指導主事の先生が来ても、素晴らしい教育環境ができていると誉められたものだとK先生に伝えた。
この頃思うことは、図工だけでなく各教科共に、教育のレベルが低くなっているように感じられ、我が日本国の将来が心配である。
図工や芸術教科の授業時間を減にする文科省の役人の無能ぶりにはガッカリしている。一一事が万事である。
国家政策の一番の課題は教育だと思うのだが・・・
民主党政権は何をやってくれるのだろうか?
エンデが最後に話したこと
「ものがたりの余白」
ミヒャエル・エンデ
田村都志夫(聞き手・編訳)
岩波現代文庫
2009年11月13日 第1刷発行
仕事の帰りに、上記一冊を購入した。
まだ、拾い読み段階であるが、次の一文が目に刺さったので、早速【落穂拾い】。
言うまでもないことだが、エンデは『モモ』『はてしない物語』の著者。ドイツの児童文学作家である。
★船が難破すれば、人はともかく悲惨な状態ですが、どこからさらに力が出てくるのでしょうか?
エンデ:「遊び」です。「遊戯」がわたしにとって、いかに大切かを、いつも強調してきましたし、これからも飽くことなく強調するつもりです。なぜなら、挫(クジ)けることなくしっかりとしているのは遊戯だけだからです。
(ナチスの)強制収容所においてさえ、そうでした。・・・(以下略)
★くりかえしになるかもしれませんが、でも、ここで、たとえば、恋人を失った若者がいるとしたら、そのような若者が、どこに遊びを見つけるのでしょうか?どうでしょう?
エンデ:(略)そして、わたしは、遊びやユーモアは、そんなに自分のことをおおげさにとらなくてもいいように、自分の船が難破した後、そんなに思い詰めなくてもいいようにしてくれると思うんです。つまり、いや、そうじゃないんだよ。起きたことは、実は人間の運命そのものなんだって、だからそんなにひどく嘆くことではないってね。
さて、少々手前味噌です恐縮ですが、カウンセリング研究会【くりのみ】のキャッチコピーを、“ならい処”“あそび処”“やすみ処”とした心と、エンデさんの心と重なっているかな?と思いながら、本書を読み進めているところです。
先日、スポーツジムに出かけたときのこと。
更衣室のドアを開けようとしたところ、重たくて開かない。
力を入れて押したところ、中から「すみません」の声。
スタッフの青年が、タオルの片づけ中であった。
聞者:悪かったね。大丈夫。
青年:大丈夫です。申し訳ありません。
聞者:開かずの扉、“天の岩戸”だね。(冗談のつもり)
青年:何ですか?“天の岩戸”って?
聞者:“天の岩戸”本当に知らないの?
青年:本当に知りません。昔話ですか?日本書紀ですか?
聞者:いいところをついているよ。勘がいいね。
青年:教えてください。
聞者:教えることは簡単だけど、自分で調べると楽しいよ。
ネットでも図書館でも調べられるね。
青年:わかりました。調べます。
本当に、素直な青年でした。
楽しいひと時をもらいました。
ドアが開かないのにひっかけて、ヒューと“天の岩戸”が出てきました。
自分としてもびっくり。“天の岩戸”なんて死語に近いですよね。
若者が知らなくても当然です。
ここで、脱線してボヤキます。
このところ、脳の老化?が進んでいるようです。
大事な人の名前が瞬時に出なくて困るのに、たいして大事でもない昔の痕跡のような“天の岩戸”のような言葉が出てくるんですね。
もとえ。
今の若者には、“天の岩戸”は無理ですね。
このような言葉を教えてもらえる場面がないのですから。
それにしても、日本人の日本人による日本文化の伝承が、学校現場をはじめとして力が入らない我が日本国の現状ですねー。
政権交代をした民主党には、もう一度丁寧に我が日本国の学校教育について見直しをしてもらい、日本文化に光をあててもらいたいものです。
前期高齢の呆け老人?に付き合ってくれた青年に(感謝!かんしゃ!)でありまする。
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先日、ある小学校で1年生の授業参観をさせていただいた。
内容は、図工で油粘土で動物を作ることだった。
1年生の子ども達は、自分の好きな動物を作っていましたが、A君は何かモジモジした感じでした。
粘土箱の蓋に作品を作ってあったのですが何か自信なさそうでした。
聞 者 「可愛い動物だねー?」
A 君 「キリン」(小さな声で)
聞 者 「あーキリンさん。可愛いキリンさんだね」
A 君 「ぼく、下手だから」
聞 者 「A君は、自信がないの?」
A 君 (こっくりとうなずく)
聞 者 「そうかー。でも、先生が見ると、とても良くできているよ。可愛いよ。大丈夫
だよ。自分で(下手だ)と決めなくていいよ」
A 君 (嬉しそうな表情)
聞 者 「先生が言うのだから間違いない。一生懸命作るのが一番」
とのやりとりの後、作品の撮影を許可してもらいました。
本当に可愛い作品ですよね。
A君が図工好きになってくれることを念じながら授業参観を終了しました。
今晩、新小岩のお寺で里村専精先生の『大無量寿経』の講演があり出かけてきました。
テキストは、里村専精著『大無量寿経を読む』弥生書房。
残念ながら出版元の弥生書房が閉店になり、本書も絶版とのこと。
神田・東大前の古本や湯島の中山書房に出かけたのですが手に入りません。
今晩は、知人の蔵書からお借りして1冊コピーして参加しました。
これまで、このお寺での里村先生による『大無量寿経』の講義は3回繰り返えされたそです。今晩は4回目の講義の初日でした。
幸運です。
仏教のことは奥が深く、私のような門外漢にはチンプンカンプン。
今晩も、難しい言葉等々直面しましたが、里村先生のお話は身にしみる感じがいたします。
次回は1月になるそうですが、楽しみです。
さて、今晩の講義後の坐談で、「独りいて賑やか」ということが話題になりました。
曽我量深師には、
「仏を信ずれば独りでも賑やか。
多くの人の中にいても静か。」
の言葉があるそうです。
この「独りいて賑やか」を聞いて、私は昔体験したカウンセリングワークショップのことを連想していました。
私が主宰している《くりのみ会》でも、この言葉の意味するところを大事にしていきたいものです。