カウンセリング&教育&仏教のトライアングルの“要”を考えると、
それは、「聴聞道」にあるように思う。
明日は、くりのみ会[親鸞とカウンセリングコース]が開催される。
予習で、『教行信証・信巻』を読んでいたら、次の一文に出会う。
『安楽集』に云わく、諸部の大乗に拠って説聴の方軌を明かさば、『大集経』に云わく、
「説法の者においては、医王の想を作せ、抜苦の想を作せ。所説の法をば、甘露の想を作せ、
醍醐の想を作せ。それ聴法の者をば、増長勝解の想を作せ、愈病の想を作せ。
もしよくかくのごとき説者・聴者は、みな仏法を紹隆するに堪えたり、常に仏前に生ぜん」と。乃至
仏教の勉強を進めれば進めるほど、仏教が聴聞道あることを感じる。
ということは、カウンセリングよりも仏教の方に、聴聞の歴史と深さがあるということ。
上記の『安楽集』の引文の中で、「想いをなせ」が繰り返されている。
明日の(くりのみ会)話題にします。