教員免許更新制度は準備不足のまま作られてしまったので、いろいろ不備が多くあります。文科省は「資質向上」が目的というけれど、そもそも最初に考えられた時には、間違いなく「不適格教員の排除」がもくろまれていたと思います。しかし、大学で行う座学中心の講習では(仮にやろうと思っても)「排除」は不可能だし、「私的資格の更新」とされてしまったので、結局「資質向上」なんて言ってるわけでしょう。
そもそも「指導力不足教員」に関しては、文科省のガイドラインがあって各都道府県で、「認定」「研修」の仕組みができています。(「指導力不足教員」という呼び方をしないところもあるらしいけど、一応文科省の呼び方を使う。)その認定については、管理職や教委ともめたりしてる例も多いし、いろいろ問題もあると思うけど一応そういう仕組みができてます。
東京都の場合は、公表資料によると昨年度は12人が認定されていて、研修中に3人が退職、残り9人は研修を受けた後で、4人は指導が不適切と認定され退職、4人は研修継続。解除されたのは1人となっています。また新規採用者は「期限付き採用」ですが、1年たって2919人中で86人が正式採用になりませんでした。自主退職以外に19人が正式採用不可になっています。
ちょっと細かい数字を挙げたけど、何が言いたいかというと「ダメな先生はやめさせろ」と言う人がいるんだけど、もうそういう制度はできてるんですよ。そして、一人ひとりの事情は全然知らないけど、せっかく教師になれたのに、こんなに1年目でやめていく人がいる。それが実情です。
僕が今までやってきた中では、やはり「問題がある先生」はいると思うけど、その大部分は「心を病む教員」を別にすると、「熱心すぎて生徒・同僚がついていけない教員」と「性格の偏りがあって付き合いづらい教員」だと思います。でも、学校から「排除」すべきだと思うほどの教員はほとんどいないのではないでしょうか。生活指導が厳しい先生とか、事務的にルーズでよく生徒に連絡をし忘れる先生とか、いろいろ「あの先生は…」という声が聞こえてくる場合もあるけど、まあ、生徒の方でなんとかうまく対処しているように思います。
そこが大事なところです。最近は「教育はサービス」という観点が強調されすぎだと思います。学校の時間の大部分は授業だし、学力向上はもちろん大事。しかし、誰だって解の公式とか古文の文法は忘れてるけど、初恋やケンカ、行事や部活の思い出は今も鮮やかに残ってる…というのが学校なんじゃないですか。
学校は、生徒が(起きてる時間の)「一日の半分」を過ごす「生活の場」です。だから、生徒も教師もある程度多様なメンバーがいる必要があるんだと思います。そして、世の中に実際に出てみれば、「指導力不足上司」なんてざらにぶつかるわけです。そういう時の対処法は誰に教わるの?
実際アルバイトしている生徒に聞くと、「変な会社」「トンデモ店長」だらけみたいな感じがするけど、そこは生徒の方でテキトーによいしょしたり、うまくスルーして行き抜いているようです。そういうのは人間に生得的に存在してる処世術でもあるだろうけど、学校でいろんな先生に教わって「ちょっとヘンテコな大人」への対処法を身につけているのではないでしょうか。
もちろん好き好んで指導力不足であるのは恥ずかしいことです。校内事情で今まで教えたことがない科目を担当する年なんかもあるわけですが、やはりそういう時は緊張するし自分で普通より勉強して臨むわけです。また相性もあるし、生徒指導で失敗したなと思いだす事例はどの先生にもあるでしょう。
長くなってしまいましたが、教師の資質を向上させろとか、指導力不足教員はやめさせろとか言う前に、学校の持つ機能をきちんと考え、生徒の人間力アップのために何が必要かを考えて欲しいと思います。教師のそれぞれの持ち味がうまく生きるような学校なら、生徒もそれぞれの持ち味が生かせる学校になるでしょう。一方、教員統制が厳しくなれば、それは生徒に跳ね返る。そういうものです。
4番バッターばかり集めれば優勝できるというような発想が教員免許更新制には潜んでいます。バント名人も守備要員も組織には必要なんだという観点で、学校作り、教員養成を進めるべきだと思います。
そもそも「指導力不足教員」に関しては、文科省のガイドラインがあって各都道府県で、「認定」「研修」の仕組みができています。(「指導力不足教員」という呼び方をしないところもあるらしいけど、一応文科省の呼び方を使う。)その認定については、管理職や教委ともめたりしてる例も多いし、いろいろ問題もあると思うけど一応そういう仕組みができてます。
東京都の場合は、公表資料によると昨年度は12人が認定されていて、研修中に3人が退職、残り9人は研修を受けた後で、4人は指導が不適切と認定され退職、4人は研修継続。解除されたのは1人となっています。また新規採用者は「期限付き採用」ですが、1年たって2919人中で86人が正式採用になりませんでした。自主退職以外に19人が正式採用不可になっています。
ちょっと細かい数字を挙げたけど、何が言いたいかというと「ダメな先生はやめさせろ」と言う人がいるんだけど、もうそういう制度はできてるんですよ。そして、一人ひとりの事情は全然知らないけど、せっかく教師になれたのに、こんなに1年目でやめていく人がいる。それが実情です。
僕が今までやってきた中では、やはり「問題がある先生」はいると思うけど、その大部分は「心を病む教員」を別にすると、「熱心すぎて生徒・同僚がついていけない教員」と「性格の偏りがあって付き合いづらい教員」だと思います。でも、学校から「排除」すべきだと思うほどの教員はほとんどいないのではないでしょうか。生活指導が厳しい先生とか、事務的にルーズでよく生徒に連絡をし忘れる先生とか、いろいろ「あの先生は…」という声が聞こえてくる場合もあるけど、まあ、生徒の方でなんとかうまく対処しているように思います。
そこが大事なところです。最近は「教育はサービス」という観点が強調されすぎだと思います。学校の時間の大部分は授業だし、学力向上はもちろん大事。しかし、誰だって解の公式とか古文の文法は忘れてるけど、初恋やケンカ、行事や部活の思い出は今も鮮やかに残ってる…というのが学校なんじゃないですか。
学校は、生徒が(起きてる時間の)「一日の半分」を過ごす「生活の場」です。だから、生徒も教師もある程度多様なメンバーがいる必要があるんだと思います。そして、世の中に実際に出てみれば、「指導力不足上司」なんてざらにぶつかるわけです。そういう時の対処法は誰に教わるの?
実際アルバイトしている生徒に聞くと、「変な会社」「トンデモ店長」だらけみたいな感じがするけど、そこは生徒の方でテキトーによいしょしたり、うまくスルーして行き抜いているようです。そういうのは人間に生得的に存在してる処世術でもあるだろうけど、学校でいろんな先生に教わって「ちょっとヘンテコな大人」への対処法を身につけているのではないでしょうか。
もちろん好き好んで指導力不足であるのは恥ずかしいことです。校内事情で今まで教えたことがない科目を担当する年なんかもあるわけですが、やはりそういう時は緊張するし自分で普通より勉強して臨むわけです。また相性もあるし、生徒指導で失敗したなと思いだす事例はどの先生にもあるでしょう。
長くなってしまいましたが、教師の資質を向上させろとか、指導力不足教員はやめさせろとか言う前に、学校の持つ機能をきちんと考え、生徒の人間力アップのために何が必要かを考えて欲しいと思います。教師のそれぞれの持ち味がうまく生きるような学校なら、生徒もそれぞれの持ち味が生かせる学校になるでしょう。一方、教員統制が厳しくなれば、それは生徒に跳ね返る。そういうものです。
4番バッターばかり集めれば優勝できるというような発想が教員免許更新制には潜んでいます。バント名人も守備要員も組織には必要なんだという観点で、学校作り、教員養成を進めるべきだと思います。