もう一本、新作映画の感想。マシュー・マコノヒーがアカデミー賞の主演男優賞を受けた「ダラス・バイヤーズクラブ」。映画に限らないが、人は大体事前に何らかの情報を得て行動を起こす。映画だったら、好きな俳優が出てるとか、ベストセラーの映画化だとか、原発事故の問題を追及してるとか…。だから、見てみると単に「情報確認」みたいな感想で終わってしまうことがままある。情報社会だから、既視感が常につきまとうのである。この映画も、チラシに「エイズ患者の希望の星となった男の生きざまを描いた感動の実話」とあり、まあその通りであって付け加える言葉もない感じなんだけど、やはり見てみると「発見」が幾つもある映画だった。

時は1985年。「エイズ」の初期時代である。ロデオのカウボーイで電気技師のロンは、典型的なテキサス人。「酒と女の日々」を送っていて、いわゆる「マッチョ」的な価値観を持つ人物である。ある日、倒れて病院に担ぎ込まれると、「HIV陽性」で余命30日と言われる。そんなバカな。エイズと言えば、同性愛か麻薬患者の病気ではないか。自分は「酒と女」だけだから、誤診に決まっているではないか。しかし、周りにこの話が広まると、あいつはゲイだと忌避されてしまうのである。
HIV(ヒト免疫不全ウィルス)が「異性との性交渉で感染する」なんて、今では全世界で学校で教える基本中の基本である。だけど、この病気が広まり始めた時期には、(アメリカでは)同性愛や麻薬注射針共有の感染が多く、アメリカの保守派の中には「不道徳な病」と見なす言説が流通していたのである。だからロンも、最初は自分を受け入れられないし、エイズを発症していることは認めるようになっても「自分はゲイではない」と強調する段階があったのである。
主演のマシュー・マコノヒーと言っても、イメージが湧かない人が多いと思う。最近では「マジック・マイク」「ペーパーボーイ」「リンカーン弁護士」なんかに出ていたけれど、どれもひと癖ある人物を生き生きと演じていた。「リンカーン弁護士」というのは、マイクル・コナリーのミステリーの映画化で、原作のイメージと違うように僕には思えたけれど、ちょっと偏屈そうな感じが案外うまく出ていたと思う。近年では主演級の俳優だけど、演技派というか「ちょっと訳あり」みたいな役をオファーされる人である。今回も難役中の難役で、というのも病気でどんどん痩せて行ってしまうのを、実際に21キロ痩せて撮影に臨んだというすごさである。チラシの写真を見れば一目瞭然だが、その結果は驚くべき説得力が生じた。この演技は一見の価値がある。
筋に戻れば、初めは抗がん薬のAZTという薬がHIVに有効ではないかという話が伝わり、治験が始まると自分もその薬を何とか入手しようとする。しかし、副作用も大きいのに製薬会社が独占していることに疑問を持つようになる。そして、もっと副作用が少なくて免疫力を向上できる薬を求めて、メキシコにも行く。その薬はアメリカでは未認可だったけれど、自分用に密輸してくる。しかし正規の病院では代替薬を得られず、それでは他の患者が助からない。もちろん「未認可の薬を売ることは違法」であるが、そこで考えた。「会員に代替薬を無料で配布する」という会を立ち上げ、その会に入会するときに高い入会金を取るというアイディアを。その組織が「ダラス・バイヤーズクラブ」である。これは当たり、多くの患者が詰めかける。
その組織は病院で知り合ったゲイの患者レイヨンを協力者としてリクルートする。このレイヨンを演じているのがジャレット・レトという俳優で、アカデミー賞助演男優賞を受けた。僕も見てる様々な映画に出てきたが、あまり印象にはなかった。今回は基本は女装した役柄だけど、生きてきた道筋が正反対とも言えるロンと、ぶつかりながらも人間的に判りあっていく役を一世一代の名演で演じている。その後、ロンは世界を飛び回り、なんと日本にも来る。岡山の林原が開発したインターフェロンを輸入しようと考えたのである。国家を相手取った裁判闘争も起こすようになる。
このように、単なる無知でマッチョなカウボーイだったような男が、国家を相手取る人権の闘士になっていくのだが、同時にきっちり金儲けもできる仕組みも整えるし、協力してくれる女医にもアプローチする。そういう複雑性を矛盾したまま行ききるようなロンを見ているうちに、どんな人間に中にも「聖なる部分」があるという啓示のような瞬間が訪れるのである。それがこの映画の見所で、俗を脱せずとも、また純粋な人助けだけでなくても、人は人生で己の生きるべきテーマを見つけて輝くということを示している。
余命30日だったはずが、結局7年ほども生きて、ロンは亡くなる。世界的には無名の人物だろうが、この実在人物の魅力的設定がこの映画を成立させた。監督はジャン・マルク=ヴァレという人物で、フランス系カナダ人。「ヴィクトリア女王 世紀の愛」という映画を監督した人である。でも演出的に特に傑出しているというほどには思わなかった。現にアカデミー賞では作品賞や脚本賞にはノミネートされたが、監督賞にはノミネートもされなかった。アカデミー賞では、他にメイクアップ&ヘアスタイリング賞を取っていて、ロンやレイヨンなどのメイクは確かに評価すべきものだったなと思う。何と言っても、マシュー・マコノヒー一世一代の名演と闘うことの意味を考えるという映画だと思う。

時は1985年。「エイズ」の初期時代である。ロデオのカウボーイで電気技師のロンは、典型的なテキサス人。「酒と女の日々」を送っていて、いわゆる「マッチョ」的な価値観を持つ人物である。ある日、倒れて病院に担ぎ込まれると、「HIV陽性」で余命30日と言われる。そんなバカな。エイズと言えば、同性愛か麻薬患者の病気ではないか。自分は「酒と女」だけだから、誤診に決まっているではないか。しかし、周りにこの話が広まると、あいつはゲイだと忌避されてしまうのである。
HIV(ヒト免疫不全ウィルス)が「異性との性交渉で感染する」なんて、今では全世界で学校で教える基本中の基本である。だけど、この病気が広まり始めた時期には、(アメリカでは)同性愛や麻薬注射針共有の感染が多く、アメリカの保守派の中には「不道徳な病」と見なす言説が流通していたのである。だからロンも、最初は自分を受け入れられないし、エイズを発症していることは認めるようになっても「自分はゲイではない」と強調する段階があったのである。
主演のマシュー・マコノヒーと言っても、イメージが湧かない人が多いと思う。最近では「マジック・マイク」「ペーパーボーイ」「リンカーン弁護士」なんかに出ていたけれど、どれもひと癖ある人物を生き生きと演じていた。「リンカーン弁護士」というのは、マイクル・コナリーのミステリーの映画化で、原作のイメージと違うように僕には思えたけれど、ちょっと偏屈そうな感じが案外うまく出ていたと思う。近年では主演級の俳優だけど、演技派というか「ちょっと訳あり」みたいな役をオファーされる人である。今回も難役中の難役で、というのも病気でどんどん痩せて行ってしまうのを、実際に21キロ痩せて撮影に臨んだというすごさである。チラシの写真を見れば一目瞭然だが、その結果は驚くべき説得力が生じた。この演技は一見の価値がある。
筋に戻れば、初めは抗がん薬のAZTという薬がHIVに有効ではないかという話が伝わり、治験が始まると自分もその薬を何とか入手しようとする。しかし、副作用も大きいのに製薬会社が独占していることに疑問を持つようになる。そして、もっと副作用が少なくて免疫力を向上できる薬を求めて、メキシコにも行く。その薬はアメリカでは未認可だったけれど、自分用に密輸してくる。しかし正規の病院では代替薬を得られず、それでは他の患者が助からない。もちろん「未認可の薬を売ることは違法」であるが、そこで考えた。「会員に代替薬を無料で配布する」という会を立ち上げ、その会に入会するときに高い入会金を取るというアイディアを。その組織が「ダラス・バイヤーズクラブ」である。これは当たり、多くの患者が詰めかける。
その組織は病院で知り合ったゲイの患者レイヨンを協力者としてリクルートする。このレイヨンを演じているのがジャレット・レトという俳優で、アカデミー賞助演男優賞を受けた。僕も見てる様々な映画に出てきたが、あまり印象にはなかった。今回は基本は女装した役柄だけど、生きてきた道筋が正反対とも言えるロンと、ぶつかりながらも人間的に判りあっていく役を一世一代の名演で演じている。その後、ロンは世界を飛び回り、なんと日本にも来る。岡山の林原が開発したインターフェロンを輸入しようと考えたのである。国家を相手取った裁判闘争も起こすようになる。
このように、単なる無知でマッチョなカウボーイだったような男が、国家を相手取る人権の闘士になっていくのだが、同時にきっちり金儲けもできる仕組みも整えるし、協力してくれる女医にもアプローチする。そういう複雑性を矛盾したまま行ききるようなロンを見ているうちに、どんな人間に中にも「聖なる部分」があるという啓示のような瞬間が訪れるのである。それがこの映画の見所で、俗を脱せずとも、また純粋な人助けだけでなくても、人は人生で己の生きるべきテーマを見つけて輝くということを示している。
余命30日だったはずが、結局7年ほども生きて、ロンは亡くなる。世界的には無名の人物だろうが、この実在人物の魅力的設定がこの映画を成立させた。監督はジャン・マルク=ヴァレという人物で、フランス系カナダ人。「ヴィクトリア女王 世紀の愛」という映画を監督した人である。でも演出的に特に傑出しているというほどには思わなかった。現にアカデミー賞では作品賞や脚本賞にはノミネートされたが、監督賞にはノミネートもされなかった。アカデミー賞では、他にメイクアップ&ヘアスタイリング賞を取っていて、ロンやレイヨンなどのメイクは確かに評価すべきものだったなと思う。何と言っても、マシュー・マコノヒー一世一代の名演と闘うことの意味を考えるという映画だと思う。