東京電力の福島第一原発の事故に関しては、最近も汚染水を処理する多核種除去設備ALPS(アルプス)が故障して停止したと伝えられるなど、「汚染水処理」をめぐって厳しい状況が続いている。また、福島県議会議長は、原発立地地14道県の道県議会議長でつくる「原子力発電関係道県議会議長協議会」から3月末で脱退するという話である。福島は自民党を含めて、既存原発の廃炉を求めているのに対し、他県の議長らは原発再稼働を前提にしているからである。
こうした状況は小さな記事だが、一応伝えられている。しかし、政府の中枢のある東京と福島現地では、だんだん状況の違いが大きくなってきた感じがある。しかし、今もなお、突然住宅を追われたまま帰れなくなっている人々が何万人もいる。福島第一原発にほど近い町村は、人が住めない状態となって3年になった。自然災害では伊豆諸島の三宅島で、2000年に噴火にともなって全島避難した例が記憶に新しい。この時は2005年に避難命令が解除されたが、3800名ほどいた住民は現在2700人ほどで、7割ほどになっている。一方、人間の行いにより自治機能のある地帯がなくなった例としては、足尾鉱毒事件の遊水地をつくるため強制的に廃村とされた栃木県谷中村のことを思い出さないわけには行かない。それにしても、これほど広い場所が人が住めないまま数年も経ってしまうということの「精神的な空虚感」は非常に大きなものがある。
さて、原発問題には様々な視点がありうる。事故の状況もまだまだはっきりとされていない点があるようだが、現地は普通の人は行けないから、現場の状況は語れない。放射線被曝の影響、福島県民健康調査の問題、「風評被害」に関することなど考えるべき問題は多いが、自分にはっきり語れないテーマが多い。論点が細かくなるにつれて、専門的な知識がないと書けないような感じになった。人には関心領域やフィールドの違いがあるから、僕には「日本のハンセン病の歴史」とか「袴田事件の冤罪性」など、ある程度は細かく書けるテーマもあるけど、原子力問題はお門違いなのである。だから、原発事故直後はかなり書いていたが(そのことは過去の記事をさかのぼって行けば判る)、最近は書いてこなかった。
一方、この間の脱原発運動に関しても、「多分そうなるだろうなあ」という道をたどっているように思う。今回はそれまであまり社会運動に関係してこなかった層が、インターネットやケータイ(スマホ)を通して新しい運動を作り出していくと「期待」していた人も多かったようだけど、自分の時間を費やして行う社会運動である以上、僕はそう楽観的になれなかった。今回はチェルノブイリ事故後以上に粘り強く継続されていくと思うし、そうでなければならないが、どうしても「日本の社会運動の弱点」を完全に免れることもできない。(その「弱点」って何だと問われるだろうけど、今書く気はしないので、勝手に想像してくれて構わない。)今回は、「脱原発とは何か」を中心に、今後の脱原発への道のりを考えることを中心に書く。
原子力発電所というものは、(改めて書くまでもないが)電気ネネルギーを発生させるタービンを回す動力に、核分裂反応で生じる大量の熱(で水を沸騰させた蒸気エネルギー)を利用するという仕組みである。だから、基本的に「脱原発」というとき、「では電気は何でつくればいいのか」という発想がなされてきた。そこで「再生可能エネルギー」を発展させるべきだ、いや、それは無理だろうなどという議論になる。現時点で日本の原発はすべて点検期間に入っていて一基も稼働していないわけだが、では日本は何で電気を作っているのかを確認しておこう。2012年度のデータになるが、電気事業連合会による2013年5月の資料によれば、火力発電合計で88.3%、内訳を見れば、LNG(液化天然ガス)が42.5%で一番多い。続いて、石炭が27.6%、石油等が18.3%である。他では、水力発電が8.4%、原子力が1.7%(当時唯一稼働していた大飯原発のもの)、地熱及び新エネルギーが1.8%となっている。(なお、天然ガスの輸入元は、オーストラリア、カタール、マレーシアについでロシアが4位となっている。このため、ウクライナ情勢は日本にとっても非常に頭の痛い問題である。)
このように事実上火力発電、それも天然ガスが発電の半分近くを占めている。これは地球温暖化をもたらすとか、アベノミクスによる円安で巨大な財政赤字が生じているなどの問題があるのは事実。(短期的には、いくつかの原発を稼働させれば、電力会社の財務状況を相当に改善させるのは間違いない。)でも、放射性廃棄物の処理も決まってない以上、どこかで「脱原発」に向かっていく必要がある。現在は原発が稼働していないため、「この状態を続けて行けば脱原発」になるという主張も強い。昨年からは小泉元首相が「首相が決断すれば、脱原発できる」と盛んに発言するようになった。でも、本当にそうなんだろうか。それはもちろん大事なことだが、「政府のエネルギー政策」という話である。原発と、そこに蓄えられている使用済み核燃料はそのままではないか。
福島第一原発事故の経緯を思い出せば、運転中だった1~3号機は、地震により緊急停止したものの、津波による電源喪失(地震による震動で損傷した可能性も残されているが)により冷却が不可能になって、炉心溶融(メルトダウン)に至った。しかし、定期点検中だった4号機でも「核燃料プール」の冷却が不可能となり、水素爆発が起こるなど非常に危険な状況が続いた。(場所が離れていて、やはり点検期間中だった5・6号機は、一時機能が喪失したものの電源が回復し冷却が続いていて無事だった。なお、4号機の核燃料は今年中に取り出される予定となっている。)そうすると、やはり原子炉に燃料があるかどうかは、非常に重大な違いではあるが、「定期点検中でもけっして安心できず、冷却が不可能になれば大事故が起こる場合もありうる」ということである。
巨大地震の震動、巨大津波ばかりではなく、巨大噴火、大規模な土砂災害、テロや戦争などの不慮の事態が万が一起きた場合、運転が停止中だったというだけでは安心はできず、完全に廃炉の工程が終了し、使用済み核燃料が取り出されて適切に処理されていないと、十分には安心できないのである。そこまで行って「完全な脱原発」と考えると、今直ちに全原発の廃炉を決定したとしても、人員的、資金的に2050年になっても終わってはいないだろう。というか、核廃棄物の処理方法が決まってない以上、何年というメドを立てることさえ全く不可能な状態にある。そこまでの時間で考えてみると、どうも予想される東南海地震や首都圏直下型地震の方が先に来てしまいそうである。
さて、原発を今後新設することは可能だろうか。いくら何でも、それはできないのではないか。山口県の上関原発(工事中断中)は1980年代から建設計画があったが、強固な反対運動があり今もなお建設できていない。群馬県の八ッ場ダム、沖縄県の辺野古への米軍基地移設などを考えても、新たに原子力発電所を作ろうなどという試みが実るとは思えない。原子力規制委員会だって、今ある原発の審査で精一杯で、新設を申請してもいつ認可されるか判らないし、土地買収、漁業権放棄、環境調査などが順調に進むわけがない。福島第一原発はもともと7号機、8号機まで建設する予定だった。このように今ある原発の施設内に新設できる場所がないとは言えないかもしれないが、それでも相当な時間がかかるのは間違いない。
原子力規制委員会の規制方針によれば、「原発は基本的に40年で運転終了」だということである。ということは、今ある原発のすべては、2050年頃にはもう終わっているのである。今後も日本の発電で原子力を維持し続けようと思うなら、新設するには強い反対運動を考えれば、30年、40年はかかってしまうと予想できるから、今直ちに原発新設に動き出さなければ、21世紀半ばにはどうしたって原発は終わってしまうのである。
日本で現在「生きている」原発(原子力規制委員会が認めれば運転できる可能性がある原発、正式に廃炉となっていない原発)を調べると、16原発、全48基になる。(正式に廃炉が決定しているのは、東海原発と福井県にある「ふげん」、浜岡原発の1・2号機と福島第一原発の全6基の、計10基となる。)その運転開始の時期を調べてみれば、70年代前期(つまり、すでに期限の40年が来ているもの)が6基もある。今後10年内に運転開始40年を迎える、70年代後期が6基、80年代前期が6基となる。以下、80年代後期が10基、90年代前期が11基となり、90年代後期が4基、21世紀に運転開始となったものはたった5基である。こうして見ると、日本の原発はもともと70年代から80年代頃の技術だったのである。今後どんどん廃炉の過程に(政権の方針に関わらず)入って行って、「40年ルール」を変えない限り、2030年代半ばには10基程度しか残らない。
その時点で、日本の人口は9000万人程度に減少しているはずで、新たに原発を新設する必要などどこにもないだろう。そうなったら、残った原発(2030年代まで原発が生き残ったとして)を維持する必要も経済的には少ない。前倒しして原発を卒業するという方が、賢いシナリオになってくるはずである。このように見て来れば、早いうちに原発を卒業し、廃炉作業を進めていく方が「正しい方向性」だというのは、常識で考えれば揺るがないと思う。
ただ、もちろんエネルギー問題や経済合理性などとは違った観点から考えれば、また結論は別となる。日本はアメリカ、ロシア、中国と三大核兵器保有国に囲まれている。「東アジアの安全保障状況は大きく変わった」と安倍政権などはいつも言うけど、かつて野党時代の石破茂自民党政調会長(当時)が2011年夏頃に主張していたように(僕もこのブログで当時書いたけれど)、「日本がプルトニウムを保持しているということを示すのが重要」だという考えである。原発を運転すれば、プルトニウム型原爆の材料となるプルトニウムが得られる。もちろん日本は核不拡散条約に加盟し、プルトニウムは国際原子力機関の査察を受けている。しかし、それでも「プルトニウムが国内に大量にある」、そして「原爆製造の技術的、経済的可能性はありうる」と世界的に考えられている。この状況の方が望ましいというのが、恐らく「原発を保持していく」という安倍政権の真意だろうと思う。結局、現政権にとって、「安保が優先」なのだと判断している。(ちょっと書きそびれた問題があるので、それは明日以後に。)
こうした状況は小さな記事だが、一応伝えられている。しかし、政府の中枢のある東京と福島現地では、だんだん状況の違いが大きくなってきた感じがある。しかし、今もなお、突然住宅を追われたまま帰れなくなっている人々が何万人もいる。福島第一原発にほど近い町村は、人が住めない状態となって3年になった。自然災害では伊豆諸島の三宅島で、2000年に噴火にともなって全島避難した例が記憶に新しい。この時は2005年に避難命令が解除されたが、3800名ほどいた住民は現在2700人ほどで、7割ほどになっている。一方、人間の行いにより自治機能のある地帯がなくなった例としては、足尾鉱毒事件の遊水地をつくるため強制的に廃村とされた栃木県谷中村のことを思い出さないわけには行かない。それにしても、これほど広い場所が人が住めないまま数年も経ってしまうということの「精神的な空虚感」は非常に大きなものがある。
さて、原発問題には様々な視点がありうる。事故の状況もまだまだはっきりとされていない点があるようだが、現地は普通の人は行けないから、現場の状況は語れない。放射線被曝の影響、福島県民健康調査の問題、「風評被害」に関することなど考えるべき問題は多いが、自分にはっきり語れないテーマが多い。論点が細かくなるにつれて、専門的な知識がないと書けないような感じになった。人には関心領域やフィールドの違いがあるから、僕には「日本のハンセン病の歴史」とか「袴田事件の冤罪性」など、ある程度は細かく書けるテーマもあるけど、原子力問題はお門違いなのである。だから、原発事故直後はかなり書いていたが(そのことは過去の記事をさかのぼって行けば判る)、最近は書いてこなかった。
一方、この間の脱原発運動に関しても、「多分そうなるだろうなあ」という道をたどっているように思う。今回はそれまであまり社会運動に関係してこなかった層が、インターネットやケータイ(スマホ)を通して新しい運動を作り出していくと「期待」していた人も多かったようだけど、自分の時間を費やして行う社会運動である以上、僕はそう楽観的になれなかった。今回はチェルノブイリ事故後以上に粘り強く継続されていくと思うし、そうでなければならないが、どうしても「日本の社会運動の弱点」を完全に免れることもできない。(その「弱点」って何だと問われるだろうけど、今書く気はしないので、勝手に想像してくれて構わない。)今回は、「脱原発とは何か」を中心に、今後の脱原発への道のりを考えることを中心に書く。
原子力発電所というものは、(改めて書くまでもないが)電気ネネルギーを発生させるタービンを回す動力に、核分裂反応で生じる大量の熱(で水を沸騰させた蒸気エネルギー)を利用するという仕組みである。だから、基本的に「脱原発」というとき、「では電気は何でつくればいいのか」という発想がなされてきた。そこで「再生可能エネルギー」を発展させるべきだ、いや、それは無理だろうなどという議論になる。現時点で日本の原発はすべて点検期間に入っていて一基も稼働していないわけだが、では日本は何で電気を作っているのかを確認しておこう。2012年度のデータになるが、電気事業連合会による2013年5月の資料によれば、火力発電合計で88.3%、内訳を見れば、LNG(液化天然ガス)が42.5%で一番多い。続いて、石炭が27.6%、石油等が18.3%である。他では、水力発電が8.4%、原子力が1.7%(当時唯一稼働していた大飯原発のもの)、地熱及び新エネルギーが1.8%となっている。(なお、天然ガスの輸入元は、オーストラリア、カタール、マレーシアについでロシアが4位となっている。このため、ウクライナ情勢は日本にとっても非常に頭の痛い問題である。)
このように事実上火力発電、それも天然ガスが発電の半分近くを占めている。これは地球温暖化をもたらすとか、アベノミクスによる円安で巨大な財政赤字が生じているなどの問題があるのは事実。(短期的には、いくつかの原発を稼働させれば、電力会社の財務状況を相当に改善させるのは間違いない。)でも、放射性廃棄物の処理も決まってない以上、どこかで「脱原発」に向かっていく必要がある。現在は原発が稼働していないため、「この状態を続けて行けば脱原発」になるという主張も強い。昨年からは小泉元首相が「首相が決断すれば、脱原発できる」と盛んに発言するようになった。でも、本当にそうなんだろうか。それはもちろん大事なことだが、「政府のエネルギー政策」という話である。原発と、そこに蓄えられている使用済み核燃料はそのままではないか。
福島第一原発事故の経緯を思い出せば、運転中だった1~3号機は、地震により緊急停止したものの、津波による電源喪失(地震による震動で損傷した可能性も残されているが)により冷却が不可能になって、炉心溶融(メルトダウン)に至った。しかし、定期点検中だった4号機でも「核燃料プール」の冷却が不可能となり、水素爆発が起こるなど非常に危険な状況が続いた。(場所が離れていて、やはり点検期間中だった5・6号機は、一時機能が喪失したものの電源が回復し冷却が続いていて無事だった。なお、4号機の核燃料は今年中に取り出される予定となっている。)そうすると、やはり原子炉に燃料があるかどうかは、非常に重大な違いではあるが、「定期点検中でもけっして安心できず、冷却が不可能になれば大事故が起こる場合もありうる」ということである。
巨大地震の震動、巨大津波ばかりではなく、巨大噴火、大規模な土砂災害、テロや戦争などの不慮の事態が万が一起きた場合、運転が停止中だったというだけでは安心はできず、完全に廃炉の工程が終了し、使用済み核燃料が取り出されて適切に処理されていないと、十分には安心できないのである。そこまで行って「完全な脱原発」と考えると、今直ちに全原発の廃炉を決定したとしても、人員的、資金的に2050年になっても終わってはいないだろう。というか、核廃棄物の処理方法が決まってない以上、何年というメドを立てることさえ全く不可能な状態にある。そこまでの時間で考えてみると、どうも予想される東南海地震や首都圏直下型地震の方が先に来てしまいそうである。
さて、原発を今後新設することは可能だろうか。いくら何でも、それはできないのではないか。山口県の上関原発(工事中断中)は1980年代から建設計画があったが、強固な反対運動があり今もなお建設できていない。群馬県の八ッ場ダム、沖縄県の辺野古への米軍基地移設などを考えても、新たに原子力発電所を作ろうなどという試みが実るとは思えない。原子力規制委員会だって、今ある原発の審査で精一杯で、新設を申請してもいつ認可されるか判らないし、土地買収、漁業権放棄、環境調査などが順調に進むわけがない。福島第一原発はもともと7号機、8号機まで建設する予定だった。このように今ある原発の施設内に新設できる場所がないとは言えないかもしれないが、それでも相当な時間がかかるのは間違いない。
原子力規制委員会の規制方針によれば、「原発は基本的に40年で運転終了」だということである。ということは、今ある原発のすべては、2050年頃にはもう終わっているのである。今後も日本の発電で原子力を維持し続けようと思うなら、新設するには強い反対運動を考えれば、30年、40年はかかってしまうと予想できるから、今直ちに原発新設に動き出さなければ、21世紀半ばにはどうしたって原発は終わってしまうのである。
日本で現在「生きている」原発(原子力規制委員会が認めれば運転できる可能性がある原発、正式に廃炉となっていない原発)を調べると、16原発、全48基になる。(正式に廃炉が決定しているのは、東海原発と福井県にある「ふげん」、浜岡原発の1・2号機と福島第一原発の全6基の、計10基となる。)その運転開始の時期を調べてみれば、70年代前期(つまり、すでに期限の40年が来ているもの)が6基もある。今後10年内に運転開始40年を迎える、70年代後期が6基、80年代前期が6基となる。以下、80年代後期が10基、90年代前期が11基となり、90年代後期が4基、21世紀に運転開始となったものはたった5基である。こうして見ると、日本の原発はもともと70年代から80年代頃の技術だったのである。今後どんどん廃炉の過程に(政権の方針に関わらず)入って行って、「40年ルール」を変えない限り、2030年代半ばには10基程度しか残らない。
その時点で、日本の人口は9000万人程度に減少しているはずで、新たに原発を新設する必要などどこにもないだろう。そうなったら、残った原発(2030年代まで原発が生き残ったとして)を維持する必要も経済的には少ない。前倒しして原発を卒業するという方が、賢いシナリオになってくるはずである。このように見て来れば、早いうちに原発を卒業し、廃炉作業を進めていく方が「正しい方向性」だというのは、常識で考えれば揺るがないと思う。
ただ、もちろんエネルギー問題や経済合理性などとは違った観点から考えれば、また結論は別となる。日本はアメリカ、ロシア、中国と三大核兵器保有国に囲まれている。「東アジアの安全保障状況は大きく変わった」と安倍政権などはいつも言うけど、かつて野党時代の石破茂自民党政調会長(当時)が2011年夏頃に主張していたように(僕もこのブログで当時書いたけれど)、「日本がプルトニウムを保持しているということを示すのが重要」だという考えである。原発を運転すれば、プルトニウム型原爆の材料となるプルトニウムが得られる。もちろん日本は核不拡散条約に加盟し、プルトニウムは国際原子力機関の査察を受けている。しかし、それでも「プルトニウムが国内に大量にある」、そして「原爆製造の技術的、経済的可能性はありうる」と世界的に考えられている。この状況の方が望ましいというのが、恐らく「原発を保持していく」という安倍政権の真意だろうと思う。結局、現政権にとって、「安保が優先」なのだと判断している。(ちょっと書きそびれた問題があるので、それは明日以後に。)