尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

画期的な決定-袴田事件の再審開始決定

2014年03月27日 22時44分23秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2014年3月27日(木)、静岡地裁でいわゆる「袴田事件」の再審開始決定が出た。画期的なことに、死刑の執行停止だけでなく、「拘置の停止」、つまりは釈放という判断も示された。「これ以上拘置を続けるのは耐えがたいほどの不正義」とまで述べている。日本の人権の歴史の中に残り続ける司法判断である。その決定を受け、袴田巌さんは夕刻に釈放された。近年袴田事件は世界的に注目され、日本の司法制度の残酷さを示すケースと見なされていた。今回の決定を心から喜んでいる。

 それにしても、「人の生命を奪うほどの決定を行える司法権力」は、同時に「死刑囚を釈放できるほどの権力」をも持っているのである。「死刑制度」とは一体なんだろうか。そして「証拠のねつ造」で、人の人生を奪い去ってしまう「国家権力」とは一体なんだろうか。無実の人間を、証拠をねつ造して死刑判決に追い込む。「国家悪」「権力悪」の極致ではないか。

 昨日この問題を予告したが、そこでは「審理経過から見て、今回こそは袴田事件の再審が認められるのではないかと期待を持っていたい」と書いた。このような期待は裁判所によって裏切られることがかなりあるので、「期待を持っていたい」とニュアンスを弱めておいた。しかし、年度内にも決定が出るという見込みが強く示されていたので、それは今までの訴訟指揮から見て、「無罪の心証を固めたので、人事異動前に決定を出しておきたい」という意味である可能性が高いのだろうと実は考えていた。だが、「証拠ねつ造」に関する判断は出るか出ないか微妙な所だと思っていた。(あまりに捜査当局批判が強いと、上訴される可能性も大きくなるので。)また、死刑執行停止の決定は(再審開始の場合)出るだろうと思っていたが、「釈放」までは予想していなかった。(その理由は後述。)だから、予想を上回る素晴らしい決定だったと考えている。

 この事件は論点が多いので、詳しく知りたい人は支援団体のサイトが複数あるので簡単に見ることができる。今は「証拠ねつ造問題」と「釈放」の問題について簡単に書いておきたい。「清水」と言えば、昔は次郎長、今はエスパルスに名前が残るが、現在では政令指定都市になった静岡市の一部である。1966年、その清水にあった味噌製造会社の専務一家4人が惨殺され放火された。単なる金目当てだけではない可能性が高い。(会社の売上金8万円が奪われたとされるが。)犯行及び事件前後には不思議なことがいろいろあるのだが、今は省略する。結局、6月30日に起こった事件で、8月18日に袴田さんが逮捕された。一か月半経っている。捜査は難航したのである。そして「内部犯」と目され、「ボクサー崩れ」の偏見から(だと思うのだが)袴田さんに捜査が集中したのである。袴田さんはなかなか「自白」しなかったが、勾留期限3日前の9月6日に「自白」が取られた。

 さて、当時地元新聞等のマスコミは「血染めのパジャマを発見」と大きく報道し、この血痕が「決め手」だと伝えたのである。袴田さんは事件当時(火事になったのは深夜1時半である)、寝込んでいて(深夜だから当然)、パジャマのまま消火活動に参加し、ケガをしたのだと抗弁したのだが。そして実際に、パジャマには何かに引っ掛けて開けた穴があるという。さて、もちろん「実は殺人事件を起こしておいて、何食わぬ顔をして消火に参加して疑われないようにした」ということも、可能性としてはありうることである。だから、取られた「自白」では「パジャマで殺人した」となっていた。

 ところが1967年8月31日、この会社の味噌タンクから「血染めの5点の衣類」が見つかる。すでに公判中だったが、検察側が裁判途中で主張を変更、この時見つかった衣類こそ真犯人の着ていたもので、それは袴田本人のものだと主張したのである。袴田さんのものだという根拠は、あらためて行った家宅捜索で、袴田さんの実家から「ズボンの共ぎれ」が発見されたからというのである。では、捜査中に取られた「自白」は何だったのだろうか。「パジャマでやった犯行」という「自白」は。これだけで「無罪」でしょう。常識で考えるなら。この新発見のズボンを裁判で履かせてみたら、小さすぎて履けない。その様子は「袴田ネット」ホームページのトップにある。それなのに「味噌に浸かって縮んだ」と根拠もなく決めつけ、袴田さんのズボンとされ、死刑判決の根拠とされていたのである。

 ところで「証拠ねつ造」問題に関しては、70年代後半の時点では、支援運動の中でも「5点の衣類は真犯人のもので、それは袴田さんのものではない」と主張していたと思う。共ぎれについては、「味噌漬けズボンと同じ共ぎれを何とか探してきて、後から実家に仕込んで濡れ衣を着せようとした」と僕は判断していた。(狭山事件の石川さん宅で、後から「発見」された万年筆のように。)いくら悪らつな警察官といえども、衣類に血をつけて被害会社の味噌タンクに後から漬け込んで、それが真犯人の衣類だなどと企むとは容易には信じられない。第一、そんなことをしたら、「前の自白はウソということだから、ウソの自白をさせた警察のミスはどうなる」と逆効果になるかもしれない。ところが、そういう「高等戦略」を使って、「自白を捨てても有罪にできる最終兵器」として、この「5点の衣類」が使われたのである。

 袴田さん本人は早くから「ズボンはねつ造証拠」と言っていたらしいのだが、弁護側が本格的に主張したのは今回の再審段階からではないかと思う。「DNA型鑑定」という新しい武器が現われたこと、「味噌漬け実験」の結果、本当に一年以上漬けたらもっと真っ黒になり、発見当時程度の色なら短い時間でないとおかしいとはっきりしたという理由が大きい。しかし、常識で考えてみれば、もっと早く判ったのである。真犯人なら、わざわざ脱いで味噌タンクに漬け込む方が危険性が高い。埋めたり、川に捨てたりすれば、見つかるかもしれないが見つからないかもしれない。でも、味噌タンクなら、いつかは必ず見つかる。一番いいのは、放火もしてるんだから、一緒に燃やしてしまうことである。それ以上に、見つかったシャツにも、「穴が開いていた」のである。「だから、このシャツを着て消火活動に参加した証拠」というわけである。でも、同じ場所に穴がある衣類が二つあるのはおかしい。後から出てきた方が、先にあったものをマネして作ったということになるはずなのである。

 さて、「死刑囚にとって刑罰とは何か」。罰金だったら金を払わせること。懲役刑だったら「懲らしめ」として仕事をさせることである。では、死刑の場合は?それは「絞首」である(日本の場合)。つまり、クビに縄をかけて吊るすこと、それによって生命を奪うこと。それが刑罰であって、拘置所に閉じ込めておくことは、刑罰そのものではない。拘置所というのは、裁判中または捜査中の被告、被疑者の自由を拘束する施設で、刑務所とは違う。そのような「推定無罪」の扱いを受けるべき人々の中で、死刑囚は裁判が終わっても執行まで閉じ込められている。刑務所へ行くという刑罰ではないので、死刑執行は拘置所に設けられた施設で行うのである。(だから袴田さんは東京都葛飾区小菅の東京拘置所から釈放された。)

 再審開始が決まっても、再審が終わって無罪になっていない以上は、まだ袴田さんは今でも身分的には死刑囚である。「死刑囚を釈放することができるのか。」今まで80年代に4件行われた死刑確定者の再審裁判では、再審が終わって無罪判決が出るその日まで釈放されることはなかった。「死刑囚の刑罰である執行」は停止になっていたが、「刑罰そのものではない拘置」は取り消されなかったのである。これは「死刑確定者という身分を最重要視する」という意味では、法的に必ずしも間違っていないと言える。しかし、現実には再審で必ず無罪になっている。当たり前である。無罪になるべき新証拠がなければ、再審は開けない。だから無罪になるべき事件で再審が行われる。しかし、そこまで無罪の方向性が明らかなんだったら、なんで再審裁判終了まで自由を奪わないといけないのか。おかしいではないか。

 今まで「人身保護法」など様々な訴えをして死刑再審事件で釈放を求めてきたが、過去の4件では通らなかった。だが、今回は違った。近年足利事件や東電女性社員殺人事件などで、再審裁判前に釈放されている。でも無期懲役なら「仮釈放」はあり得るので、そう考えると違和感はないだろう。でも死刑囚は仮に恩赦になっても無期懲役に減刑されるだけなので、「一発釈放」は今までの判例上は考えられなかったのである。今回直ちに釈放されたのは、「捜査当局の証拠ねつ造により人生を奪われた」と裁判官が心証を固めたということである。だから「耐えがたい不正義」とまで言って拘置の取り消しをも決定したのである。

 この衝撃は今後も多くの人の心に残り続けるだろう。袴田事件再審開始は、非常に大きな教訓を残していくと思う。その前にまだ再審そのものも決まっていない。検察側は今後も抵抗を続ける可能性が高い。通常の裁判での「控訴」にあたる即時抗告を東京高裁に申し立てるかどうか。もはやこれ以上争わずに、一日も早く再審を開くことこそが大切である。書き残したことがあるので、明日もう一回書くことにする。
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