尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ルーニー・マーラが素晴らしい、映画「キャロル」

2016年03月08日 23時27分19秒 |  〃  (新作外国映画)
 旧作映画を見ることが多いが、新作映画も見ないとどんどん終わってしまう。タランティーノの新作や「オデッセイ」もあるが、まずはパトリシア・ハイスミス原作のトッド・ヘインズ監督「キャロル」。50年代のニューヨークを舞台にした、同性愛の映画である。ルーニー・マーラがカンヌ映画祭で女優賞を取っていて、今年のアカデミー賞でもケイト・ブランシェットが主演、ルーニー・マーラが助演でノミネートされたが、どちらも受賞には至らなかった。一方、作品賞や監督賞にはノミネートされていない。トッド・ヘインズ監督のかつての作品、「エデンより彼方へ」(2002)や「アイム・ノット・ゼア」(2007)も作品賞にはノミネートされなかった。作家性が高く、アカデミー賞に向かない映画を作っているというべきだろう。

 見てみると、50年代の風俗を丁寧に再現しながら、同性愛への偏見の強い時代を浮き彫りにしていく傑作だった。単に性的マイノリティを描くに止まらず、「愛の映画」として、また50年代の「自分探し」物語として出来がいい。タイトルロールのケイト・ブランシェットも素晴らしいのだが、デパート店員としてキャロルと出会うテレーズ・ベリベット役のルーニー・マーラがあまりにも素晴らしいので驚いた。「ミレニアム」をアメリカでリメイクした「ドラゴン・タトゥーの女」で、リスベット役を演じてアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた人である。1985年生まれだが、もっと若い役柄をやって不自然さがない。

 キャロルは裕福な夫と娘がいるが、夫のお飾りで空疎な暮らしに愛想をつかし、離婚を考えている。クリスマス前にデパートで買い物をして、手袋を忘れる。店員のテレーズが郵送することになるが、それをきっかけに関係が始まるのである。テレーズは付き合っている男もいるが、今の生活に納得せず写真家を目指している。キャロルに魅惑されたテレーズは、誘われるままキャロルの屋敷を訪れるようになるが、そこに夫が現れ、二人のようすを邪推する。夫が「離婚後の娘の親権は認めない」と主張を変えたことにキャロルは絶望し、クリスマスの家にいられないとドライブに出る。その旅行にテレーズを誘い、同行することになる。行方も定めぬ西へのドライブが、素晴らしいロード・ムーヴィーで、そこまで二人は結ばれていない。旅の途中で結ばれると、それは「罠」に落ちることにも通じていた。

 「愛」にはその時代ごとの「手続き」があるわけで、特に性的に結ばれるには昔は高いハードルがあった。というか、法的に結婚するまでは性交渉はタブーだったのが多くの社会である。(今もイスラム社会では同じだが。まだどんな社会でも、金と権力を持つ男のための売春制度はあったわけだが。)だけど、異性愛なら結婚までガマンすればいいとしても、同性愛の場合は絶対に結婚できないわけだから、そこが難しい。妊娠の恐れがないから秘密にしやすいとも言えるが、特に欧米では社会的偏見や制裁が強く、ハードルは非常に高いだろう。この物語にあるように、すでに子供がいる場合、子育てにふさわしくないとみなされる。「異常性愛」という「精神疾患」として扱われた時代だからだろう。

 だから、キャロルとテレーズがいかに結ばれるか、あるいは結ばれないかが、時代相の中で丁寧に描写される。それが面倒くさいと言えば、そういう風にも見えるが、そこにある心理的サスペンスが見所なのである。特に、キャロルの服や帽子、装身具などとテレーズの衣装や帽子などの違いがとても面白い。ケイト・ブランシェットは「ブルー・ジャスミン」でオスカー受賞の勘違い女も記憶に新しい。今回もさすがにうまいもので、すでに娘もありながら同性愛に目覚める美貌の女性という役柄を見事に演じて、嘘くさくない。だけど、最初は自信なげだが、だんだん自らの生き方を見つけていくテレーズはもっと素晴らしい。仕事も新しく見つけても、やはり孤独な姿が心を打つ。ルーニー・マーラの真骨頂である。この二人の演技を見るためだけでも、何回も見直したい映画。

 パトリシア・ハイスミス(1921~1995)は、アメリカ生まれの女性ミステリー作家だが、「キャロル」は別名義で1952年に書いたノンミステリー。日本でも河出文庫から翻訳が出て、僕もハイスミスがこういう作品を書いていたことを知った。ハイスミスの作品に見られる異様なまでのサスペンス、不安の描出は、単に現代人一般のものではなく、同姓愛者という背景があったのかと判ると、よく納得できた感じがする。ハイスミス作品は多くが映画化されていて、いくつ挙げられるかは映画マニア度を測る度合とも言える。「太陽がいっぱい」(リメイクは「リプリー」)、ヒッチコックの「見知らぬ乗客」、ヴェンダースの「アメリカの友人」(リプリーシリーズ3作目の映画化)あたりは初級レベル。シャブロルが映画化した「ふくろうの叫び」も素晴らしいが、去年日本公開の「ギリシャに消えた嘘」もあった。ヴィゴ・モーテンセン、キルスティン・ダンストのキャストはいいし、ギリシャ風景もキレイなんだけど、映画は大したことなかった。今後、ハイスミスの小説、及び映画化を論じるとき、「キャロル」を最初に書くことになるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする