映画はフィルムセンターで根岸吉太郎監督の作品を見てるので、新作がなかなか見られない。その間に、今ごろ見た「映画ビリギャル」を3回も書いてしまった。そう言えば、今日になって突然、先月神保町シアターでやっていた芦川いづみの特集を全部見たことを思いだした。スタンプラリーをやっていたので、去年見たばかりの映画もついでに見ちゃったのである。で、招待券を2枚くれるということだったけど、どうなっているんだろうと思ったら家に帰ったら届いていた。それも縁だから、ちょっと戻って芦川いづみの映画、というか日本の50年代、60年代を映画を通して考えるということだが、少し書いておきたいと思う。まず、直木賞作家・源氏鶏太(げんじ・けいた、1912~1985)の原作映画。
源氏鶏太は、1951年に「英語屋さん」で直木賞を受賞し、その後サラリーマン小説をものすごくたくさん書いた。それらの小説はどんどん映画化され、80本にもなるとウィキペディアにある。ラピュタ阿佐ヶ谷で2011年の「3・11」前後に特集をやったけれど見なかった。一番有名で重要な作品は「三等重役」だと思うが、これが東宝で映画化され「社長シリーズ」につながっていく。「三等重役」とは、戦後になって戦時中の役員が追放されたため特進できた軽量重役を指す言葉。流行語にもなった。
昔は山のように各文庫に入っていたけど、読むこともないままもう全部消えてしまった。松本清張や司馬遼太郎なんかを除き、30年ぐらい前にいっぱい出てた「大衆文学」は時代の流れに耐えられなかったものが多いのである。特に「サラリーマン小説」なんかだと、今の時代とは離れすぎているだろう。でも、今となっては高度成長期を読み解く「考古遺跡」のような意味が出てきたかもしれない。
芦川いづみ映画ではないが、近ごろ源氏鶏太の小説が久しぶりに文庫に収録された。ちくま文庫の「青空娘」である。これは増村保造監督、若尾文子主演で映画化された。とてもよく出来た青春明朗編で、20本近く組んだ増村=若尾映画の最初の作品である。読んでみたら、これが映画と全く同じなことにビックリした。同じというか、結末は違っているし、細部の登場人物も少し違う。だけど、作品に漂うムードが全く同じと言ってもいいのである。「語り口」が同じなのである。とても読みやすく、誰でもスラスラ読める。「明星」連載という「少女小説」であり、「昭和のラノベ」を楽しめる。同じコンビによる「最高殊勲夫人」も源氏原作。これもよく出来ていて、面白く見られる映画である。
今回3本見た石原裕次郎=芦川いづみの源氏鶏太映画は、はっきり言ってしまえば、石坂洋次郎原作映画の足元にも遠く及ばない映画ばかりだ。もっとも、見る前から大した期待はしていない。芦川いづみと裕次郎が、さわやかコンビで会社にはびこる悪を懲らしめるのを、ただ楽しんで見ていればいいのである。「喧嘩太郎」(舛田利雄監督、1960)、「堂々たる人生」(牛原陽一監督、1961)、「青年の椅子」(西河克己監督、1962)と監督は娯楽映画の名手が揃っていて、それなりに楽しめる。
何がダメかと言うと、物語そのものに魅力がないということに尽きる。東宝の植木等の無責任男が作られようという時代に、源氏原作の浮世離れした設定は魅力が乏しい。もっともそれは物語の話で、「喧嘩太郎」のように芦川いづみが「婦人警官」(当時の呼び方)になったりするのは見応えがある。裕次郎の会社の不正を警察も追及していて、会社の正義派と「婦警」が協力する。話はムチャだが、以下の写真にある警官姿は一見の価値あり。
(喧嘩太郎)
浅草の玩具会社の社員裕次郎と、そこに押しかけ社員となる芦川いづみが、倒産寸前の会社を救うという「堂々たる人生」も楽しいことは楽しい。展開が不思議なんだけど、まあいいだろうという映画。僕が一番面白かったのは「青年の椅子」で、会社の一大事の鬼怒川温泉での得意先接待で、裕次郎と「タイピスト」の芦川が親しくなる。だけど、彼女は藤村有弘と婚約しているが、藤村は会社乗っ取りの陰謀をたくらむ一派にいる。正義派の営業部長、宇野重吉が苦境に立たされるのを、裕次郎と芦川で助けて会社を救う話。芦川いづみは、得意の和文タイプで藤村に婚約解消を告げ、同時に裕次郎からの「プロポーズ受け入れ」を事前にタイプしておくのがおかしい。
(青年の椅子)
ただのタイピストが接待で重要な役をするのもおかしいし、その後の展開もどうかと思う。でもまあ、お得意先を温泉に接待するのが一年の重大事だというあたりに、当時の慣習が現れている。水谷良恵(現・二代目水谷八重子)が重要な役で出ているのも貴重である。話に現実味がなくても、当時の東京の風景などにも時代相が出ていて、そういう見所もある。
源氏鶏太は、1951年に「英語屋さん」で直木賞を受賞し、その後サラリーマン小説をものすごくたくさん書いた。それらの小説はどんどん映画化され、80本にもなるとウィキペディアにある。ラピュタ阿佐ヶ谷で2011年の「3・11」前後に特集をやったけれど見なかった。一番有名で重要な作品は「三等重役」だと思うが、これが東宝で映画化され「社長シリーズ」につながっていく。「三等重役」とは、戦後になって戦時中の役員が追放されたため特進できた軽量重役を指す言葉。流行語にもなった。
昔は山のように各文庫に入っていたけど、読むこともないままもう全部消えてしまった。松本清張や司馬遼太郎なんかを除き、30年ぐらい前にいっぱい出てた「大衆文学」は時代の流れに耐えられなかったものが多いのである。特に「サラリーマン小説」なんかだと、今の時代とは離れすぎているだろう。でも、今となっては高度成長期を読み解く「考古遺跡」のような意味が出てきたかもしれない。
芦川いづみ映画ではないが、近ごろ源氏鶏太の小説が久しぶりに文庫に収録された。ちくま文庫の「青空娘」である。これは増村保造監督、若尾文子主演で映画化された。とてもよく出来た青春明朗編で、20本近く組んだ増村=若尾映画の最初の作品である。読んでみたら、これが映画と全く同じなことにビックリした。同じというか、結末は違っているし、細部の登場人物も少し違う。だけど、作品に漂うムードが全く同じと言ってもいいのである。「語り口」が同じなのである。とても読みやすく、誰でもスラスラ読める。「明星」連載という「少女小説」であり、「昭和のラノベ」を楽しめる。同じコンビによる「最高殊勲夫人」も源氏原作。これもよく出来ていて、面白く見られる映画である。
今回3本見た石原裕次郎=芦川いづみの源氏鶏太映画は、はっきり言ってしまえば、石坂洋次郎原作映画の足元にも遠く及ばない映画ばかりだ。もっとも、見る前から大した期待はしていない。芦川いづみと裕次郎が、さわやかコンビで会社にはびこる悪を懲らしめるのを、ただ楽しんで見ていればいいのである。「喧嘩太郎」(舛田利雄監督、1960)、「堂々たる人生」(牛原陽一監督、1961)、「青年の椅子」(西河克己監督、1962)と監督は娯楽映画の名手が揃っていて、それなりに楽しめる。
何がダメかと言うと、物語そのものに魅力がないということに尽きる。東宝の植木等の無責任男が作られようという時代に、源氏原作の浮世離れした設定は魅力が乏しい。もっともそれは物語の話で、「喧嘩太郎」のように芦川いづみが「婦人警官」(当時の呼び方)になったりするのは見応えがある。裕次郎の会社の不正を警察も追及していて、会社の正義派と「婦警」が協力する。話はムチャだが、以下の写真にある警官姿は一見の価値あり。

浅草の玩具会社の社員裕次郎と、そこに押しかけ社員となる芦川いづみが、倒産寸前の会社を救うという「堂々たる人生」も楽しいことは楽しい。展開が不思議なんだけど、まあいいだろうという映画。僕が一番面白かったのは「青年の椅子」で、会社の一大事の鬼怒川温泉での得意先接待で、裕次郎と「タイピスト」の芦川が親しくなる。だけど、彼女は藤村有弘と婚約しているが、藤村は会社乗っ取りの陰謀をたくらむ一派にいる。正義派の営業部長、宇野重吉が苦境に立たされるのを、裕次郎と芦川で助けて会社を救う話。芦川いづみは、得意の和文タイプで藤村に婚約解消を告げ、同時に裕次郎からの「プロポーズ受け入れ」を事前にタイプしておくのがおかしい。

ただのタイピストが接待で重要な役をするのもおかしいし、その後の展開もどうかと思う。でもまあ、お得意先を温泉に接待するのが一年の重大事だというあたりに、当時の慣習が現れている。水谷良恵(現・二代目水谷八重子)が重要な役で出ているのも貴重である。話に現実味がなくても、当時の東京の風景などにも時代相が出ていて、そういう見所もある。