尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

知識は力になる-「映画ビリギャル」考③

2016年03月23日 23時39分17秒 |  〃 (教育問題一般)
 「映画ビリギャル」の話は2回で終わる予定だったが、この機会にせっかくだから書いておきたいことがある。他の事を書く余裕もないので、簡単にいくつか。まず、「塾の先生はなぜ彼女を信じたのか」という問題である。学校の先生だって、クズだクズだと言いながら、結局「寝てる」ことを認めさせられている。(ちなみに、この担任を演じているのは安田顕で、この前書いた「俳優 亀岡拓次」の主演俳優である。だけど、実は見てる間に全く気付かず、最後にクレジットを見てビックリした。)

 ところで、その問題の一つの答えは「有村架純がやってるから」というものだろう。映画内ではこれはとても大きく、実際問題として観客のホンネはそこにあるだろう。だけど、そこをもう一つ考えてみたいと思う。僕の考えは「大人と会話を楽しめるタイプだから」という答えである。映画内で描かれる塾の先生とのトンチンカン問答の面白さ。あるいは父親でも担任教師でも、その場合は負の応答になっているが、やり取りができている。やり取りができない、特の気の利いた会話にならないというタイプもいるのだが、学力に関わらず、「会話を楽しめるタイプ」も存在する。社会の中の役割として、学校行事やアルバイトでも「会話」の持つ力は大きい。だから、見ている側はちょっと見ただけで、「この子はやればできる」と信じることができる。これは多くの学校で見て来たことである。

 続いて、この映画で塾の先生が出しているメッセージ。それは「知識は力になる」ということである。そのことを映画の中でも強調している。そして、その「知識」というのは、「とりあえず既成の学問体系」なのである。世界を読み解くキーワードは、いろいろな所に隠されている。それは今では、秘密のどこかに隠されているというよりも、もう公開されているものが多い。自分で考えつく程度のことは、大体今まで生きていた人が誰か考えている。それは「勉強の量」の問題ではない。「勉強のやり方」を知ってるかどうかの問題と言った方がいい。それでも、ある程度の量を勉強しないと見えてこないものがある。勉強していない人だけが、知らないから損しているのである。そして、知ったかぶりを世の中に広めてしまう。「無知」であることに気づかない人は恥ずかしさも感じない。

 だけど、ただ量だけ勉強を積み上げてもダメである。世の中は、ある種「パターン」で出来ている。歴史の進み方も漢字の仕組みも、数学の公式も原子番号の並び方も。スポーツの上達法も、楽器の技法も…書いていっても、要するに世界のあらゆることが「パターン」なんだからキリがない。そのパターンは、自分で勉強する中でつかんで行く以外にない。勉強していない人は、「知識の体系」を持ってないから、困った段階で一つ一つ個別に悩んでしまう。一回一回に、その都度困ってしまう。それを繰り返してしまう。学校はともすると教科ごとにバラバラに生徒を頑張らせてしまうから、生徒が世界を読み解く力を十分に身に付けられない時がある。この映画の場合、勉強するごとに自信をつけていく。それは「知識を力に出来た」と言うことだろうと思う。

 だけど、映画内で解決されない困った問題もある。その最大は「長男の問題」である。長女である映画の主人公は、仮に慶應に受からなくても「近畿学院」に合格しているので、そこへ進学することで大学へ行ける。一方、プロ野球を目指すんだと父に強要されてきた長男は、野球で有名な私立高校へ通った後で能力の限界を悟ってしまう。退部したまま、学校も辞めてしまったとされる。実際にそういうことはかなり多。高校へスポーツ推薦で行きながら、ケガなどで部活を続けられなくなると学校から「ポイ捨て」されるのである。学習指導要領では部活動は必修ではないのだから、部活を辞めても学校側は生徒の指導にあたる義務がある。だけど、事実上「退部」=「退学」に近い学校もないとは言えない。

 スポーツ推薦で高校へ行けたぐらいだから、体力はもともと優れている。そういう子どもは、「学び直し」に出会う前に「遊びの誘惑」に逆らえなくなることも多い。映画の中の子どももそういう感じがする。これは困った問題だが、結構聞くことがある。野球やサッカーは人気スポーツでプロになるのも大変だが、世の中にはもっとマイナーだけど、頑張れば日本代表になれるかもしれないスポーツもあるのではないか。東京五輪では開催国枠で出場できるから、野球じゃないものに早くから変えていれば五輪代表になれたかもしれない。世の中的にももったいない話である。僕には解決策はない。私立高校がちゃんとしてくれと思うが、公立の定時制高校に移ってくる生徒の多さから見て、現実は難しい。この映画で一番気になるのは、長男が姉を見て立ち直っていけるかどうかということにつきる。
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