「葛飾区教育資料館」という場所がある。東京23区の東北の端の方だけど、旧水元小学校の建物に昔の教育資料が展示されている。だけど、耐震性の問題等で、今月(2016年3月)いっぱいで公開が終わる。中味の資料は他へ移動され、外観だけなら見られるということだが、中へ入れるうちに一度見ておこうかなと行ってみた。誰も入場者がいなくて、確かに閉館もやむを得ないか。
この建物が建てられたのは、1925年(大正14年)のこと。水元尋常高等小学校の増築校舎の2教室だった。1982年まで使われていたというから、50年以上になる。水元小の改築で、校舎の南に移築され「教育資料館」となった。大正時代の木造校舎が保存されているのは全国的にも珍しいという。関東大震災直後の建築のため、木材不足から米国産の松材が多く使用されている。
中には当時の教室の様子が再現されたり、昔の教科書などがズラッと展示されている。また、農具や玩具なども廊下に並んでいる。当時の水道の蛇口を見ると、関東式、関西式などがあったと知ることができる。まあ、いかにも古い学校が資料館になっているところに特有の、雑然たる「過去」が死んだように封印されていて、今の人がじっくり見る場所ではない感じがする。
ところで、ここは戦時中のある出来事によっても記憶されている。それは1942年4月18日の、アメリカ軍による日本本土初空襲、いわゆる「ドーリットル空襲」である。まだ西太平洋の制海権を大日本帝国が握っていた時期に、米軍空母がひそかに日本近海に近づき、選ばれた16機のB-25爆撃機によって日本を空襲しようという一種の「特攻作戦」だった。ドーリットル中佐が指揮したので、「ドーリットル空襲」と言われる。突然の奇襲により、日本各地で87名の死者が出たが、その一人が水元国民学校の高等科生徒石出巳之助だった。機銃掃射による。軍事目標を標的にしていたが、東京では早稲田中学も爆撃されている。また、民間人に対する機銃掃射もかなりあった。
ドーリットル隊の各機は、基本的には中国の国民政府地区を目指す計画だったが、日本軍につかまり捕虜となった隊員もいた。(8人が軍事裁判で死刑とされた。)他にソ連に向かった機もあり、そこらへんの運命はかなり興味深いが、今は触れない。当時の日本はまだ大勝利と浮かれていた時期で、やすやすと米機に本土上空を突破され、一機も撃墜できなかったことに衝撃を受けた出来事だった。この時の銃弾がこの資料館に保存されている。また、戦時中の日の丸の寄せ書きなどもある。東京大空襲に3年先立つ都内の民間戦死者の記憶が残されているのは貴重だろう。ところで、上下に開ける窓も面白い。建物が白くてきれい。隣に今の水元小が立つ。
葛飾区教育資料館は、JR、京成線の金町駅からバス。(都心からは、地下鉄千代田線に乗っていくのが一般的か。)駅を出て南口から京成バス「戸ヶ崎操車場」行き。水元小学校下車後、少し戻って「水元医院」を曲がるとすぐ。地理を知らないと歩いていける距離ではない。駐車場はなし。月火は休み。入場無料。近くに都内屈指の広さを誇る水元公園があり、5分ほど。そっちの駐車場は利用できる。水元公園というのは、名前はよく聞くけど行ったことがなく、ちょっと寄ってみた。カワヅザクラがきれいに咲いていた。水辺では多くの人が釣りをしていて、鳥も多い。ちゃんと訪れてみたい場所。
この建物が建てられたのは、1925年(大正14年)のこと。水元尋常高等小学校の増築校舎の2教室だった。1982年まで使われていたというから、50年以上になる。水元小の改築で、校舎の南に移築され「教育資料館」となった。大正時代の木造校舎が保存されているのは全国的にも珍しいという。関東大震災直後の建築のため、木材不足から米国産の松材が多く使用されている。
中には当時の教室の様子が再現されたり、昔の教科書などがズラッと展示されている。また、農具や玩具なども廊下に並んでいる。当時の水道の蛇口を見ると、関東式、関西式などがあったと知ることができる。まあ、いかにも古い学校が資料館になっているところに特有の、雑然たる「過去」が死んだように封印されていて、今の人がじっくり見る場所ではない感じがする。
ところで、ここは戦時中のある出来事によっても記憶されている。それは1942年4月18日の、アメリカ軍による日本本土初空襲、いわゆる「ドーリットル空襲」である。まだ西太平洋の制海権を大日本帝国が握っていた時期に、米軍空母がひそかに日本近海に近づき、選ばれた16機のB-25爆撃機によって日本を空襲しようという一種の「特攻作戦」だった。ドーリットル中佐が指揮したので、「ドーリットル空襲」と言われる。突然の奇襲により、日本各地で87名の死者が出たが、その一人が水元国民学校の高等科生徒石出巳之助だった。機銃掃射による。軍事目標を標的にしていたが、東京では早稲田中学も爆撃されている。また、民間人に対する機銃掃射もかなりあった。
ドーリットル隊の各機は、基本的には中国の国民政府地区を目指す計画だったが、日本軍につかまり捕虜となった隊員もいた。(8人が軍事裁判で死刑とされた。)他にソ連に向かった機もあり、そこらへんの運命はかなり興味深いが、今は触れない。当時の日本はまだ大勝利と浮かれていた時期で、やすやすと米機に本土上空を突破され、一機も撃墜できなかったことに衝撃を受けた出来事だった。この時の銃弾がこの資料館に保存されている。また、戦時中の日の丸の寄せ書きなどもある。東京大空襲に3年先立つ都内の民間戦死者の記憶が残されているのは貴重だろう。ところで、上下に開ける窓も面白い。建物が白くてきれい。隣に今の水元小が立つ。
葛飾区教育資料館は、JR、京成線の金町駅からバス。(都心からは、地下鉄千代田線に乗っていくのが一般的か。)駅を出て南口から京成バス「戸ヶ崎操車場」行き。水元小学校下車後、少し戻って「水元医院」を曲がるとすぐ。地理を知らないと歩いていける距離ではない。駐車場はなし。月火は休み。入場無料。近くに都内屈指の広さを誇る水元公園があり、5分ほど。そっちの駐車場は利用できる。水元公園というのは、名前はよく聞くけど行ったことがなく、ちょっと寄ってみた。カワヅザクラがきれいに咲いていた。水辺では多くの人が釣りをしていて、鳥も多い。ちゃんと訪れてみたい場所。