今年の冬は風邪をひかずに乗り切れるかと思ったのだが、やっぱりそううまくいかずに体調が悪化した。そういう時に限って、お芝居を予約していたりする。そんなときに見たのは、トム・プロジェクによる「砦」。東京芸術劇場シアターウェストで、6日まで。
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題名を見ただけで、内容を察知できる人はどのくらいいるだろう。この劇の原作は松下竜一(1937~2004)の「砦に拠る」(1977)。熊本県の下筌(しもうけ)ダム反対運動で、「蜂の巣城」と称した「砦」を築き、国に徹底抗戦した室原知幸を描く傑作ノンフィクションである。作・演出は東憲司、主演は村井國夫と藤田弓子。他に3人出ている。村井は「室原王国」の暴君でもあった老人を印象深く演じているが、その妻として一生を尽くしてきた妻・ヨシさんを演じる藤田弓子が素晴らしかった。
僕は松下竜一さんの「随伴者」で、ほぼすべての作品を読んでいる。松下さんが出していた「草の根通信」の熱心な読者で、河出書房から出た「松下竜一 その仕事」という全30巻の作品集を全部著者から買っていた。そういう因縁もあるから是非見たいし、見ないわけにはいかない。だが同時に、集団的自衛権、辺野古問題、原発再稼働といった「現在」を考えると、まさに「今を撃つ」迫真性がこの話にはある。どんなに孤立しても、一人で国家権力に向って立ち続けた室原知幸を忘れないこと。それはまさに、今語り継いでいくべき「抵抗」であるだろう。
熊本県の山奥の村の山林王、室原知幸は村でただ一人「東京の大学」を出て「大学さん」と呼ばれている。村議会議員を務めたこともあるが、人付き合いの悪い孤高の「インテリ」で、村では浮いている。そこに降って湧いたダム建設計画。村を守れ、先祖から受け継いだ「墳墓の地」を守れと村は沸騰し、室原は請われて反対運動の先頭に立つ。その時に彼は釘を刺した。俺は一度言い出したら絶対に止めない、皆も最後まで必ず付き合うかと。村人は誓い、反対運動がスタートした。
ダム計画が始まるのが1957年。反対運動は1960年前後に高まりを見せ、全国的にも有名になった。それは室原が建設阻止のために築いた「蜂の巣城」と称した「砦」にある。後に三里塚で築かれた砦や鉄塔の先駆けと言っていい。この名前は黒澤明が「マクベス」を翻案した映画「蜘蛛の巣城」のパロディである。また、同時に多くの裁判を提起、法廷闘争も繰り広げた。そういう意味でも、松下竜一らが起こした「環境権」裁判や反原発訴訟の先駆けでもある。演劇では反対運動の衝突などを再現することは難しいが、村人が自ら築き上げた「蜂の巣城」は舞台の奥に大きく組まれている。
しかし、この劇の焦点は室原知幸とヨシの夫婦二人の関係にある。明治の九州男児であるから、当然のごとく室原は横暴を極め、妻を従えている。10日にいっぺん、頭髪を整える以外にほとんど妻を顧みない。それは反対運動の村人との関係にも言えることで、山林王が山を売り、費用を一切持って酒も出す代わりに、絶対服従を要求する。砦が有名となり、裁判にも打って出て、室原は全国的有名人となった。そんな横暴でとっつきにくい男を村井國夫はなるほどこんな感じかと悠然と演じる。一方、それを受ける藤田弓子は、夫を支えつつ「生活」を続ける難しい役柄を巧みに演じている。
「室原王国旗」を縫い続け、その多くを燃やしてしまう妻の生き方。その「王国旗」とは「赤地に白丸」という痛快さである。民をいたぶる「国家」と正対し、ついに日本国家の中にあって独立王国となってしまったというわけだ。この室原知幸をめぐっては、佐木隆三「大将とわたし」という小説もあるけど、今は松下竜一「砦に拠る」で知られているだろう。(ちくま文庫に電子版がある。)松下竜一を有名にした貧乏な豆腐屋の青春記「豆腐屋の四季」がテレビドラマになった時、松下青年役だった緒形拳が、この「砦に拠る」の映画化、自身の室原知幸役を熱望していたというが、果たすことなく亡くなった。
松下竜一に関しては、2015年3月に下嶋哲郎「いま、松下竜一を読む」(岩波書店)という本が出た。この機会に読んでみて、まさに「いま、読む」ことの意味を考えさせられた。副題が「やさしさは強靭な抵抗力をなりうるか」である。貧しき環境の中でも、愛を求める「やさしい」青年だった松下竜一。生まれ育った大分県中津では、テレビドラマにまでなり「模範青年」と思われていた。そんな彼がやがて「環境運動家」となり、国に抵抗するノンフィクション作家になると人は去っていく。さらに、「爆弾テロ」犯描いた「狼煙を見よ」を書くに至り、長年の読者からも疑問を投げかけられる。
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そんな時期にも、僕は「おやおや、いつのまにか松下センセが僕の方に近づいてきてしまった」と思っていた。死刑廃止運動に共感し、反日武装戦線への死刑判決への反対運動にも参加したことがあったからだ。晩年になって「枯れる」のが日本人の多くだが、松下竜一は年を取るとともにむしろ「過激化」していった。病身を押して、反原発や反基地など多くの「現場」に立ち続けた。それもこれも、「やさしさ」を一貫させた人生だったからだ。そのことが個人的な事情を含めて、詳細に明かされている。
松下竜一の本としては、今まで挙げた本の他に、大杉榮・伊藤野枝の間に生まれた人生を描く「ルイズ 父に貰いし名は」、赤軍派のハイジャック事件で「超法規的に釈放」された刑事犯泉水博の義侠を描く「怒りていう、逃亡にはあらず」、冤罪事件の甲山事件を一審裁判中に書いた「記憶の闇」など、傑作ノンフィクションは数多い。また、豊前環境権裁判と呼ばれた火力発電所反対運動で描かれた「海を殺すもの」への抗議、電気文明への再考をうながす「暗闇の思想」などの著書は、原発事故や辺野古問題を抱えた今こそ読まれるべき同時代性を持っている。
だけど、僕が「草の根通信」が来るたびに、まず読んだのは最後の方にあるエッセイである。そこには、家族や友人との間で繰り広げられる、涙なくして読めない可笑しな出来事が軽妙に描かれていた。その時の自称が「松下センセ」である。僕がセンセを直に見たのは、ただ一回、「狼煙を見よ」の講演が東京であった時だけだ。「どろんこサブウ」という谷津干潟を守った青年を描いた児童文学が出た時に、当時千葉県に住んでいた僕のもとに、出版記念パーティの案内が送られてきたけど行かなかった。
1998年に中津で「松下竜一展」が開かれ、緒形拳の講演があるという時は是非行きたいと思い、休暇も取って飛行機も宿も予約した。しかし突然体調不良となり、毎日点滴になってしまい泣く泣くキャンセルぜざるを得なかった。そんなこんなで実際に言葉を交わすことはなかったのだが、病気に倒れて休刊する直前の「草の根通信」には、僕の話が載っている。九州ではなかなか見られないだろう数々の映画チラシを送った話である。大の映画ファンである松下センセは、岩波ホールやユーロスペースなんかのチラシを見るだけで元気と思ったのである。(なお、下嶋著には「緒形拳」の名が時々「緒方」になったり、「美濃忠魂碑訴訟」(124頁)とか信じられない校正ミスがあり、ちょっとビックリ。)
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題名を見ただけで、内容を察知できる人はどのくらいいるだろう。この劇の原作は松下竜一(1937~2004)の「砦に拠る」(1977)。熊本県の下筌(しもうけ)ダム反対運動で、「蜂の巣城」と称した「砦」を築き、国に徹底抗戦した室原知幸を描く傑作ノンフィクションである。作・演出は東憲司、主演は村井國夫と藤田弓子。他に3人出ている。村井は「室原王国」の暴君でもあった老人を印象深く演じているが、その妻として一生を尽くしてきた妻・ヨシさんを演じる藤田弓子が素晴らしかった。
僕は松下竜一さんの「随伴者」で、ほぼすべての作品を読んでいる。松下さんが出していた「草の根通信」の熱心な読者で、河出書房から出た「松下竜一 その仕事」という全30巻の作品集を全部著者から買っていた。そういう因縁もあるから是非見たいし、見ないわけにはいかない。だが同時に、集団的自衛権、辺野古問題、原発再稼働といった「現在」を考えると、まさに「今を撃つ」迫真性がこの話にはある。どんなに孤立しても、一人で国家権力に向って立ち続けた室原知幸を忘れないこと。それはまさに、今語り継いでいくべき「抵抗」であるだろう。
熊本県の山奥の村の山林王、室原知幸は村でただ一人「東京の大学」を出て「大学さん」と呼ばれている。村議会議員を務めたこともあるが、人付き合いの悪い孤高の「インテリ」で、村では浮いている。そこに降って湧いたダム建設計画。村を守れ、先祖から受け継いだ「墳墓の地」を守れと村は沸騰し、室原は請われて反対運動の先頭に立つ。その時に彼は釘を刺した。俺は一度言い出したら絶対に止めない、皆も最後まで必ず付き合うかと。村人は誓い、反対運動がスタートした。
ダム計画が始まるのが1957年。反対運動は1960年前後に高まりを見せ、全国的にも有名になった。それは室原が建設阻止のために築いた「蜂の巣城」と称した「砦」にある。後に三里塚で築かれた砦や鉄塔の先駆けと言っていい。この名前は黒澤明が「マクベス」を翻案した映画「蜘蛛の巣城」のパロディである。また、同時に多くの裁判を提起、法廷闘争も繰り広げた。そういう意味でも、松下竜一らが起こした「環境権」裁判や反原発訴訟の先駆けでもある。演劇では反対運動の衝突などを再現することは難しいが、村人が自ら築き上げた「蜂の巣城」は舞台の奥に大きく組まれている。
しかし、この劇の焦点は室原知幸とヨシの夫婦二人の関係にある。明治の九州男児であるから、当然のごとく室原は横暴を極め、妻を従えている。10日にいっぺん、頭髪を整える以外にほとんど妻を顧みない。それは反対運動の村人との関係にも言えることで、山林王が山を売り、費用を一切持って酒も出す代わりに、絶対服従を要求する。砦が有名となり、裁判にも打って出て、室原は全国的有名人となった。そんな横暴でとっつきにくい男を村井國夫はなるほどこんな感じかと悠然と演じる。一方、それを受ける藤田弓子は、夫を支えつつ「生活」を続ける難しい役柄を巧みに演じている。
「室原王国旗」を縫い続け、その多くを燃やしてしまう妻の生き方。その「王国旗」とは「赤地に白丸」という痛快さである。民をいたぶる「国家」と正対し、ついに日本国家の中にあって独立王国となってしまったというわけだ。この室原知幸をめぐっては、佐木隆三「大将とわたし」という小説もあるけど、今は松下竜一「砦に拠る」で知られているだろう。(ちくま文庫に電子版がある。)松下竜一を有名にした貧乏な豆腐屋の青春記「豆腐屋の四季」がテレビドラマになった時、松下青年役だった緒形拳が、この「砦に拠る」の映画化、自身の室原知幸役を熱望していたというが、果たすことなく亡くなった。
松下竜一に関しては、2015年3月に下嶋哲郎「いま、松下竜一を読む」(岩波書店)という本が出た。この機会に読んでみて、まさに「いま、読む」ことの意味を考えさせられた。副題が「やさしさは強靭な抵抗力をなりうるか」である。貧しき環境の中でも、愛を求める「やさしい」青年だった松下竜一。生まれ育った大分県中津では、テレビドラマにまでなり「模範青年」と思われていた。そんな彼がやがて「環境運動家」となり、国に抵抗するノンフィクション作家になると人は去っていく。さらに、「爆弾テロ」犯描いた「狼煙を見よ」を書くに至り、長年の読者からも疑問を投げかけられる。
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松下竜一の本としては、今まで挙げた本の他に、大杉榮・伊藤野枝の間に生まれた人生を描く「ルイズ 父に貰いし名は」、赤軍派のハイジャック事件で「超法規的に釈放」された刑事犯泉水博の義侠を描く「怒りていう、逃亡にはあらず」、冤罪事件の甲山事件を一審裁判中に書いた「記憶の闇」など、傑作ノンフィクションは数多い。また、豊前環境権裁判と呼ばれた火力発電所反対運動で描かれた「海を殺すもの」への抗議、電気文明への再考をうながす「暗闇の思想」などの著書は、原発事故や辺野古問題を抱えた今こそ読まれるべき同時代性を持っている。
だけど、僕が「草の根通信」が来るたびに、まず読んだのは最後の方にあるエッセイである。そこには、家族や友人との間で繰り広げられる、涙なくして読めない可笑しな出来事が軽妙に描かれていた。その時の自称が「松下センセ」である。僕がセンセを直に見たのは、ただ一回、「狼煙を見よ」の講演が東京であった時だけだ。「どろんこサブウ」という谷津干潟を守った青年を描いた児童文学が出た時に、当時千葉県に住んでいた僕のもとに、出版記念パーティの案内が送られてきたけど行かなかった。
1998年に中津で「松下竜一展」が開かれ、緒形拳の講演があるという時は是非行きたいと思い、休暇も取って飛行機も宿も予約した。しかし突然体調不良となり、毎日点滴になってしまい泣く泣くキャンセルぜざるを得なかった。そんなこんなで実際に言葉を交わすことはなかったのだが、病気に倒れて休刊する直前の「草の根通信」には、僕の話が載っている。九州ではなかなか見られないだろう数々の映画チラシを送った話である。大の映画ファンである松下センセは、岩波ホールやユーロスペースなんかのチラシを見るだけで元気と思ったのである。(なお、下嶋著には「緒形拳」の名が時々「緒方」になったり、「美濃忠魂碑訴訟」(124頁)とか信じられない校正ミスがあり、ちょっとビックリ。)