毎月、追悼と日本、世界の情勢報告を書いておくということで、まず2月の訃報特集。2月は書かなくてもいいかなと中旬まで思わないでもなかったのだが、18日に作家の津島祐子の訃報が伝えられた。68歳、肺がん。昔ならともかく、今では「若い」感じがしてしまう。だけど、父だった太宰治や盟友だった中上健次、いや、若くして亡くなった2番目の子(長男)を思うだけでも、それなりに長く生きたというべきかもしれない。僕は若い頃に何冊か読んだまま、持っているけど読んでない本が多い。
読んだ本の中では、「草の臥所(ふしど)」や「山を走る女」「火の河のほとりで」などで、その圧倒的な筆力が印象的だった。特に泉鏡花賞を受けた「草の臥所」の、草が風になびくさまの描写は忘れがたく、冬に伊豆の金冠山に登った時に、これが「草の臥所」だと思った思い出がある。ある時期までシングルマザーを描く作品が多いが、近年は少数民族の文化を描く作品が多いという。長い作品も多く、僕にとって今後に読む楽しみを残している作家である。
津島祐子は第一回野間文芸新人賞の受賞者(1979年)である。日本では純文学の新人賞としては芥川賞だけが突出して知名度が高い。でも、80年代初期に重要な作家を取りこぼしている。この時期は野間文芸新人賞の方が、津島祐子、立松和平、村上春樹、島田雅彦、佐伯一麦、リービ英雄などを押さえていて、意義が大きい。(一方、1988年に新潮社が三島由紀夫賞を創設し、高橋源一郎が第一回受賞者となった。最近は鹿島田真希、本谷有希子のように三賞総取りの新人もいる。)
津島祐子は、言うまでもなく太宰治の次女だけど、1947年3月生まれで1948年6月に死んだ父親は全く知らない。長女の園子は1941年生まれだから、多少は覚えているかもしれない。(間に長男がいたが15歳で亡くなっている。)姉は大蔵官僚とパリで結婚して、津島姓を名乗った義兄、津島雄二は津島家の故郷青森で選挙に出た。厚生大臣などを務めた有力政治家で、今は息子の津島淳が後継となっている。しかし、次女の津島祐子(本名里子)は全く違う世界に生きた。母親は文学に触れさせたくなかったというが、結局は作家として生きることを選んだ。1同じ年生まれの作家、太田治子は異母妹。
その直後にイタリアの作家、哲学者、記号学者のウンベルト・エーコ(2.19没、84歳)が亡くなった。何と言っても「薔薇の名前」(1980)が世界的に大ベストセラーになったことが有名。なかなか日本では翻訳が出ず、映画が公開された1987年に間に合わなかった。1990年にようやく上下巻で刊行され、その年の各種ミステリーのベストワンになった。その年から僕の枕元にあるので、もう四半世紀の時間が経過したもののまだ読んでない。当初はジャン・ジャック・アノー監督の映画(ショーン・コネリーが名演)をよく覚えていたから、後回しになったまま。その後の小説の翻訳(「フーコーの振り子」「前日島」「パウドリーノ」「プラハの墓地」)は全部買ってあるので、そろそろ読まないとこっちの人生も終わりかねない。記号論や文学評論などの翻訳もかなり出ていて、名前はずいぶん前から知っていると思うが、一つも読んでない人だった。そういうこともある。
ところで、1月を書いた時にはまだ報じられていなかったが、フルート奏者のオーレル・ニコレが1月29日に亡くなっていた。90歳。僕はフルートをよく聞いた時があって、ニコレの日本公演も聞いている。とても有名な人で、多くの作曲家もニコレのために曲を書いている。ジャン=ピエール・ランパルの華麗なるフルートに対し、ニコレは内面性を求めるような感じを受けた。今は余りクラシックのコンサートに行くことがなくなったが、ランパルもゴールウェイも直接聞いている。
外国人では、元国連事務総長のブトロス・ガリ(2.13没、93歳)が亡くなった。第6代で、92年から96年まで務めた。エジプトのコプト教徒(キリスト教)で、外務大臣などを務めた後、初のアフリカ出身事務総長となった。しかし、ソマリア内戦へのPKOで大被害を出し、アメリカが事務総長再任に拒否権を行使した。2期連続務めるのが普通の国連事務総長として、一期のみで退任せざるを得なかった。
アメリカの脇役俳優、ジョージ・ケネディが28日に亡くなった。(91歳)ポール・ニューマン主演の「暴力脱獄」(1967)でアカデミー賞助演男優賞。70年代のパニック映画なんかには大体出ていて、その頃はよく見た顔である。日本映画の「人間の証明」「復活の日」にも出演している。どっちも角川映画だから、今年の角川映画40年祭で見られるのかもしれない。(まだ上映作品が未発表。)ポーランドの映画監督で「ポゼッション」などがあるアンジェイ・ズラウスキー(2.17没、75歳)の訃報もあった。
アメリカで非常に評判が高い「アラバマ物語」の作者、ハーパー・リー(2.19没、89歳)は、日本ではその評判がよく判らない。アメリカでは、映画化された時にグレゴリー・ペック(アカデミー賞主演男優賞)が演じた弁護士アティカス・フィンチが米映画史上のヒーロー№1に選ばれている。(2位がインディアナ・ジョーンズ、3位が007、4位が「カサブランカ」でボギーが演じたリック、5位が「真昼の決闘」でゲーリー・クーパーが演じたウィル・ケイン保安官というのだから、「アラバマ物語」の評価が著しく高いことに驚く。なお、6位が「羊たちの沈黙」のジョディ・フォスター。)白人女性を暴行した罪で裁かれる黒人青年を弁護するという設定。原作は1960年に発表され、ベストセラーになりピューリッツァー賞を得た。その後の作品はなかったが、その前に書いていた原稿が見つかり、2015年に刊行された。小さい頃、トルーマン・カポーティが隣人だったということで、いろいろ交友関係があった。
日本では、政治学者の京極純一(2.1没、92歳)、放送作家、コント作家の「はかま満緒」(本名袴充夫、2.16没、78歳)、スト権スト時の国労書記長で、後に総評の事務局長、社会党衆議院議員を務めた富塚三夫(2.20没、86歳)も亡くなった。はかま満緒や富塚三夫は、たまたま同じ「みつお」だが、30年ぐらい前なら誰でも知っているような名前だったが、訃報は小さく気付かなかった人もいるかもしれない。画家の合田佐和子(2.19没、75歳)は、天井桟敷や状況劇場のポスターを書いたから、見たことがある人も多いはずである。田原睦夫(2.19没、72歳)は、弁護士出身の最高裁判事で、東京都の国旗国歌問題で、職務命令は憲法違反という少数意見を書いた。最高裁は70歳退官だから、退官後の人生が少なかった。宝生閑(2.1没、81歳)、三川泉(2.13没。93歳)はいずれも能楽界の人間国宝だとあるが、知らない世界と名前も知らないんだなと思う。(下の写真は、はかま、富塚、合田)
読んだ本の中では、「草の臥所(ふしど)」や「山を走る女」「火の河のほとりで」などで、その圧倒的な筆力が印象的だった。特に泉鏡花賞を受けた「草の臥所」の、草が風になびくさまの描写は忘れがたく、冬に伊豆の金冠山に登った時に、これが「草の臥所」だと思った思い出がある。ある時期までシングルマザーを描く作品が多いが、近年は少数民族の文化を描く作品が多いという。長い作品も多く、僕にとって今後に読む楽しみを残している作家である。
津島祐子は第一回野間文芸新人賞の受賞者(1979年)である。日本では純文学の新人賞としては芥川賞だけが突出して知名度が高い。でも、80年代初期に重要な作家を取りこぼしている。この時期は野間文芸新人賞の方が、津島祐子、立松和平、村上春樹、島田雅彦、佐伯一麦、リービ英雄などを押さえていて、意義が大きい。(一方、1988年に新潮社が三島由紀夫賞を創設し、高橋源一郎が第一回受賞者となった。最近は鹿島田真希、本谷有希子のように三賞総取りの新人もいる。)
津島祐子は、言うまでもなく太宰治の次女だけど、1947年3月生まれで1948年6月に死んだ父親は全く知らない。長女の園子は1941年生まれだから、多少は覚えているかもしれない。(間に長男がいたが15歳で亡くなっている。)姉は大蔵官僚とパリで結婚して、津島姓を名乗った義兄、津島雄二は津島家の故郷青森で選挙に出た。厚生大臣などを務めた有力政治家で、今は息子の津島淳が後継となっている。しかし、次女の津島祐子(本名里子)は全く違う世界に生きた。母親は文学に触れさせたくなかったというが、結局は作家として生きることを選んだ。1同じ年生まれの作家、太田治子は異母妹。
その直後にイタリアの作家、哲学者、記号学者のウンベルト・エーコ(2.19没、84歳)が亡くなった。何と言っても「薔薇の名前」(1980)が世界的に大ベストセラーになったことが有名。なかなか日本では翻訳が出ず、映画が公開された1987年に間に合わなかった。1990年にようやく上下巻で刊行され、その年の各種ミステリーのベストワンになった。その年から僕の枕元にあるので、もう四半世紀の時間が経過したもののまだ読んでない。当初はジャン・ジャック・アノー監督の映画(ショーン・コネリーが名演)をよく覚えていたから、後回しになったまま。その後の小説の翻訳(「フーコーの振り子」「前日島」「パウドリーノ」「プラハの墓地」)は全部買ってあるので、そろそろ読まないとこっちの人生も終わりかねない。記号論や文学評論などの翻訳もかなり出ていて、名前はずいぶん前から知っていると思うが、一つも読んでない人だった。そういうこともある。
ところで、1月を書いた時にはまだ報じられていなかったが、フルート奏者のオーレル・ニコレが1月29日に亡くなっていた。90歳。僕はフルートをよく聞いた時があって、ニコレの日本公演も聞いている。とても有名な人で、多くの作曲家もニコレのために曲を書いている。ジャン=ピエール・ランパルの華麗なるフルートに対し、ニコレは内面性を求めるような感じを受けた。今は余りクラシックのコンサートに行くことがなくなったが、ランパルもゴールウェイも直接聞いている。
外国人では、元国連事務総長のブトロス・ガリ(2.13没、93歳)が亡くなった。第6代で、92年から96年まで務めた。エジプトのコプト教徒(キリスト教)で、外務大臣などを務めた後、初のアフリカ出身事務総長となった。しかし、ソマリア内戦へのPKOで大被害を出し、アメリカが事務総長再任に拒否権を行使した。2期連続務めるのが普通の国連事務総長として、一期のみで退任せざるを得なかった。
アメリカの脇役俳優、ジョージ・ケネディが28日に亡くなった。(91歳)ポール・ニューマン主演の「暴力脱獄」(1967)でアカデミー賞助演男優賞。70年代のパニック映画なんかには大体出ていて、その頃はよく見た顔である。日本映画の「人間の証明」「復活の日」にも出演している。どっちも角川映画だから、今年の角川映画40年祭で見られるのかもしれない。(まだ上映作品が未発表。)ポーランドの映画監督で「ポゼッション」などがあるアンジェイ・ズラウスキー(2.17没、75歳)の訃報もあった。
アメリカで非常に評判が高い「アラバマ物語」の作者、ハーパー・リー(2.19没、89歳)は、日本ではその評判がよく判らない。アメリカでは、映画化された時にグレゴリー・ペック(アカデミー賞主演男優賞)が演じた弁護士アティカス・フィンチが米映画史上のヒーロー№1に選ばれている。(2位がインディアナ・ジョーンズ、3位が007、4位が「カサブランカ」でボギーが演じたリック、5位が「真昼の決闘」でゲーリー・クーパーが演じたウィル・ケイン保安官というのだから、「アラバマ物語」の評価が著しく高いことに驚く。なお、6位が「羊たちの沈黙」のジョディ・フォスター。)白人女性を暴行した罪で裁かれる黒人青年を弁護するという設定。原作は1960年に発表され、ベストセラーになりピューリッツァー賞を得た。その後の作品はなかったが、その前に書いていた原稿が見つかり、2015年に刊行された。小さい頃、トルーマン・カポーティが隣人だったということで、いろいろ交友関係があった。
日本では、政治学者の京極純一(2.1没、92歳)、放送作家、コント作家の「はかま満緒」(本名袴充夫、2.16没、78歳)、スト権スト時の国労書記長で、後に総評の事務局長、社会党衆議院議員を務めた富塚三夫(2.20没、86歳)も亡くなった。はかま満緒や富塚三夫は、たまたま同じ「みつお」だが、30年ぐらい前なら誰でも知っているような名前だったが、訃報は小さく気付かなかった人もいるかもしれない。画家の合田佐和子(2.19没、75歳)は、天井桟敷や状況劇場のポスターを書いたから、見たことがある人も多いはずである。田原睦夫(2.19没、72歳)は、弁護士出身の最高裁判事で、東京都の国旗国歌問題で、職務命令は憲法違反という少数意見を書いた。最高裁は70歳退官だから、退官後の人生が少なかった。宝生閑(2.1没、81歳)、三川泉(2.13没。93歳)はいずれも能楽界の人間国宝だとあるが、知らない世界と名前も知らないんだなと思う。(下の写真は、はかま、富塚、合田)