フランスのヌーヴェルヴァーグを代表する映画監督の一人、エリック・ロメール(Éric Rohmer 1920~2010)の映画8本が「ロメールと女たち」と題されて、角川シネマ有楽町で上映されている。(10日まで。)昔いっぱい見た監督で、今回の上映作も(劇場初公開の「コレクションする女」を除き)全部見ている。ロメール映画はある時期まで日本では見られなかったが、80年代後半から続々と新作が公開された。同時代に見たときは、能天気というか、美しいけど中身が薄い「美少女艶笑譚」みたいな映画ばかりで、何だと思うことが多かった。だから、見直すつもりもなかったんだけど、これが面白い。

ロメール映画と言えば、「ヴァカンス」である。ヴァカンスを楽しむはずが、うまくいかなかったり、様々な出来事が起こるが、ともかく夏のヴァカンスが描かれることが多い。そこで、大人の男と女、そして少女(時に少年も)が出てきて、恋愛あるいは恋愛遊戯を繰り広げる。それを軽妙かつ自由な映像で見せていくところが、「ヌーヴェルヴァーグ」という感じ。日本人からすると「恵まれた」感じをどうしても受けてしまうが、別に大金持ちの世界ではない。お金がない若者もよく出てくる。フランスじゃ、誰でも5週間のヴァカンスを取る権利があるのである。
映画館のホームページには、以下のようにある。「フランスの美しい風景の中で織りなす8つの恋物語を、全作品デジタル・リマスター版で上映いたします。可憐な少女たちをエロティックに描き、大人の女の無垢さを映し出す珠玉の恋愛映画たち。初夏にぴったりな8つの恋物語を、ぜひお楽しみください。」まあ、確かにそういう世界の映画であるのは間違いない。
だけど、今見ると、この自由な感じは何だろうと感嘆する。そして、決して単なる恋愛映画ではないということも。ブランドもので固めたオシャレではなく、「普通の人々」の気軽なオシャレで自由な様子を描いている。それにフランス人のなんと議論好きなことか。映像も素晴らしいけど、同時に「言語の映画」でもある。日本で本格的に公開された最初のロメール映画「海辺のポーリーヌ」(1983、ベルリン映画祭銀熊賞)なんか、まさに「ヴァカンス美少女映画」の見本のような映画だけど、15歳のポーリーヌと年上のいとこマリオンをめぐる男と女のさや当ては、よくしゃべり、議論を交わす恋愛討論映画である。映像と音楽で盛り上げて、当人たちは黙っている日本とは大違い。これがヨーロッパの底力。
日本公開は1989年だった「クレールの膝」(1970)は、公開当時見た時に一番面白かったロメール映画。何しろ「エロの極致」である。と言ってもエロスの対象は「ひざ」なんだから、驚き。しかも、タイトルロールのクレールはなかなか登場せず、妹のローラが恋愛ごっこの対象として延々と撮られている。これもヴァカンスのアヌシー湖畔の物語。冒頭のモーターボートが橋をくぐるシーンから素晴らしい名場面の数々。(後にアカデミー撮影賞を二度受賞するネストール・アルメンドロスの撮影。)男が友人の女性作家と再会し、少女姉妹を紹介される。だが、その段階ではクレールはまだ帰ってきていない。やっとクレールが登場するが、男友達とべったり。ところが、偶然「クレールの膝」に男は魅せられてしまい…。って、嘘でしょうというような設定を納得させてしまうから映像の力はすごい。
「クレールの膝」は初めて見ると、エロティシズムを感じると思うが、今回見ると「いちいち言語で説明する」のがやはりフランス映画だなあと思った。もっとすごい言語の力を発揮するのは、「モード家の一夜」(1968)。今回唯一のモノクロ映画だが、アルメンドロスの撮影の美しさに絶句する。中身はほとんど議論で進行し、それもパスカルとか信仰の話が多い。ジャン・ルイ・トランティニャンは旧友とともに女医を訪れ、一夜を過ごすが何も起こらないというだけの話。それと教会で知り合った名も知らぬブロンド女性への恋心。その二人の女性とのやり取りだけで見せてゆく。すごいな、フランスは。ちなみに、男は「技師」とされ、カナダ、チリ、アメリカが長かったという。フランス中部のクレルモン=フェランの話だが、ここはタイヤメーカー、ミシュランの本社があるというから、ミシュラン勤務だったのか。
最も軽い「レネットとミラベル 四つの冒険」(1986)は、偶然知り合った若い二人の女性を描く。パリの学生ミラベルは田舎旅行で自転車がパンクして、それを田舎で絵を描いていたレネットが助けて友達になる。レネットは翌年パリの美術学校に入り、一緒に部屋をシェアする。この二人の「日常生活の冒険」を描いていくわけだが、この二人もちゃんと意見を持っていて、たとえば路上で物乞いにあったらお金を与えるかどうかで大議論が始まる。すごく楽しい映画で、パリ風景の美しさも特筆すべきものだが、軽くて楽しい映画だけど、主人公たちがきちんと意見を言えて世界観を持っている。議論を描くだけで映画が成立する。そんな日常が日本にはないのに、「アクティブ・ラーニング」とか「18歳選挙権」とか始めてしまう。大丈夫なんだろうかと思う人は、「おフランス」の軽い恋愛映画を見るのもいいのではないか。フランス人はホントに10着しか服を持たないのか気になる人も。
日本では当初クロード・シャブロル(「いとこ同士」など)、ジャン=リュック・ゴダール(「勝手にしやがれ」)、フランソワ・トリュフォー(「大人は判ってくれない」)の3人が「ヌーヴェルヴァーグ」として紹介された。また、同じくアラン・レネ、ルイ・マルなどの映画も紹介されたが、他の監督は長いこと公開されなかった。このエリック・ロメールやジャック・リヴェット、ジャック・ロジェなど長いこと紹介されなかった。それどころか、今になっても日本では見ることができない多くの監督が存在する。
それぞれがかなり違う作風であるが、「自由な作り方」以外にも共通点がある。それが「言語への信頼」。ゴダール映画は政治映画化した時期はもちろん、それ以外にも映像と同じくらい「言語」で表現している。映像派のように思いがちのトリュフォーだって、文学趣味は紛れもないし、「野生の少年」のように「言語」への信頼がベースにある。多分、フランス文化そのものが、「フランス語」というものによって成立しているという考えが強いのだと思う。それとともに、日常的に「議論」が日本よりも生活の中に存在するんだろう。まあ、ロメール映画も一つの「典型」であり、常にだれもが恋愛を議論する人ばかりではないと思うけど。
「海辺のポーリーヌ」の「海辺」はノルマンジーで、コートダジュールではない。パリからはもっと近いから、映画でも北や西の海もよく出てくる。「クレールの膝」はアヌシーが舞台だが、映画ファンには国際アニメーション映画祭で有名な場所だが、どこにあるか知らなかった。フランスでもほとんどスイスに近いところで、アルプス山脈のふもと。海に山にと美しい景色を映像で見られる。だけど、海でも山でも美しさでは日本も負けていない、というかしのいでいるかもしれない。だけど、夏に一カ月も長期滞在するという文化がないから、こういう映画が出てくるはずがない。やはりうらやましい。
これらの映画は、80年代に主にシネ・ヴィアン六本木で公開された。「シネヴィヴァン六本木 栄光の軌跡」という公開全作品を網羅しているサイトがあるが、ゴダール「パッション」で1983年に出発したこの映画館では、ほとんどすべての映画を見ていたことに自分でも驚く。タルコフスキー「ノスタルジア」や小川紳介「ニッポン国古屋敷村」、ヴィクトル・エリセ「ミツバチのささやき」「エル・スール」などが並ぶ公開映画一覧は今見ても壮観。ロメール作品は、87年1月に「満月の夜」が公開されたのを皮切りに、「緑の光線」、「友だちの恋人」、「レネットとミラベル 四つの冒険」、「クレールの膝」と80年代だけで5本も公開された。90年代に入ると、以上に「モード家の一夜」を合わせた特集上映。そして四季の物語シリーズの第一作「春のソナタ」、続いて旧作「獅子座」をはさんで、「冬物語」「木と市長と文化会館」「パリのランデブー」、「秋物語」と続く。その間に旧作の「愛の昼下がり/O公爵夫人/飛行士の妻/美しき結婚」の連続上映もあった。最後のころはもう全部は見ていないが、99年をもって閉館したミニシアターにとって、ロメール作品が非常に重要だったことが判る。ある種「80年代」っぽいというか、一種の空白感も含めて時代性も感じられるかもしれない。「セゾン系映画館」を代表するような映画館、シネヴィヴァン六本木という場所を思い出すにはロメール映画が一番。「おししい生活」を象徴するような映画かもしれない。アンスティチュ・フランセ東京でもロメール作品の上映があるので、できればこの機会にいろいろと見直してみたいと思ってるところ。

ロメール映画と言えば、「ヴァカンス」である。ヴァカンスを楽しむはずが、うまくいかなかったり、様々な出来事が起こるが、ともかく夏のヴァカンスが描かれることが多い。そこで、大人の男と女、そして少女(時に少年も)が出てきて、恋愛あるいは恋愛遊戯を繰り広げる。それを軽妙かつ自由な映像で見せていくところが、「ヌーヴェルヴァーグ」という感じ。日本人からすると「恵まれた」感じをどうしても受けてしまうが、別に大金持ちの世界ではない。お金がない若者もよく出てくる。フランスじゃ、誰でも5週間のヴァカンスを取る権利があるのである。
映画館のホームページには、以下のようにある。「フランスの美しい風景の中で織りなす8つの恋物語を、全作品デジタル・リマスター版で上映いたします。可憐な少女たちをエロティックに描き、大人の女の無垢さを映し出す珠玉の恋愛映画たち。初夏にぴったりな8つの恋物語を、ぜひお楽しみください。」まあ、確かにそういう世界の映画であるのは間違いない。
だけど、今見ると、この自由な感じは何だろうと感嘆する。そして、決して単なる恋愛映画ではないということも。ブランドもので固めたオシャレではなく、「普通の人々」の気軽なオシャレで自由な様子を描いている。それにフランス人のなんと議論好きなことか。映像も素晴らしいけど、同時に「言語の映画」でもある。日本で本格的に公開された最初のロメール映画「海辺のポーリーヌ」(1983、ベルリン映画祭銀熊賞)なんか、まさに「ヴァカンス美少女映画」の見本のような映画だけど、15歳のポーリーヌと年上のいとこマリオンをめぐる男と女のさや当ては、よくしゃべり、議論を交わす恋愛討論映画である。映像と音楽で盛り上げて、当人たちは黙っている日本とは大違い。これがヨーロッパの底力。
日本公開は1989年だった「クレールの膝」(1970)は、公開当時見た時に一番面白かったロメール映画。何しろ「エロの極致」である。と言ってもエロスの対象は「ひざ」なんだから、驚き。しかも、タイトルロールのクレールはなかなか登場せず、妹のローラが恋愛ごっこの対象として延々と撮られている。これもヴァカンスのアヌシー湖畔の物語。冒頭のモーターボートが橋をくぐるシーンから素晴らしい名場面の数々。(後にアカデミー撮影賞を二度受賞するネストール・アルメンドロスの撮影。)男が友人の女性作家と再会し、少女姉妹を紹介される。だが、その段階ではクレールはまだ帰ってきていない。やっとクレールが登場するが、男友達とべったり。ところが、偶然「クレールの膝」に男は魅せられてしまい…。って、嘘でしょうというような設定を納得させてしまうから映像の力はすごい。
「クレールの膝」は初めて見ると、エロティシズムを感じると思うが、今回見ると「いちいち言語で説明する」のがやはりフランス映画だなあと思った。もっとすごい言語の力を発揮するのは、「モード家の一夜」(1968)。今回唯一のモノクロ映画だが、アルメンドロスの撮影の美しさに絶句する。中身はほとんど議論で進行し、それもパスカルとか信仰の話が多い。ジャン・ルイ・トランティニャンは旧友とともに女医を訪れ、一夜を過ごすが何も起こらないというだけの話。それと教会で知り合った名も知らぬブロンド女性への恋心。その二人の女性とのやり取りだけで見せてゆく。すごいな、フランスは。ちなみに、男は「技師」とされ、カナダ、チリ、アメリカが長かったという。フランス中部のクレルモン=フェランの話だが、ここはタイヤメーカー、ミシュランの本社があるというから、ミシュラン勤務だったのか。
最も軽い「レネットとミラベル 四つの冒険」(1986)は、偶然知り合った若い二人の女性を描く。パリの学生ミラベルは田舎旅行で自転車がパンクして、それを田舎で絵を描いていたレネットが助けて友達になる。レネットは翌年パリの美術学校に入り、一緒に部屋をシェアする。この二人の「日常生活の冒険」を描いていくわけだが、この二人もちゃんと意見を持っていて、たとえば路上で物乞いにあったらお金を与えるかどうかで大議論が始まる。すごく楽しい映画で、パリ風景の美しさも特筆すべきものだが、軽くて楽しい映画だけど、主人公たちがきちんと意見を言えて世界観を持っている。議論を描くだけで映画が成立する。そんな日常が日本にはないのに、「アクティブ・ラーニング」とか「18歳選挙権」とか始めてしまう。大丈夫なんだろうかと思う人は、「おフランス」の軽い恋愛映画を見るのもいいのではないか。フランス人はホントに10着しか服を持たないのか気になる人も。
日本では当初クロード・シャブロル(「いとこ同士」など)、ジャン=リュック・ゴダール(「勝手にしやがれ」)、フランソワ・トリュフォー(「大人は判ってくれない」)の3人が「ヌーヴェルヴァーグ」として紹介された。また、同じくアラン・レネ、ルイ・マルなどの映画も紹介されたが、他の監督は長いこと公開されなかった。このエリック・ロメールやジャック・リヴェット、ジャック・ロジェなど長いこと紹介されなかった。それどころか、今になっても日本では見ることができない多くの監督が存在する。
それぞれがかなり違う作風であるが、「自由な作り方」以外にも共通点がある。それが「言語への信頼」。ゴダール映画は政治映画化した時期はもちろん、それ以外にも映像と同じくらい「言語」で表現している。映像派のように思いがちのトリュフォーだって、文学趣味は紛れもないし、「野生の少年」のように「言語」への信頼がベースにある。多分、フランス文化そのものが、「フランス語」というものによって成立しているという考えが強いのだと思う。それとともに、日常的に「議論」が日本よりも生活の中に存在するんだろう。まあ、ロメール映画も一つの「典型」であり、常にだれもが恋愛を議論する人ばかりではないと思うけど。
「海辺のポーリーヌ」の「海辺」はノルマンジーで、コートダジュールではない。パリからはもっと近いから、映画でも北や西の海もよく出てくる。「クレールの膝」はアヌシーが舞台だが、映画ファンには国際アニメーション映画祭で有名な場所だが、どこにあるか知らなかった。フランスでもほとんどスイスに近いところで、アルプス山脈のふもと。海に山にと美しい景色を映像で見られる。だけど、海でも山でも美しさでは日本も負けていない、というかしのいでいるかもしれない。だけど、夏に一カ月も長期滞在するという文化がないから、こういう映画が出てくるはずがない。やはりうらやましい。
これらの映画は、80年代に主にシネ・ヴィアン六本木で公開された。「シネヴィヴァン六本木 栄光の軌跡」という公開全作品を網羅しているサイトがあるが、ゴダール「パッション」で1983年に出発したこの映画館では、ほとんどすべての映画を見ていたことに自分でも驚く。タルコフスキー「ノスタルジア」や小川紳介「ニッポン国古屋敷村」、ヴィクトル・エリセ「ミツバチのささやき」「エル・スール」などが並ぶ公開映画一覧は今見ても壮観。ロメール作品は、87年1月に「満月の夜」が公開されたのを皮切りに、「緑の光線」、「友だちの恋人」、「レネットとミラベル 四つの冒険」、「クレールの膝」と80年代だけで5本も公開された。90年代に入ると、以上に「モード家の一夜」を合わせた特集上映。そして四季の物語シリーズの第一作「春のソナタ」、続いて旧作「獅子座」をはさんで、「冬物語」「木と市長と文化会館」「パリのランデブー」、「秋物語」と続く。その間に旧作の「愛の昼下がり/O公爵夫人/飛行士の妻/美しき結婚」の連続上映もあった。最後のころはもう全部は見ていないが、99年をもって閉館したミニシアターにとって、ロメール作品が非常に重要だったことが判る。ある種「80年代」っぽいというか、一種の空白感も含めて時代性も感じられるかもしれない。「セゾン系映画館」を代表するような映画館、シネヴィヴァン六本木という場所を思い出すにはロメール映画が一番。「おししい生活」を象徴するような映画かもしれない。アンスティチュ・フランセ東京でもロメール作品の上映があるので、できればこの機会にいろいろと見直してみたいと思ってるところ。